46話 県大会当日⑤ 信愛の光筆
県大会当日 夜
》 石上陽
ガチャリ、と自宅の玄関を開ける。 今日は瀬馬さんもコンクールに来ていたので、ここにはいない。
「はあ〜、ヘトヘトだ。」
打ち上げのときには感じなかったけど、今になって一気に疲れが出てきた。
リビング・ダイニングの電気をつけ、デスク横に荷物を置き、制服のままチェアにドカッと座る。
「ふ〜〜〜〜・・・」
目一杯リクライニングを倒し、目を閉じる。
———素晴らしい演奏が、できた。 コンクールだろうが、矢北らしい演奏が、できた。
この機会を楽しむ音楽。 メンバー同士、そして聴衆と一緒に楽しむ音楽。
『矢北らしさ』は、十分にアピールできたはずだ。
小澤さんも、それを感じてくれただろう。
ただ———安城ヶ丘、そして名電。
技術の高さはやはり圧巻だった。
小澤さんにこっそり見せてもらったビデオでは、積み重ねた基礎練習の重みが滲み出ていた。
正味4ヶ月しか徹底して練習していない矢北とは、やはり開きがある。想像以上だった。
さらに東海の王者・浜松光聖が立ちはだかる。
この3校、そしてウチで——全国への3枠を争う。
……まだ、分が悪い。
竜海が落ちて、少しは状況が楽になったとはいえ……
「表現を楽しむ」だけでは、まだ足りない。
残り2週間。
明日からどうするか———。
「ふ〜〜・・・」
…………………。
…………。
ん、いかんいかん。
ウトウトしてた。
リクライニングを戻し、右手をグッ、パッ、グッ、パッと強く握り締める。
「よし。」
とにかく、ここまで来たんだ。
全国まで、あと一つ。
ス———ッ。
鼻から深く息を吸う。
「…………うん?」
……焦げ臭い?
キッチンに目をやるが、何も調理していないし、作り置きの焦げたような臭いも無い。
スン、スン……
うん。やっぱり焦げ臭い。
どこからだ……?
立ち上がってキッチンに向かうと、逆に臭いが薄れる。
———窓側?
窓に近づいて開ける。
……外じゃない。
どこだ?
———デスク?
そうだ、デスクから臭う。
引き出しを開ける。
……臭いが、強くなる。
背中に、ゾクリと寒気が走る。
まさか———!!
急いで『歪波の命書』を取り出し、ページを開く。
そこには——————
「あ…………あ…………。」
『2024年8月9日 音楽経験の充実による健康寿命維持力増大 発生 岩月大翔 +344日』
『石上陽 -344日』
『2024年8月9日 音楽経験の充実により将来の職業転換 発生 椎名美音 +216日』
『石上陽 -216日』
———新たな、2行。
「ひ……ろと……。み………」
ッ!!
ト、イレッ!
「うっ、ゲエェェェッ…………!」
パニックのまま、しゃがみこんで胃の中のものを吐き出す。
「はあ………はあ………」
息が、整わない。
「はあ………はあ………」
あれは……何だ?
大翔と、美音の名前? 見間違いか?
とにかく、口をゆすいで……
フラフラとしながら、もう一度デスクに足を向ける。
重力のままに椅子に身体を落とし、再び命書を見る。
『2024年8月9日 音楽経験の充実による健康寿命維持力増大 発生 岩月大翔 +344日』
『石上陽 -344日』
『2024年8月9日 音楽経験の充実により将来の職業転換 発生 椎名美音 +216日』
『石上陽 -216日』
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
ダアンッ!! と、机を殴る。
「大翔……美音ッ!?」
———巻き込んで、しまった。
なぜ? なぜだ?
どうしてこんな恐ろしい本に、二人の名前が刻まれた?
寿命……僕の寿命が削られた?
———そんなことは、どうでもいい。
なぜ?
なぜ、大翔と美音が巻き込まれた?
今まで関わってきた人は、たくさんいる。
僕が転生してきたことで、何かしら『以前』とは違う人生を歩み始めた人も、多いはずだ。
それでも、今までこの本に名前が記されたのは、水都だけだった。
水都の名前が載り、彼女に起こした変化は……ある意味、受け入れていた。
でも、なぜ今になって大翔と美音が?
なぜ、このタイミングで?
僕の生き方次第で、二人の人生に影響が出てしまうことが、確定したというのか?
…………。
ズウン、と肩に何かが重くのしかかる。
こんな……
こんな、淡く黄色く光る本のせいで……。
黄色……
「…………っ!?」
まずい。
黄色い世界———かつて“未来”の世界を見たのかも?
……シエラの時、水都の記載が増えた時も、彼女にそんな変化があった。
大翔や美音も、見たのか? かつての未来を?
でも、そんなこと……何も言ってなかった。
別れてから……か?
焦げたような筆跡の、大翔たちの名前に触れる。
熱くも、冷たくもない。
焦げたにしては、ついさっき燃えたような感じではない。
———ということは、別れてから書き加えられたのでもない?
「……明日、聞いてみるか?」
…………。
いや、できない。
そんなこと…………口に出せるわけがない。
怪しませてしまえば、余計に心配させて、もっと深く巻き込むことになる。
特に、連絡も無い。 何かあれば、向こうから連絡が来るだろう……そう信じたい。
独り、両肘をデスクに立てて頭を支える。
「……はぁ〜〜〜・・・」
……何か、条件があるのか?
………………。
ダメだ。訳が分からない。
ヤケになったような気持ちで、右手で本を閉じようとした———
そのとき。
「ん?」
…………っっ!!?
『貴殿を心より信愛する魂 三名を超えしとき 舞い降りの刻 いよいよ満ちぬ
天より信愛の光筆 兆しとともに舞い降りん
光筆は信愛を宿し 本来の道より削がれし寿命の歪波を鎮め 凪へと転じる力を持つものなり』
閉じようとした右手のページに——
新たな文が現れていた!!
「なっ……え?」
もう一度、文をゆっくり読み返す。
意味が、よく分からない。
この命書が現れて、もう六年以上。
こんなふうに説明文が増えたことなんて、一度もなかった。
信愛する魂———三名……。
水都、そして大翔、美音。
3人の名前が浮かぶ。
信愛。
信じて、愛する———
言葉にすれば恥ずかしいが、三人や未来には、そういう気持ちがある。
向こうも、同じように思ってくれていた———
だから、これが現れた?
天より『信愛の光筆』……こうひつ?
『兆しとともに舞い降りる』……筆のような何かが、どこかから舞い降りる……?
……ダメだ。意味が、掴めない。
けれど———
鼓動が、止まらない。
文字を追う指が、止まらない。
『光筆は信愛を宿し、本来の道より削がれし寿命の歪波を鎮め、凪へと転じる力を持つものなり』
削がれた寿命の歪波を———凪へ。
「削がれた寿命を、凪へ……」
———失った寿命の変化だけを、無くせる……ということか!?
バッと、左ページを見る。
水都、大翔、美音———三人の記載。
「無くせる…………」
そんな可能性、今まで考えたこともなかった。
この新たに刻まれた“マイナスの寿命”も———
もしも「光筆」というものがあれば、無くすことができる?
たとえば、水都を庇って減った僕の寿命も、肺の怪我を守った事実はそのままに———戻せる?
そんなことが……あり得るのか?
鼓動が、さらに速く、強くなる。
右手で、心臓のあたりをギュッと掴む。
この「信愛の光筆」という物があれば、これまでの代償も、これからの代償も、なかったことにできる……?
ん?
これから……?
………………。
12月に起こるかもしれない、あの———ガス爆発。
「…………っ!!」
バアンッ!! と、デスクを両手で叩く。
12月、水都を守って寿命が減ったとしても———
それを“なかったこと”にできるかもしれない。
そうすれば———
水都も、僕も、生きられるかもしれない!!
「うおおおおおおおおっ!!」
思わず拳を握って立ち上がる。
すぐさまキーボード付きのタブレットを開く。
「信愛の光筆、信愛の光筆……!」
あらゆるサイトで検索、検索、検索、部分検索。
左手でキーボードを叩きながら、右手で実家に電話をかける。
「……あ、母さん? ちょっと聞きたいことがあって……あ、ごめん。ちょっと慌ててて。あのさ……」
* * *
「……ふ〜〜〜〜〜・・・」
再びリクライニングを深く倒し、ため息をつく。
・・・見つからない。
手がかりのカケラも。
まあ、仕方ない。
「筆」と書いてあるけど、筆の形をしているとは限らない。
母さんに、昔の二段ベッドのことを聞いてみたが———もう処分されていた。
その場所にも、何も無い。
歪波の命書が現れたときのように、何かが同じ場所に現れるかとも思ったけど……何もない。
…………。
『舞い降りの刻 いよいよ満ちぬ』
この「ぬ」は完了の助動詞だけど——
もう満ちたのか、これから満ちるのか、どちらにも取れる。
もう誰かが持っているのか。
それとも、これから現れるのか——
…………。
「ふぅ〜〜・・・」
———信愛の光筆、か。
明日も更新します!




