3-11 船頭の妄想
碧水の都の市井は、商いの街とも言われており、さまざまな商品を取り扱う商家が多く存在し、数多くの店を出している。
湖の上に造られた都のため、ほとんどの建物の下は、木橋の下部のような構造になっていた。運河とも呼べる水路を挟んで、左右に大小さまざまな建物が存在している。運河を行き交うのは、運搬用の小舟と、移動用の四人くらいは乗れそうな、屋根の付いた屋形船の二種類だけだった。
等間隔に用意された桟橋の近くには、それぞれ違う屋台が所狭しと並んでいる。無明は眼を輝かせて、右に興味があるものがあれば右に座り、左で屋台の売り子の声がすれば左に、狭い屋形船の端と端を、忙しなく行ったり来たりしていた。
その様子をなにも言わずに静かに見守り、飽きもせずに見つめているのは、白群の第二公子である白笶である。本日は修練のない日で、昨日まで降っていた雨も止み、澄み切った青空が広がる絶好の観光日和であった。
「お連れ様はどちらのご出身で?」
後方で船を漕ぐ若い青年の船頭は、無明のはしゃぎっぷりに嬉しくなり、思わず声をかけた。白笶のことは都で知らない者はいないため、そういう意味でも連れがいることに興味しかなかった。
(あの第二公子様が一緒にいる方ということは······めでたいお知らせが近い内にこの都に広がりそうだ)
そして安定の勘違いを、脳内で勝手に繰り広げられている。
「紅鏡だよ」
黒い衣を纏った珍しい翡翠の瞳のそのひとは、こちらを振り向きにっこりと笑みを浮かべた。
赤い紐で一本に括っていても腰まであるその長い髪の毛は、振り向いた時にゆらゆらと尻尾のように揺れて可愛らしい。なにより明るく活発そうな感じの良い返答に、青年は船を漕ぎながら思わず見惚れてしまう。
「そ、······それは遠い所から! よくぞお越しくださいました!!」
数秒固まってしまっていたが、青年の船頭は慌ててその返答の返答をした。
(まさかの紅鏡のお嫁さんか! あれ、でも瞳の色が、)
そんなことを考えていると、前方から小舟がやって来るのが見えた。行き交う小舟や、同じような屋台舟が横を通り過ぎていく間、片方の船は止まる必要があった。進行方向があり、ちょうどこちらの船が止まる義務があるのだ。運搬用の小舟が、荷を積んで横をゆっくりと通り過ぎていく。
軽く右手を振って合図をし、相手も同じように右手を振って応じた。その先からさらに三隻の小舟がやって来たので、しばらく止まっている必要がありそうだ。
公子のお連れ様は、左右の行き来に飽きたのか、それとも別の物に興味が湧いたのか、今度は前の方へ座り、流れる水に手を浸していた。
「あ、白笶、みてみて? キレイな色の魚がいるよ!」
左側に座っていた白笶を振り向き、こっちこっちと濡れた手で手招きをしている。手についた水滴が飛沫して、光に反射しキラキラと輝いて見える。楽しそうな無明を見つめる瞳は、どこまでも優しく、あまり感情が表に出ない白笶の表情に、色を浮かべさせる。
(あ、あの、こ、公子様が、······笑ってる?)
ものすごく微かなものだったが、表情が美しい人形の如く、まったく変わらないことで有名なあの第二公子が、まさかの微笑を浮かべたのだ。船頭は思わず拝みたくなったが、さすがに失礼なので思い留まる。
(なんてことだ! これはみんなに教えてあげないと!)
都中の女性たちが悲鳴を上げると同時に、歓喜の声を上げるだろう。相手は見目麗しい上に、性格も良さそうだ。なにより、あの公子の鉄仮面を溶かすほどの器量の持ち主なのだ。
勝手な想像を浮かべている船頭のことなど露知らず、白笶は無明の近くに移り、指差す場所を後ろから一緒に眺める。
その先には青と黄色に光る鱗の小さな魚たちが数匹泳いでおり、確かに綺麗だった。もっと近くで見ようと身を乗り出し、無明は必要以上に運河の水に手伸ばした。
丁度その時、屋形船の横すれすれを通っていた三隻目の小舟の後方が、手元が狂ったのか、屋形船の前方辺りにぶつかってしまったのだ。強い衝撃で傾いだ無明の身体が、運河の方へと放り出されるのを目にした小舟の船頭が、思わず叫ぶ。
「危ない!」




