1-21 痴れ者、跪く
「今のは······、」
「見事な舞だったぞ、公子殿! 花見酒なんて粋なことをする」
上機嫌になった緋の宗主が、盃を掲げてこちらに声をかけてくる。正直、このどこからか降って来る無数の花びらたちは、無明が用意したものではない。
おそらく、あの声の主たちがやったのだ。宝玉の主たち。四神。どうやらあの声は、自分にしか聞こえていなかったらしい。
(なんで俺が? それに······待っていると言われても困る。俺はこの邸から出るだけでもひと苦労だっていうのに)
この紅鏡からは離れられない。
そもそも彼らの言う神子でもない。
ふと、白笶と眼が合った。現実に戻されるように本来の目的を思い出す。こく、と頷き口元を緩める。目的のひとつは達成したがこれからが本題なのだ。
長い時間霊力を消耗した上に、笛を吹きながら長時間舞っていたというのに、無明は息ひとつ切らしていなかった。舞台を下り、そのまま宗主や姜燈夫人の前に立つと、ゆっくりと跪いてそのまま頭を下げた。
「出過ぎた真似をしたことを、お許しください」
予想もしていなかった言葉に、夫人は驚いた顔をしていた。いつもの言動からは考えられないほど謙虚で礼儀正しいその姿に、その場にいる親族の誰もが目を疑う。
「いえ······助かったわ。あなたがいなければ奉納祭自体が成り立たなかったわ」
「母上、こんな奴に礼など不要です。最初のあの姿で十分恥を晒しました。望み通りに罰を受けさせるべきです!」
虎宇はふんと鼻を鳴らして無明を睨む。その理不尽な言動に無明は頭を下げた姿勢のまま、唇を軽く噛みしめる。
「母上、それはおかしいです。あいつはちゃんと舞を舞って、四神の宝玉も浄化されました。それよりも藍歌夫人が心配です」
兄の滅茶苦茶な言いがかりを見ていられなくなった竜虎が、思わず反論をする。お前はどっちの味方なんだと、睨まれた。
「とにかく、すべては奉納祭が終わってからだ。あとで使いの者を送るから、それまでは邸で控えているように」
わかりました、と無明は宗主の提案に頷く。再び舞台の方へ向き直ると、そのまま無言で広間を後にした。
賑やかしい広間を抜けて渡り廊下の方を歩いていた時、ひとりの従者が駆け寄ってきた。それはいつも邸に膳を運んできたり、周りの世話をしてくれている若い従者だった。騒動の際、広間の入り口で無明の衣を遠慮なく引っ張り、必死に止めていたのも彼である。
いつもの彼は、奇妙なものでも見るような目で極力関わらないようにしていた気がするが····見間違いだろうか。今の彼の瞳はキラキラと輝いているように思える。
「すごいです、無明様! 私は感動しました! いつものあれは、もしかして仮の姿だったんですか?」
「いつものあれってなんのこと? 明日も俺の歌を楽しみにしててねっ」
くるっと大きく手を広げて回り、あはは~と笑いながらいつもの調子で通り過ぎる。それを目の当たりにして、彼は幻でも見たような顔をしていた。
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邸に戻ると、すぐに藍歌の部屋に足を運んだ。まだ顔色が悪く、白笶が言った通り、やはり三、四日は安静が必要なのだろう。毒は抜けたと言っていたから、これ以上やれることはなさそうだ。無明は衣裳を着たまま寝台の横に座り、力が抜けたようにぱたりと床に横たわる。
(··········疲れた、)
けれどもこれからが本番なのだ。宗主の前ですべてを吐かせる。あの場に跪いた時、親族の席でひとりだけ青ざめた顔をしている者がいた。しかしそれを証明するための証拠などどこにもない。
ならばどうすればいいか。
無明の中で答えはすでに決まっていた。
緊張の糸が解けたのか、息が少し乱れ始める。唇に塗ったあの紅の毒が、今頃効いてきたようだ。
(カマをかけるためとはいえ、やりすぎたかも)
あの時、虎宇が夫人に罰を与えろと言った時、わざと見えるように唇を噛んで見せた。傍から見たら悔しがってやった行動に見えたはずだ。
けれども。
あのひとだけはそれを見て驚いていた。
(でも········これで、)
そのまま無明は意識を手放す。少しして、部屋の前に人影が現れる。その影は具合の悪そうな無明の傍に腰を下ろすと、自分の膝の上に頭をそっと乗せた。
「········無茶をする」
真っ赤な毒の紅が塗られた唇を衣の裾で丁寧に拭い、藍歌にしたように経穴に鍼をうつ。
「やはり、君だったんだな」
愛しいものでも見るような眼差しで、白笶は柔らかい声音で呟く。
その意味を知る者は誰もいない。
遠い昔に交わした約束。誓い。
――――あの日からずっと、君を待っていた。




