1-9 隣にいることの意味
無明たちが先に通されている珊瑚宮の扉の前に立つ竜虎は、奥の方から聞こえてくる賑やかな声に安堵していた。
騒いでいるのは無明と清婉、そして逢魔だろう。白笶はそんな賑やかしい三人を遠目で見ながら、いつものように黙って座っている絵が浮かぶ。
複雑な気持ちを落ち着かせて、扉に手をかけようとしたのと同時に、自動で扉が開かれる。
「あ、やっぱり竜虎だ!おかえりっ」
聴き慣れたその声はどこまでも明るく、竜虎はその一瞬で心がすぅっと晴れた気がした。
「おかえり、じゃない。なにを騒いでるんだ?外まで丸聞こえだぞ」
「別にいいでしょ?少しくらい騒いだって、誰も何も言わないよ」
そういう問題じゃないんだが、と竜虎は嘆息するが、そんなやりとりにさえ笑みが浮かぶ。どうしたの?と無明は様子のおかしい竜虎の顔を覗き込む。
「どうもしてない。少し暑さにやられただけだ」
「あ、竜虎様、おかえりなさい。夕餉は鳳凰殿で宴なんだそうです。宗主を含めて少数でということですが、まだ時間はありますので、少しだけでも休まれてはどうですか?」
そうだな、と清婉の気遣いに頷き、白笶が座っている席の正面の椅子に腰かけた。
「······虎斗殿と、話はできたか?」
珍しく、白笶の方から声をかけてきた。それはきっと、竜虎の微妙な変化に気付いたからだろう。このひとに隠し事は不要だと、竜虎は師でもある白笶に視線を合わせる。
「夜の稽古の時に、相談にのってもらいたいことがあります」
わかった、と白笶はそれ以上の事は問わず、ただ頷いてくれた。こういう時の白笶は、本当に頼りになると思うし、だからこそ師として最大の信頼を寄せることができる。
あの日、紅鏡と晦冥の境で起こった、出来事。このひとが現れなかったら、きっと自分も無明もどうなっていたかわからない。あれから随分と経ったような気分でいるが、実際はまだ三ヶ月と少しか経っていないのだ。
もっと昔から一緒にいるような、そんな感覚さえあるというのに。
「逢魔、またあの姿になって!」
「ん?あの姿って、狼の姿のこと?」
「そう、俺、あの姿好き。いつもの逢魔も格好良いけど、あの黒い艶々でもふもふの狼さんの姿が、たまらなく好きっ」
無明がいつもの調子でそんなことを言い出す。
狼煙という通り名が付いたきっかけでもある黒い狼の姿を、どうやら無明はかなり気に入ってしまったようだ。
逢魔の衣の袖を引いて、満面の笑みを浮かべて見上げてくる。もちろん逢魔は、その言葉を素直に受け止め、ものすごく嬉しそうに頷いた。
「いいよ。あなたが好きなら、飽きるまでこの姿でいてもいい」
言って、突然身体が灰色の煙に包まれたかと思えば、あの立派な毛並みの黒い狼が姿を現した。
無明は床に膝を付き、首にしがみ付くように腕を回すと、顔をすり寄せてその毛並みを堪能しはじめる。逢魔はふふんと鼻を上にして、無明に好き勝手されていた。
「あの方が鬼と聞いた時、本気で怖いと思ってしまいましたが、あんな風に仲良くされている姿を見ると、全然怖くないんです······これもきっと、無明様のお陰ですね、」
竜虎は手元に置かれた白い陶器の湯呑を手に取る。清婉は傍に控えたまま、ふたりの様子を微笑ましく眺めているようだった。
(無明には華守である師匠と、鬼神の逢魔がついている。俺なんていなくても、きっと、大丈夫だ)
でも自分はどうだろう?
いつも一緒にいることが当たり前だった、自分自身は?
痴れ者の第四公子だった無明の才能は知っていたが、まさかあの神子の生まれ変わりだったなんて、最初は信じられなかった。
それでも一緒にいると誓い、今まで通りの関係でいることも約束した。
守りたい。でも力が足りない。
だからこそ、強くなろうと決めた。
白笶に弟子にして欲しいと頭を下げた。
(また、俺は迷うのか?)
もう何回も、そんな自問自答を繰り返している気がする。
無明にとって必要かどうか、ではなくて、自分がどうしたいか、どう在りたいか。それが一番大事なはずなのに。
隣にいる意味が、理由が欲しいのではなくて。
ただ、最後までこの旅を見届けたいという気持ちが、今は強い。
そんな竜虎の葛藤など露知らず、無明が無邪気に手招きをして、声をかけてきた。
「竜虎、竜虎も触ってみて!」
茶を口に運んでいた竜虎は、え、遠慮しておく、と丁重にお断りする。なぜなら、あの金色の眼がキラリと光った気がしたからだ。触っていいのは無明だけだ、とでも言いたげに······。
少しして、珊瑚宮に使いの者が訪れた。無明たちは、鳳凰殿へと再び足を運ぶ。
竜虎は無明が、本来の鳳凰の儀について逢魔から話を聞いたことを知る。その上で、とりあえずこの件は自分に任せて欲しい、と言った。
鳳凰殿の客間で、宴は開かれる。
そこには、先程顔を合わせた面々に加え、ひとり、老人が増えていた。
その老人は、この光焔、緋の一族の政を行う重要人物。白鷺老師、そのひとであった。




