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彩雲華胥  作者: 柚月 なぎ
第五章 欲望
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5-23 約束をしよう



 無明むみょうはこれが夢でも幻でもなく、かつての神子みこの記憶なのだと思い知る。逢魔おうまが自分に寄せてくる想いは、親愛。唯一無二のかけがえのない存在として、ずっと目覚めるのを待っていたのだろう。


 だから、あの渓谷で、彼は言った。


「あなたを、待ってた」


 その言葉の重みを、今更ながら無明むみょうは感じていた。そして自分の手元にある横笛に視線を落とす。天響てんきょう。これは、始まりの神子みこの物であることは前に聞いたので知っていた。いつ渡されたのかは記憶がない。


 逢魔おうま無明むみょうが生まれた時からずっと、傍で見守っていたのだと言う。神子みことの約束をずっと守っていたのだ。危険な目に遭った時に助けたり、遭わないように対処していたのだという。


 その度に記憶を消していたというので、今思えば、この横笛を持って帰って来た時の記憶が曖昧なのも納得がいく。


 いつか、本当の意味で出逢った時、その真名を捧げると決めていたのだと。


 実際は、待ちきれなくて攫ったわけだが····。


(あの、黎明れいめいっていう人が、華守はなもりなんだとしたら、やっぱり、あのひとが····白笶びゃくやってことだよね)


 今と同じく、あまり言葉を紡がないその青年を、無明むみょうはじっと見つめていた。


 "一生共にいようと誓った、伴侶だった"


 常に神子みこの右側に立ち、優しい眼差しで見守っている彼は、今となんら変わらない。無明むみょうといる時も同じだった。いつも同じ、右側にいる。無明むみょうも自然と白笶びゃくやの左側にいた。


 そんな風に物思いに耽っていた、その時だった。


 突如、小さな悲鳴が上がった。

 その後すぐに逢魔おうまが叫ぶ。


師父しふ!!」


 それは一瞬の出来事だった。


 神子みこを見守っていたからこそ、唯一、それに気付けたのだろう。


 地面に大量の赤い雫が滴る。宵藍しょうらんの横にいたはずの黎明れいめいが、いつの間にか目の前に立っていた。


「····れい、め······黎明れいめい!」


 悲痛な声で名を呼ぶ宵藍しょうらんの腕の中に、ゆっくりと倒れ込んできたその身体は、胸の辺りから背中に貫通していた刃から解放されると同時に、さらなる血飛沫で地面と宵藍しょうらんの白い衣を染めた。


「お遊びはここまでだ」


 その先に重なった視線は、先程までそこに立っていた者とは全く違う、別の存在のものだった。その者は、始まりの神子みこの手首を爪が食い込むくらい強く握りしめ、自分の許へと引き寄せる。左手には血が滴る黒い大きな刃を握っていた。


夜泮やはん、」


 黒曜こくようが抑えれなかったのだろう。一時的に切り離していたはずの意識が、再び戻って来てしまったのだ。


「俺の知らぬ間に、役者が揃ってるとはな。まあ、ひとりは瀕死だが」


 くっくっと喉で笑い、夜泮やはんと呼ばれた青年が、地面に倒れた黎明れいめいとそれを支える宵藍しょうらんを見下すように、冷ややかな眼差しで吐き捨てる。


黎明れいめい、······ごめんね、」


 ぎゅっとその身体を抱きしめて、血で濡れた手を握り締める。身体を放し見下ろしてくる宵藍しょうらんの涙が、黎明れいめいの頬に落ちて来てその度に瞼が震えた。


「······無事、····か?」


「うん、大丈夫だよ。君が····守ってくれた、から、」


 良かった、と黎明れいめいは口の中に広がる鉄の味を無視して宵藍しょうらんに囁くが、その声は掠れて良く聞こえない。


 涙を拭い、宵藍しょうらんは微笑んだ。

 黎明れいめいの頬を何度も撫でて、冷たくなっていく感覚に胸が締め付けられる。


逢魔おうま黎明れいめいを連れて、ここから、この晦冥かいめいの地からなるべく遠くへ離れて」


神子みこも一緒に、」


「それはできない。私は、この邪神を封じなければならない。君たちはここにいては駄目だ。黎明れいめいをお願いできるね?」


 ふるふると首を横に振る。話は聞いていた。それでも、黎明れいめい逢魔おうまは止めるつもりでいた。自分たちが守りたいのは、未来ではなく、今、ここにいる宵藍しょうらんなのだと。


逢魔おうま、では約束をしよう」


 離れない、と逢魔おうま黎明れいめいごと宵藍しょうらんにしがみ付いて、我が儘な子供のように何度も首を横に振った。


 そんな逢魔おうまに呆れることなく、宵藍しょうらんは腕を自分の髪の毛へと回す。するりと解いた赤い髪紐を逢魔おうまの目の前に翳すと、途端、髪紐が小さな炎を上げて燃えてしまった。


「私は必ず君たちの許へ戻る。今燃えてしまった髪紐は、私が生まれた時から大切にしていたものだよ。君にあげた物と合わせて、ふたつだけしかなかった。でももう、この世にひとつしかない。だから、もし再び出逢えた時は、君が私に返してくれるよね?」


 有無を言わせないその言葉に、逢魔おうまは何も言えなくなった。そうしている間にも黎明れいめいの意識は薄れ、どんどん冷たくなっていく。一番辛いのは、離れたくないのは、神子みこであるはずなのに。


神子みこ、さよならは言わないよ。絶対に、また、逢えるって信じてる」


 大きく頷き、逢魔おうま黎明れいめいを抱き上げた。そして、そのまま後ろに飛ぶ。残された宵藍しょうらんがこちらを振り向いた。


黎明れいめい、ごめんね····今まで、ありがとう」


 そこには、笑みが浮かんでいた。


「····しょう······ら、ん········」


師父しふ、ごめん。俺は、神子みこの願いを叶える」


 言って、逢魔おうまはそのまま伏魔殿の深い闇の中へ消え去った。


 残された宵藍しょうらんは、ひとり、邪神、夜泮やはんを見据える。その傍らに立たされている始まりの神子みこと、一瞬だけ視線を交わした。


「四天、集え」


 そんなことはまったく気付かず、黒曜こくようの姿をした邪神、夜泮やはんが命を下す。すると、今まで存在していなかった四つの影が彼の後ろに現れる。



 これが、本当に最期の闘い。


 宵藍しょうらんは口元を緩め、自虐的な笑みを浮かべた。




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