1-12 満身創痍の帰還
駆け寄る気力も尽き、竜虎がゆっくりとふたりの元へ歩み寄る。こちらにそれを渡してくれと両腕を胸の辺りに掲げてみせたが、公子はまったく応える気がない。それどころか、そのままくるりと背を向けて歩き出してしまった。
「君は、彼女を」
首を回してその視線の先にいる少女を見やり、そちらは頼むと会釈をした。竜虎はその先にいる青ざめた顔をした璃琳を見つけて、なんで戻って来たんだと言いかけたが、既のところで呑み込む。
胸に貼られた無明の符は、力尽きた後もその効力を失うことなく妹を守り続けてくれていたようだ。
「怖かったろ? 立てるか?」
ふるふると首をふる妹を責めることはせず、代わりに、ほら、と屈んて背を向ける。璃琳は何も言わず冷たくなった身体を竜虎の背に預けると、首にきゅっとしがみついてきた。
まだ夜は明けておらず薄暗い。このまま邸に戻り見つかれば、様子がおかしいことがすぐにわかってしまうだろう。
「白笶公子、無理を承知でお願いしたいのですが、」
「問題ない。私が借りている邸へ運ぶといい。元々君たち一族の持ち物だろう、」
最後まで話し終わる前に、淡々と前を歩く白笶がふり向きもせずに快諾する。
(白笶公子とは今まで挨拶程度しか交わしたことがなかったが、初めてまともな会話をした気がする······というか、口が利けたんだな、)
挨拶と言っても動作的な挨拶であって、日常的な会話すら交わしたことはない。誰かと話している姿を一度も見たことがなかったため、その声を初めて聞いた気さえする。
少しも動かない無明の様子が気になったが、今は意識を失っているようなのでどうにもならないだろう。
(そもそも、なんでこんなことになったんだ?)
あの赤い月も今は元の青白い月に戻っていた。全力で広範囲を走り回り、術を使ったせいで竜虎も限界だった。ただいつもの静寂が妙に落ち着かず、胸の辺りに靄のようなものを残したまま、紅鏡の都の灯りに安堵する。
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――――あの時。
白い陣が現れたあの瞬間、傾いで落ちていく身体をなんとか反転させた無明は、闇夜を仰いだ。
体感ではゆっくりと流れるようだったが、実際は倍は速かっただろう。近づいていく地面を背に、思わず赤黒い月に手を伸ばしていた。
その手を力強く掴まれ引き上げられたかと思えば、そのままふわりと抱き上げられてしまい、思わず息が止まりそうになる。地面に降り立って初めて、そのひとは静かに呟いた。
「······大丈夫。あとの事は任せて、君は安心して眠っていてくれ」
優しい声が降り注ぐ。その声は低く心地が良かった。礼を言おうと声を出そうとしたが上手く出ず、身体にもまったく力が入らなかった。
(······この声、どこかで、)
そこで無明の意識は完全に途切れてしまう。その声を聞いた時、一瞬懐かしい気分になったのだが、きっと気のせいだろう。
遠い日の記憶を呼び起こしてみても、無明はなにも思い出せなかった。




