第四章
何が起きたのかよく分からないまま、もう一度その名前を呼んだ。
「レオ……!」
すると、僕の後ろにあった影から気配がした。
僕たちは影を食い入るように見つめる。深く、暗い影が立体的に伸びていく。
黒い物体は、みるみるうちに姿を変え、さっきまで傍にいたキングウルフの形になっていた。
「主!」
黒い影のキングウルフは、目を青く光らせながら叫んだ。
「レオ……? レオ!」
「え……? キングウルフ……レオ?」
アリスは目に浮かべていた涙を拭った。
僕たちは一緒に抱き合いながら、再会を喜んだ。
「主はこんなこともできたのか……流石だな」
「そうよ! すごいじゃない!」
「実は、僕もよく分かってないんだけれど、どうやら「宵闇」というスキルを得たらしい。ラグナルと戦った時だと思うんだけど」
実際、僕もよく分かっていなかった。
口を尖らせて「うーん」と唸る僕を、アリスがヒョイと抱き上げた。
「アリス……?」
名前を呼んだが、何も反応しなかった。
ほんの僅か、沈黙が続いた。
何か覚悟を決めたかのように、アリスが話し始めた。
「やっぱり……あなた、魔王なのよね……」
何も言えなかった。
後ろを歩くレオからは、驚いた声が聞こえた。
今度は、少し長く沈黙が続いた。
「知ってる? 普通の生き物は、スキルを一つしか持ってないのよ……? それにね、あなたが破壊した森には、私の家があったのよ……」
「えっ……!」
歩きながら、アリスは淡々と続けた。
「私はね、王都騎士団に所属しているの。数少ない幹部に選ばれると、栄誉として住居が与えられるの」
アリスは少し涙ぐみながら続ける。
「あなたが半分ほど消し去ったヴェストリンの森にはね、たくさんの自然や動物がいて……私はその中で暮らす日常がすごく幸せだったのよ」
「えっと……ご、ごめん」
アリスの日常を想像すると申し訳ない気持ちになり、思わず謝罪した。
更なる非難を覚悟をしたが、アリスの次の一言は、全く想定していないものだった。
「ううん。ごめんね、過ぎたことは仕方ないわよね! いつまでも、くよくよしていられないわ! さぁ、街まで急ぎましょう!」
ポニーテールのリボンをキュッと結び直し、笑顔で僕の方を向いた。
僕には作り笑いに見えて仕方がなかった。
「我もこうして主に出会えたわけだ。魔王というのは驚いたがな? よいことではないか! ガッハッハッハ!」
空気を読んでくれたのだろうか。レオが言葉を挟んでくれた。
胸の内で言葉を何度も選ぶが、上手く選べずに、僕はただ静かに遠くを見つめていた。
「早くシャワーも浴びたいし、さくっと王都クロンヘイムまで戻っちゃいましょう!」
「その、クロンヘイムっていう街は遠いの?」
土地勘も何もない僕は、真上を向いて、アリスに問いかけた。
「ん~、数時間も歩けば付くかしら。クロンヘイムは大都市と呼ばれていて、この大陸では一番栄えている場所なのよ」
「数時間もかかるのか、二人とも、我の背中に乗るがよい」
レオはまるで「おすわり」をするようにかがみ、僕たちを背中へと案内した。アリスは抱きかかえていた僕の体を先に乗せた。
「自分で影にしておいてなんだけど、乗れるものなんだね」
「ガッハッハ! なんなら、生きている時、いや、それよりも力が漲っているぞ!」
「ほんと、乗ってみると不思議な感覚ね〜。柔らかいような、硬いような……でもなんだかひんやりしてて気持ち良いわね」
確かに、レオの背中はまるで体育館の倉庫に片付けられたマットのようだった。
「では、王都クロンヘイムまで向かうぞ! しっかり掴まっておれよ!」
レオは体を沈め、ぐーんと跳ねてみせた。風圧で飛ばされそうになり、悪いと思いながらも、少しだけ爪を立てた。
しばらく跳んで着地し、またすぐに跳ぶ。車のような速さで進み、数時間かかると見込んでいた道のりを、僅か十分足らずで辿り着いてしまった。
あまりの速さに、アリスは終始楽しそうに大笑いしていた。もしも彼女をジェットコースターに乗せたら、怖がらずに笑うタイプだろうと心の中で思っていた。
アリスの提案で、僕達は王都近くの森から歩くことにした。確かに、街にこんなに大きくて黒い生き物が近づいたら問題になりそうだ。
「ねぇ、マコト? レオって、影に戻せたりするの?」
アリスは一緒に歩くレオの首回りを撫でながら聞いた。
「ん〜、どうなんだろうか。試してみよう!」
レオの顔を見ながら、僕は唱えた。
「戻れ――」
レオは僕の影に吸い込まれていった。ステータスウインドウが開かれて、レオの情報が追加されていた。レオの名前の横には(待機中)と書かれている。
「すごいわね! まるで召喚師みたいだわ……!」
「ははっ、ほんとだね。いつでも呼べそうだし、安心したよ」
若干ふらつく体に違和感を覚え、ステータスウインドウを閉じようとした時に魔力の数値を見た。その数値に驚愕した。九万以上あった魔力が五万ほどになっていた。
レオを召喚し続けていたからだろうか。
「あのさ、アリスの魔力って、どのくらいなの?」
「え? 私の魔力? そんなのゼロに決まってるじゃない」
「ゼロって、どういうこと……?」
アリスはその後、魔力について教えてくれた。
どうやら、この世界における魔法は希少なもので、生まれ持った素質がある人だけが魔法を使えるようだ。もちろん、魔王などを例外として。
スキルは遺伝で決まることが多く、魔法使いの血筋は代々、王宮に仕えているという。
ちなみに魔力を回復するには、寝たり、食べたり、リラックスすればいいらしい。
「マコトの魔力はどのくらいあるの?」
「えっと……九万……とか?」
それを聞いたアリスは目を丸くして、口をポカンと開けたまま固まってしまった。
「あの〜……アリスさん……? もしも〜し?」
「あなた、いよいよ魔王ね……」
いよいよ魔王、なんだかパワーワードに似た何かを感じた。
「そうよね……あのキングウルフを召喚してしまうほどだものね」
胸の前で腕を組み、うんうんと頷く様子が愛らしく、見惚れてしまった。
「あいつって、そんなにすごいやつだったの?」
「すごいってもんじゃないわよ! 南のタイガーエンペラー、北のキングウルフといえば、絵本にも出てくるくらいの神獣よ……!」
「えっ……! 神獣だったの!? まさかそこまでとは……」
通りで言葉遣いも古臭く、これだけ魔力を消費するわけだ。
「絵本では、二匹の神獣を連れた勇者が魔王を討つのだけれど、生憎、勇者は偶像なのよね」
「魔王はいるのに、勇者はいないの……?」
「勇者がいるのは、伝説の中だけ……。だからこそ私達、王都騎士団が存在していて、魔王が力尽きるまで街を守ってるのよ。英雄と呼ばれる人はいるけどね」
「なるほど……。その英雄っていうのは、どんな人なの?」
「マーカス・ロヴェーン、その名を知らない人はいないわ。先代魔王から何度も街を救ってくれた。けれど……」
「けれど……?」
この世界に転生して、ここで生きていくしかない僕には、もはや他人事ではなかった。
「人々からは嘲笑われているわ。可笑しいわよね、街を救ってくれた英雄なのに……」
ゴクリと生つばを飲み込み、アリスに続きを聞いた。
アリスの話によると、マーカスという人物は、先代魔王と王都の和平条約を結ぼうと、仲介人を果たそうとしていたようだ。
しかし、魔王の行いによって発生した人々の負の感情は計り知れなく、ついには王都から追放されたのだという。
「さっき、ラグナルとかいう三神将と戦ったよね。先代魔王の時代にも、姿かたちは違うけれど、三神将が存在したの。持っていた力もそうだし、あの口ぶりからすると……」
「マコト、魔王はあなただけじゃなくて、もう一人生まれている――」
「そんなことって……」
平和に徳を積みたいとか甘い考えをしていた僕にとって、それはあまりにも過酷な事実だった。
コーヒーはまだまだ飲めそうにないようだ――。
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