第一章
僕は「魔王」という表記に戸惑っていた。
「魔王……? ただの野ウサギじゃなかったっけ……?」
体の痛みも忘れ、ステータスウインドウを食い入るように見つめた。
「なんだこれは……。どれも万単位の数値だし、魔力と素早さなんて、九しか並んでないじゃないか。もしかして……今、すっごく強いんじゃないか?」
思い立ったが吉日。短距離走のクラウチングスタイルのように、前傾姿勢になって足を踏ん張る。
きっと今の僕は、獲物を捕らえる直前の獣のような姿になっているだろう。
青白く、薄っすらとしたオーラが体を包む。
フッと息を吐いて体の力を抜き、脚部に溜めていた力を開放した――。
――ブワッ!
風を切って、止まった瞬間、背後から強風が吹き付けた。
振り返ってみると、立っていた場所からは五十メートルほど離れていた――。
「何だ……この速さは……!」
まるでロケット花火のような、笑ってしまう程のスピードだった。
浮かれながらぴょんぴょんと跳ね回ったあと、ごろりと寝転がった。
夜なのに寒くもなく、心地よい温度だ。数え切れない星々を眺める。
「いたたた……!」
突然、痛みに襲われた。痛いのは足ではなく、体全体だった。
楽しさのあまり、痛みすら忘れていた。
無機質な岩のような地面、寝転ぶと背中はごりごりとして寝心地が悪いが、少しだけ……と思いながら、目を閉じた。
「もしもし? もしも〜し? ん~……間に合わなかったかぁ」
(なんだ……? 神様ではなく、もっと可愛らしい声だ。耳の奥をくすぐられるような、心地の良い声がする)
「うさぎさん……助けてあげられなくて、ごめんね……。せめて、弔ってあげるからね」
(弔う……? え……?)
僕の耳元で、ガツガツと土を掘るような音が聞こえる。
何かに包まれ、体がふわっと浮いた。
ピコン――!
(あ、またあの音だ。確か……スキルを取得した音、だっけ?)
「私がもっと強ければ……。もっとしっかりしていれば……」
ひんやりした地面の上にそっと置かれる。
まるで、風邪を引いたときの布団のように、ずしりとした重み……さらさらとした……土の感触がした――。
「待って待って! 生きてます! 生きてますから!」
ハッと目を開け、飛び跳ねながら体に乗った土を振り払った。
「え……!? あなた生きてたのね! それに、人間の言葉が話せるの!?」
「えっと……まぁ、はい」
寝ていただけなのに、いきなり埋められそうになり、文句の一つでも言おうかと思ったが、目の前にいる女性の美しさに返事がたどたどしくなってしまった。
背中まで伸びる桜色の髪を、高めの位置で結んだポニーテール。結び目には小さなリボン、これがまた愛らしい。アイドル顔負けの整った顔の女性は、後れ毛を耳にかけながら質問をしてきた。
「あなた、うさぎなのに言葉が話せるなんてすごいわね!」
女性はくりくりとした目を輝かせながら続けた。
「でも変ね……。この辺は魔王の仕業で、大地が枯れてしまったというのに……。あなた、何者なの?」
「僕は、えっと……」
今まで出会った中でも特段美しい女性に見つめられ、ドギマギしながら考える。
(魔王の仕業で大地が枯れた? それって……十中八九、あのスキルのせいじゃないか!)
「ただの、野ウサギです!」
嘘をついてしまった。
「まぁ、そうよね〜。私、王都騎士団の団長に命じられて調査に来たのだけど……何も手がかりは得られなそうね」
言われてみれば、女性は騎士の制服を身に纏っていて、気品あふれる容姿をしている。
「あの、ちなみに魔王がいたら、どうしていたんですか……?」
「それはもちろん、私が直々《じきじき》に引導を渡してあげたわよ」
……危なかった。答えを間違えていたら、この場で二度目の人生を終えるところだった。
「あなたが、もしも魔王なのに、うさぎさんのフリをしていたとしたら……」
澄み切ったスカイブルー色の瞳でじとっと見つめられ、心臓がドクンと動いた。
その瞬間――。
ズンッ――!!
激しく鈍い音とともに大地が震え、僕の小さな体が浮いた。
「フシュウゥゥ……!」
振り返ると、見上げるほど大きな獣が僕たちを見ていた。
四つ足で立っている状態でも、高さは三メートルを超えているだろう。
まるで狼のような容貌をした獣。長く大きな口で、歯をむき出しにしている。真っ赤に染まった鋭い眼光と、逆立った毛並みで、明らかな敵意を感じる。
あまりの大きさに僕の足はすくみ、ポカンと口を開けながら、ただただ見ることしかできなかった。
「こんなところに、どうして!?」
女性がおどおどした声で言った。
ふと風が吹いた。
とっさに閉じた目を開けると、大きな獣は僕を睨みながら、前足を振り上げていた。足の先には尖った爪が際立っている。
前足を振り上げただけで生じる風。それに飛ばされそうになった小さすぎる僕は、心臓をヒヤリと撫でられるような感覚に陥った。
大きな獣が、腕を振り下ろす。
その瞬間――。
「危ない!」
女性が叫んだ。
――ブォンッ!
獣の前足が振り下ろされた。
スローモーションのように、女性が倒れる。
桜色の長い髪が、風に吹かれてなびく。
女性の優しい目は、僕をしっかり捉えていた。
「早く……逃げて……うさぎさん……」
そう言いながら、うつ伏せに倒れた。
「どうして僕なんかを助けて……!」
女性は体を横に向け、苦しそうな表情を浮かべて「逃げて……」と言い、目を閉じた。
まだ残る息を確認した僕は、悔しさを押し殺し、眼前に立ちはだかる獣を睨みつける。
「許さない……!」
再び前足を振りかざす獣。
二度目の攻撃を察知した僕は、ピョンと後方に跳び、後ろ脚に目一杯の力を込めた。
青白く、薄っすらとしたオーラが体を包む。
目の前の獣は腕を下ろし、身をかがめ、こちらに突進しようとしている。
僕は、溜めていた力を開放するように、獣に向かって跳んだ。
ズドン――!
重く、鈍い音が頭に響いた。
突進した僕の体は、獣の頭にめり込んでいた。
着地した直後、正面から聞こえてきた声に目を丸くした。
「痛い……! ふざけるな……なんだ、貴様は……! 痛すぎるぞ……!」
大きな獣は、声を出して痛がっている。
「え……? お前、言葉が話せるのか……?」
大きな獣は後ずさりし、前足で頭を押さえながら答える。真っ赤に染まっていた目は、大きな黒目に変わっていた。
「お前こそ……ただのウサギのくせに、なんだこの力は……?」
「ただ突進しただけだ! それより、どうしていきなり襲ってきたんだ!?」
「ウサギのくせに……このキングウルフ様に向かって偉そうにするな……!」
口をぐわっと開けて、「グルルル」と威嚇をする獣。
どうやら神様が転生させようとしていた「キングウルフ」は、コイツだったようだ。
「うるさい! もう一回、突進してやってもいいんだぞ!」
大きな獣相手にすごむと、僕の体は青白く、薄っすらと発光した。
すると、目の前のキングウルフは一転した。
身をかがめ、しっぽを丸めて「クゥゥン」と野太く鳴いてみせた。
キングウルフの素直さと、青白く光る自分の体に違和感を覚え、スキルウインドウを確認すると、初めて見る「王の威厳」という文字が光っていた。
よく見ると、「剣聖」という文字も追加されていた。
(この王の威厳というスキルは、名前からしてキングウルフのものだろうか。)
「どうして突然襲って来たんだ?」
スキルの影響か、キングウルフは先程とは打って変わって素直に答える。
「我の精神に干渉してくるやつがおってな……? 自分でも理解出来ぬ程の復讐心に駆られ、気付いたらお主たちを襲っていた」
精神に干渉、何やら面倒なことが起きているようだ。
「それより、我が襲ってしまったそこの人間のメスは大丈夫か……?」
「そうだった!」
考えることが次から次へと出てきて、女性のことが頭から抜けていた。
振り返り、女性の息を確認する。呼吸は荒いが、息はあった。この世界のことを何も知らない僕は、大きな獣に聞く。
「お前、この女性を回復させるすべを知らないか?」
「我には回復魔法など使えぬが、下級生物は薬草なるものを集めるそうだな?」
ふと思い出す、昼間のウサギの親子を。
「それだ! 悪いが、薬草を取ってきてくれないか!?」
「あい分かった!」
キングウルフは巨体を翻し、軽い身のこなしで遠くの森へと走っていった。
苦しそうにする女性を心配そうに見つめる。
「僕を守ろうとして、怪我をさせてしまってごめんよ……」
少しでも楽な体勢になるよう、丸めた腕や体を引っ張り、なんとか仰向けに寝せた。
苦悶の表情を浮かべていた女性は、徐々に朗らかな顔を見せ、かすかな寝息を立てた。
僕はその美しさに見惚れ、ただそばに寄り添った。
数分後、キングウルフが血だらけになって帰ってくるとも知らずに――。
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