プロローグ
「危ない――!」
動物園のホワイトタイガーが脱走した。
とっさに子供をかばった僕は、ただのエサになった。
気が付いたら、広大な森が広がる異世界に転生していた――。
お日さまの光がじんわり温かく、そよ風がヒゲを揺らして心地良い。
どこまでも続く森を見渡せる丘にぼーっと座りながら、神様との会話を思い出していた。
「藍原誠、あなたの一生は終わりました。さっそくですが、次の人生にご案内します」
真っ暗で、意識だけを感じる空間の中。声も出せず、ただ聞いていた。
「あなたが次に生まれ変わるのは……キングウルフ。よろしいですね?そこであなたに世界を救ってもらいたいと思います」
(ちょっと待ってくれ! 一生が終わった!? 次の人生? いいわけないだろ!)
「ハァ……。面倒ですね。やっぱり、野ウサギにしましょう。あなたの次の人生は野ウサギです。あとは、あなたが向かう世界は……ここにしましょう」
声だけ聞けば美しい女性のようだ。少々、短気なところがあるが。
「安心してください。あなたが住んでいた日本と似ている世界を選んでおきましたから」
(え? それは、ありがとうございます)
「その他諸々は、適当にこちらでまとめておきますので」
(え!? それだけ? もっとこう、色々説明が必要なんじゃないか?)
「文句があっても面倒なので、省略しますね」
どうやら神様は事務的で、根に持ちやすいタイプのようだ。
その後、いくつか言葉を交わし、神様はキメ台詞のように言った。
「それでは、ご武運を――」
そして、僕が世界に降り立った、その日。
美しい流星が、二つに分かれて落ちたという。
同日、キングウルフではなく、一匹の、ただの野ウサギが誕生した――。
「ずっとここにいるのも飽きてきたなぁ……。徳も積まないといけないし」
神様は最後に「徳を積むことで、元の世界に帰れる可能性もある」と言っていた。「可能性」だなんて随分と曖昧なことを言ってくれる。
「さっさと徳を積んで帰って、大好きなコーヒーでも飲むか!」
生きていた頃に彼女でもいれば、原動力になるのだろうが、あいにく二十歳で独り身。
カメラが趣味で、たまたま一人で動物園に居合わせただけだった。コーヒーを片手に休憩してたところ、子供を助けるために飛び出してガブリ……。
しかし、もう過ぎたことは考えても仕方ない。
「まっ、なんとかなるか……!」
歌えているかも分からない鼻唄を歌いながら、森をぴょこぴょこと進んだ。
木々が生い茂る道を跳ねていると、野草を集めている野ウサギの親子を見つけた。
(ラッキー! これは徳を積めるチャンスかもしれない!)
親子ウサギにそっと近付く。僕の鼻が、自然とひくひくと動いた。
(ところで……言葉ってどうなるんだ? そもそも伝わるのか……? とりあえず話しかけてみるか)
「こんにちはー! 野ウサギさん、何されてるんですか?」
「あら、若い子に話しかけられるなんて、私も捨てたもんじゃないねぇ」
(何を言ってるんだこのウサギは。年齢なんて全く分からないが……しかも、僕は若いウサギに転生していたのか。言葉は通じるみたいだし、良しとするか……)
「そんなに見つめられても、私には旦那も子供もいるから。申し訳ないけど……」
母親ウサギは立ち上がり、手を合わせてもじもじさせながら答えた。
「いえいえ! そんなんじゃなくて、何か困っていることがあればお手伝いしたいと思って……」
異世界にきて、まさかナンパをすることになるとは思わなかった。生きていた頃でさえ、したことなかったのに。
「優しい青年だねぇ。それじゃぁ、ちょっとだけ話だけでも聞いてもらおうかしら」
母親ウサギは、薬草をせっせと集める子ウサギを見つめながら話した。
どうやら、旦那がひん死の怪我を負い、その傷を癒すために薬草を集めているそうだ。しかし、怪我は重く、薬草などでは到底治りそうにないらしい。息子が一度差し出した薬草をないがしろに出来ず、旦那は空元気で効いたフリをしたらしい。
「それ以来、こうして毎日、薬草を集めに来てるってわけなのよ……」
「そうだったんですね……それはお気の毒に。何か力になれればいいんですが……」
「ママ~! こっちこっち~! たくさん集めたから、拾うの手伝って~!」
草の陰から、可愛らしい男の子のような声がした。
「は~い! 今行くわね!」
返事をした母ウサギはこちらを振り返り、丸くて綺麗な瞳を潤わせながら言う。
「こうして聞いてくれただけでも、十分嬉しかったわよ!」
そう言いながら、まるで親が子供の熱を測るようにして、ふわふわしたおでこを、僕のおでこにくっつけてくれた。
――ピコン!
「ん? 今なにか……変な音がしませんでしたか?」
耳元で効果音のようなものが鳴った気がした。
「変な音? 私には聞こえなかったわよ。それじゃぁ、またどこかでね! 幸運を!」
「ありがとうございます! またどこかで!」
母親ウサギはぴょんぴょんと息子の元へ駆け寄り、僕も歩いていた道へと戻った。
(さっきの音は、なんだったんだろうか……)
「あれはスキルを取得した音です」
僕の耳がピンと立ち上がる。
「誰――!?」
俊敏な身のこなしで跳ね上がり、周りを見渡すが……何もいない。
(いや待てよ……今の声、どこかで聞いたことがある)
「まったく……あなたの記憶力はどうなっているんですか?」
(その嫌味は……やっぱり神様だな!)
「ハァ……。トラブルがあったことを伝えようと来てみたものの……面倒ですね」
(あ! 今、絶対ムスッとしたでしょ! 面倒っておい! しっかりしてくれよ!)
「……それでは、ご武運を――」
神様はキメ台詞のように言った。
(え、神様……!? 冗談です! ごめんなさい、冗談ですから!)
それ以上、応答はなかった。
神様が短気なことを肝に銘じておこうと、ふさふさの胸に刻んだ。
諦めて、自分の目で見て解決することにした。よくわからないまま、頭の中でステータスをイメージしてみる。
僕の前に、透けたウインドウが現れた。
「案外、やってみるとできるもんだ……!」
その中にあるステータスという項目を見てみる。
名前には「マコト」と書かれていて、種族には「野ウサギ」と書かれていた。
体力や能力値に目を向ける。
「いち……じゅう……? 二桁って……これ、すごく低くないか……? でも、まだこの世界の基準も分からないしな! うん!」
不安を覚えながらも、「なんとかなる精神」で振り払った。
次にスキルと書かれた項目を見てみた。
そこには「授かりし者」と「跳躍」と記されていた。よく分からないが、自分の特性みたいなものだろうか。
スキルは押せないようになっているが、常時発動するいわゆる「パッシブスキル」とかいうやつだろう。
ただ、もう一つのスキルには全く心当たりがなかった。
「魔王の、目覚め……?」
しかも、このスキルは選択可能になっている。
ふわふわした手で、スキルボタンを押してみる。
『使用しますか――? YES NO』
アフォーダンス理論、いつかテレビで見たそんな言葉を覚えている。詳しくは覚えていないが、ボタンがあると押したくなってしまう衝動は、この理論が影響しているらしい。
僕のふわふわな手は、迷わずボタンを押した。
『YES――』
その瞬間、目の前が真っ白になった――。
ぼんやりと目を開ける。辺りは暗く、月明かりがやけに明るい。
手足、そして耳が動くことを確認する。
「いたた……体のあちこちが痛い……何が、起きたんだ……?」
周りを見渡して、気付いた。
ついさっきまで存在していた森が、無くなっていた――。
痛みに顔を歪めながらも、状態を見るためにステータスを開いた。
「え……? これは、どういうことだ……? 僕……なんか、しちゃったかも……?」
二桁だったステータスが軒並み増えていて、どの能力値も数万単位になっていた。
種族には「魔王」と書かれていた――。
少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価などいただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたします。