液体猫と幽体人間
飼っている犬や猫達が何もない一点を見つめてじっとしている光景を、一度は目にしたことがあるだろう。しかしそれは何もないところを見ているのではない。皆、幽霊と話をしているのだ。
「えっと、何か顔に付いてる?」
広い交差点の傍で首輪のない三毛猫にじっと見つめられた若い男は、猫の眼差しに答えるように問いかけた。
「いや、何も」
「うわ喋った!」
もちろん猫から返事が返ってくるとは思ってもいなかった。それも人間の言葉が猫から出てきたのだから驚くのも無理はない。
「そりゃあ喋るさ、猫をなんだと思ってるんだ」
「猫だから驚いてるんだよ。なんで喋れるんだよ」
「猫含め動物たちは幽霊と話ができるんだ。お前幽霊のくせに知らないのか?」
「知るわけないでしょ。というか俺幽霊なの?」
男は恐る恐る視線を下にやり、自分の影を確かめた。しかしそこには黒く伸びているはずの影は無く、透けている足も確認できた。
「えっ、俺死んだの・・・」
「なんだ今気づいたのか。てことはどうして死んだのかも分からないみたいだな」
「全然覚えてない。もしかして会ったことある?俺に何が起きたのか知ってるのか!?」
「・・・さぁな、知らね」
男からの問いかけを蔑ろにしてそっぽを向いた猫は、途方に暮れていた男をよそに家と家の狭い隙間へと進んでいった。
「付いてきな、なんで死んだのか知りたいんだろ。協力してやるよ」
「付いてきなって、そんな細いとこ通れないんだけど」
「何言ってんだ、幽霊だろ。通り抜けられるじゃねぇか」
そう言葉を吐き奥へと進んでいく。男は猫の尻尾を目印にはぐれない様に付いて行った。
「そういえば君野良猫でしょ?名前つけさせてよ」
「どうとでも呼んでくれ」
少し考えた男はいい名前が浮かんだかのような顔をして口を開いた。
「ミケだ!今日から君はミケ!」
「三毛猫だからミケか。・・・センスないな」
いい反応を貰えると思った男はミケの予想外の反応に少し戸惑った。それを感じ取ったミケは「まぁ、せっかくだからありがたく貰っておこう」と咄嗟にフォローを入れた。そんなミケの表情には嬉しさが垣間見られた。野良猫として産まれたミケは、自分に名前を付けて貰えるとは思ってもいなかったのだろう。そんな表情を男に見られまいと足を速めていった。男はそんなミケの隠しきれないピンと立った尻尾を追っていった。進むにつれてミケが通る道幅は、尻尾ほどの隙間が多くなっていた。
「それにしてもずいぶん細いところ通れるんだな。猫ってそういうものなのか?」
「ある程度細いところは皆通れるが、俺は特別だな」
そう言って近くにあった小さい空の植木鉢に体を丸め込んだ。するとミケの体は植木鉢にすっぽり納まり、液体のように隙間なく入って見せた。
「俺の体は他の猫より一段と柔らかいんだ」
すごいだろと言わんばかりに植木鉢から尻尾を出し左右にゆっくりとなびかせた。
「ただ、そのハンデかは知らないが他の猫よりも水がめっぽう弱くてな。少しでも濡れると足運びが悪くなるんだ」
尻尾に夢中になって話をあまり聞いていない男は「猫も大変なんだな」と空返事をしてミケを眺めていた。
「ちょっとここで休憩させてくれ。思ったより心地がいい」
「もちろん、俺も景色がいい」
植木鉢に入り尻尾を振る猫と、それを眺める幽霊という異様な光景がしばらく続いた。五分ほど休憩をして二人は再び足を進めた。
「そういえばさっきからどこに行こうとしてるの?」
「会わせたい猫がいるんだ。その猫なら何かヒントをくれるかもしれないと思ってな」
狭い路地を抜けると、小さいコインパーキングに出た。精算機の横には黒猫が座っており、ミケ達に気づくと挨拶を交わすように尻尾を振った。ミケも尻尾を振りながら黒猫の方へ向かっていく。顔を合わせた二匹は男には伝わらぬように「にゃぁ~」と四回ほど猫語を交わし、男の方を向いた。
「こいつがさっき言った会わせたかった猫だ。人間の世界で言う彼女みたいなもんだ。よろしく頼む」
「よろしくね。貴方のことは今彼から聞いたから、私も協力するわ」
「ありがとう。クロ」
初めての呼ばれ方に戸惑い「クロ?」と聞き返した黒猫に男は「君の名前だよ。クロ」と自信ありげに答えた。
「すまないな、こいつネーミングセンスが皆無なんだ。俺にもミケと名付けた罪がある」
「罪ってなんだ、それに皆無は言い過ぎじゃない?」
自分のネーミングセンスの無さをまたしても指摘され落ち込んだ男を慰めるように、クロは咄嗟に尻尾を立て「ありがたく貰っておくわ」とミケと同じように恥ずかしげに答えた。行動を共にしていると言動が似てくるのは猫の世界も同じらしい。
「それで、協力って何してくれるの?何か知ってるの?」
微かな期待が伺える表情でクロに問いかけた。しかしクロはミケとアイコンタクトを取り、「それは・・・」と言葉を濁して話を続けた。
「私も詳しくは知らないの、ごめんね。でも、生きてた頃よく通ってた場所とか行ってみたら何か分かるんじゃない?」
クロからの返事は男が求めていた答えとは違い、直接真相に関わるものではなかった。しかし男にとって手がかりが一つもない今、クロの言葉に従うことが自分の身に起きた出来事を知るための近道だった。
「ありがとう。そうしてみるよ」
クロに微笑みながら手を振ると、男はその場を離れていった。すぐにでも行動に移したかったのだろう。ミケも男を追いかけるように「俺も付いていく。じゃあ、またあとで」とクロに言い残しコインパーキングを後にした。「うん、あとで」と返したクロは心配そうに二人を見送っていた。
クロの助言の通り、男は普段使っていた家から駅までのルートを通ることにした。
「見て、ここが俺の家。どうだ、でかいだろ」
家の前に着いた男は三階建ての一軒家を指差し、誇らしげに自慢した。
「家がない猫に家の自慢するなよ」
「ごめん、そんなつもりじゃ・・・」
「基準が分からん」
「そっちかよ」
家に興味を持ってもらえなかった男は、不満ながら仕方なく進みだした。少しすると広い交差点に出た。
「ここ、さっきお前と会った場所だな」
「実はさっきここにいたのも駅に向かおうとしてたからなんだ。もちろん、その時はいつものように会社に行くつもりでいたけどね」
「人間って会社好きだよな。皆行ってるみたいだし」
大きな勘違いをしているミケのセリフに男は笑いながら答えた。
「好きで行ってる人なんか滅多にいないよ。少なくとも俺は嫌いだな」
行動と感情の矛盾に理解ができないミケは、頭の上にクエスチョンマークを浮かばせた。
「人間のことはよく分らんな」
「猫のこともよく分からないよ。特にミケみたいな液体体質の猫はね」
皮肉の通じないミケは、褒められたと勘違いし誇らしげに足を進めた。もちろん、尻尾はピンと立っており、喜びを隠せてはいなかった。
「そういや、死んだ原因知った後どうするんだ?」
「何も考えてないや。また自分の知らない間に成仏でもしたりして」
「知らない間に死んで成仏までする奴がいてたまるかよ。野良猫みたいだな」
「野良猫ってそうなの?」
「成仏は知らんが、死ぬときは人目を避けるんだ。知らない間にあの猫が死んでた、なんてことはよくある」
「それ目線違ってない?」
「細かいことは気にするな。そんなんじゃ成仏できないぞ」
「適当言わないで」
中身のない会話をしながら歩いていると、周りに登校中の小中学生が増えてきた。
「学校が多いんだなこの辺り」
「そう、毎朝子供たち見て元気貰ってたよ。でもここら辺交通量多いから、ヒヤッとすることも少なくないんだけどね」
そんな話を聞いたミケは「へぇ~」とどこか上の空になりながら下校中の子供たちを眺めていた。
「子供好きなの?」
「たまにエサくれるから好きだな。でもこの間、腐ってドロドロになったエサを寄こしたあいつだけは絶対に許さん。おかげでまともに歩けなかったんだ」
「ドロドロの液体を食べるなよ」
そんな他愛もない話をしているとあっという間に駅に着いた。 男の横で足を止めたミケは「どうだ、何か思い出したか?」と男の顔色を伺うように聞いた。
「いや、はっきりとしたことは何も」
「そうか・・・」
落ち込んだように見えたミケを見て男は「ただ・・・」と言葉を付け足した。
「あの交差点で何かあったような気がする」
その言葉を聞いてはっとしたミケの表情を、男は見逃さなかった。
「本当は知ってるんじゃないのか、俺が死んだ理由」
男が意を決して聞くと、ミケは渋々「ああ、知ってる」と暗い顔をして答えた。
「だったら教えてくれよ、なんで黙ってたんだ」
「本当にいいのか?」
「もちろん、大体の予想は付いてるし」
覚悟を決めたような男の表情を見たミケは、その日男の身に起きたことを話し始めた。
「何日か前の午後4時くらいだったかな。横断歩道の信号が赤に変わってすぐ、酷い夕立が襲ってきたんだ。その時起きた悲しい事故だった」
ミケは男から視線を逸らして少しうつむき、話を続けた。
「雨宿りしようとしたんだろう。向かい側の屋根に入るために横断歩道を飛び出した小学生を、お前がその身を犠牲にして助けた。一つの小さな命をお前は救ったんだ」
「やっぱり、なんとなくそんな気はしてたんだ。それで、その子は無事なのか?」
「ああ、お前のおかげで傷一つなく無事みたいだ」
「よかった、死因が分かってすっきりしたよ。ありがとう」
「黙っててすまない、思い出したほうがお前のためになると思ってな」
気を落としたミケに「大丈夫だよ、ありがとな」と言葉をかけ、子供の無事を聞いて安堵した男は足音を立てずに静かにその場を離れていった。
「おい、どこ行くんだ」
咄嗟に呼び止めたミケの言葉が届くことは無い程、男はあっという間に遠くへと姿を消していった。男と入れ違いに、横の路地からこっそり聞いていたクロが歩み寄ってきた。
「本当のこと言わなくてよかったの?」
「言えるわけないだろ。俺の口からどんな顔して話せばいいんだよ」
いつの間にか下がっていた尻尾に連なるように、顔をうつむかせた。それと同時にミケの耳に水滴が落ちてきた。
「うわ、雨だ。もう雨にはうんざりだ」
二匹は咄嗟に近くの屋根に入ると、強くなっていく雨を眺めながら濡れた耳を乾かすように手で何度も拭った。
「名前くらい聞いておくんだったな」
「なんだ、聞いてないの?何も恩返しできてないじゃない、ミケ」
「やめろよ。クロ」
男から貰い気に入っていた名前で呼び合うと、クロはミケの傍に近寄った。 途端に姿を消した男に恩を返せずやるせない表情を浮かべたミケは、何もない一点を見つめ呟いた。
「助けてくれてありがとな。」
2017年にイグ・ノーベル賞を受賞した論文の一つ、「猫は個体かつ液体の両方になれるのか?」から着想を得て久しぶりに更新しました。猫液体説はネット上で割と有名なジョークらしいですね。
近所に野良猫がめちゃくちゃいてモデルが近くにいるので書きやすかったです。
態度ではぶっきらぼうでも尻尾が正直なところは自分で書いてて猫かわいいと思いました。もっとかわいいとこ見せてほしいです。猫は世界を救う。猫カフェ行きたい。love and peace and cat.