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9、隣人 3

「じゃあ、早速明日から来て貰えますか?」

 三十歳半ばの小柄な店長は、僕の履歴書をもう一度確認するように見ながら、穏やかな口調で言った。

「有難うございます」

 僕は緊張からやっと解放されて、ほっと笑顔を向けた。神経質そうに眉間に縦皺を作っていた店長も、

「時間は午後7時から11時の4時間で、主に商品の補充だけど、また慣れてきたら他の仕事も頼む事になると思う。それは了承して置いて下さい」

 と、太い眉をハの字して顔を緩めた。

「はい。一人暮らしで夜は暇なんで、頑張ります」

 僕はもう一度、丁寧に頭を下げた。

 余程、人繰りに困っていたのか、短い時間で即決だった。まあ、学生バイトなど、真面目そうならそれで良いくらいの感覚なのだろうが、緊張していた僕も気が抜けるくらいに簡単に話がついた。

 

 僕は店を出て、駅へ続くメイン通りを小走りに、さっき見つけたケーキ屋へ向かった。

 雨はもう、傘なしでも気にならないくらいに小降りになっている。でも、降り続いた雨のせいで、通りの両側の店はどこも暇そうだ。休日なのに人通りの少ない通りに、店から漏れるBGMが流れてくる。

 傘を引き摺るように歩き、クリーム色の壁の小さなケーキ屋へ入った。中にはショーケースの向こうに二人、まだ高校生のような店員がいて、明るい声で「いらっしゃいませ」と言って、笑いかけた。

「えっと……」

 甘い匂いが漂っている可愛い感じの店内。少し照れ臭くって、すぐに背を丸めながらショーケースを覗き込んだ。しかしケーキと一口に言っても、こんなに種類があるのかと驚く。考えてみると、ケーキ屋へ一人で入るのなんか初めてだ。ケーキより、絶対「から揚げくん」の方が旨いと思っいるし、甘ったるい匂いが何だか照れ臭い。

 矢木京の顔を思い浮かべ、まったりと甘そうな生クリームの中に真っ赤なイチゴが埋まっているショートケーキを頼んだ。そして、生クリームが苦手な自分のためにチーズケーキと、大人の味がしそうなショコラ。

「ありがとうございます。1580円になります」

 痛い出費ではあるが、京が目を輝かせて、『ありがとう』なんて言ってくれると思えば、安いものだ。それにバイトも決ったんだ。二人で向かい合って、バイト決定祝いなんてことになるかも……。いろいろな事がとんとんと進んでゆくようで、彼女とのこともうまく行きそうな気がして、気分は上々という感じ。

 若い店員に、声を揃えて「ありがとうございました」とお辞儀をされ、良い気分で店を出て、帰りを急いだ。


 雨は、細かい粒がポツポツと顔に当たるくらいになり、やっと止みそうだ。空はまだどんよりと重い雲が覆っているが、西の方が少し明るくなってきたように思える。

 小さなケーキの箱を手にぶら下げ、湿気の溜まった歩道を歩いてゆくと、真新しい家の屋根の間から古いコンクリートの建物が覗く。

「やっぱり、鬱陶しいマンションだよなあ……」

 自分の住んでいるところだと思いたくないような、雨でますます薄黒く変わった外壁を、溜息を吐いて見上げた。

 奇麗な街に、その一画だけ忘れ去られたようなマンション。幽霊話があっても不思議じゃない。また、その建物の周りを、大きな木が取り囲んでいて、まるで隠しているような感じに見える。都会の街の緑は、公園であっても、まるで庭木が植林されたように人工的な感じがするが、そこは森の木のように伸び放題で、手入れもされていない。余計に薄暗く思える。

「あれ? こんなとこに公園がある」

 マンションの敷地のブロック塀と、2階建ての大き目の家の間の細い道の突き当たりに、小さな公園があった。通りからはブランコが家の軒の影から半分見える。古い木のシーソーと二つの座面をぶら下げた小さなブランコ。僕の部屋からは見下ろせない位置にあったので、気がつかなかった。通りから奥まったところに、本当に人気もなくひっそりと存在している。

 ここもお天気が良くなれば、子供の声で賑やかになるんだろうと思いながら、ひびの入ったコンクリートの門を通りマンションへ戻った。


 玄関に入り、薄暗い階段を三階まで上り始めた。

 ここの階段はマンションの中心に作られているので外には面していない。踊り場の明り採りの窓と、階段の裏側についた小さな四角いシーリングライトだけが、ぼんやり照らしているだけだ。曇った今日は足元が見難いほど薄暗い。階段は5階までは吹き抜けになっていて、手すりから顔を出すと、下の階を上って来る人が見える。雨の日は濡れないので助かるが、薄暗さはたまらない。

 後、数段で三階の廊下にたどり着くというところで、僕は不意に足が止まった。

「ん?」

 何だか階段の上の方で、呼ばれた気がした。僕は反射的に手すりから顔を出し、上の階へ続いている吹き抜けを見上げた。

「あ……」

 斜めになった上の階へ続く階段の手すりから、小さな顔が覗いていた。黒い髪をサラリと垂らして、白い顔が、はっきりと僕を見つめている。黒い瞳は大きく見開かれたまま、じっと動かない。

 誰?――――僕は、上に向かって叫ぼうとした。でも、何故か声が出せない。 

 僕を見つめるその顔は、とにかく血の気のない白さで、子供らしい笑みも浮かべていない。ただ冷えた視線で僕を捕らえてる……!

 

 

お読み頂き有難うございます。

ホラーの長編は初めてなので、出来るだけ丁寧にと進めていますが、なかなかホラーらしくならない(泣)

もうしばらくお待ちください〜!

ご意見ご感想頂けたら嬉しいです。

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