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7、隣人 1

「矢木さん?……、 どうかしたの?」

 彼女は、指で滲んだ涙を拭いながら、

「ご、ごめんなさい。なんでもない。……ちょっと、妹の事思い出しちゃって……」

 と、鼻を啜って恥ずかしそうに俯いた。妹の事を思い出して泣くなんて、ちょっと理解できない。訳ありなのか?

「もしかしてホームシック? 初めての一人暮らしなの?」

「うん。家は千葉だから、去年は家から通っていたの。十分通えるんだけど、ここに住みたくって1年がかりで親を説得したわけ」

「幽霊に会いたくって?」

 ジョークのつもりで笑って言うと、彼女はチラッと僕を見て、困ったような顔を返した。

「そういうことじゃないけど……。ここの家賃は安いし、大学も近いというのが一番の理由よ」

「だろうね。僕も何軒も見て、家賃の安さで決めたから。東京は高いからね」

 矢木京は、大きな瞳をくるっと動かすと、大きく頷く。

 僕は、冷めてしまったコーヒーを飲み干しながら、もう一度幽霊の事を持ち出した。

「その女の子の幽霊って、本当なの? 誰か見たの?」

 彼女は、細い指を立てて、手のひらを振りながら、

「噂よ、噂。気にしないで。別に誰が見たって言う話じゃないから。ほら、古いマンションってそういう話、よくあるじゃない。あそこは見るからに出そうな雰囲気だしね。その程度の話よ」

 と、言い訳するように言った。

 僕をからかって言ったのかと、ちょっとむっとしたが、彼女と僕の共通の話題は大学とあのマンションだ。一つのネタとしては面白い話だ。「都市伝説研究会」だなんて、ふざけたサークルに入っている彼女が、不気味な話に興味を持っていない訳はない。

 カップを両手で支えて、コーヒーを飲んでる彼女に、僕はもう一つ尋ねた。

「妹って、まだ小さいの?」

 彼女は傾けた手を止めた。そしてカップを胸の位置で大事そうに持ったまま答えた。

「うん、まだ6歳……小学校にも行ってない……」

「へえ、歳が離れているんだね。僕の妹なんか、僕と同じ大学に入るって、受験勉強中だ」

「あ、田崎君も妹さんいるのね?」

「うん、すっげー生意気なヤツ。お袋が二人いるみたいだよ。うるさいのなんのって。可愛いけど喧嘩ばっかりしてる」

 僕は口をへの字にして、困った顔をした。まあ、確かにしっかり者の妹ではあるが。

 彼女は微笑んで僕の話を聞いていたが、ポツリと呟くように言った。

「田崎君のうち、楽しそう」

 そう言った彼女の微笑は、何だか淋しそうだった。

「矢木さんの妹はどんな子? 歳が離れていると可愛いだろうね?」

「うん。お姉ちゃんお姉ちゃんって纏わりついてきて、本当に可愛かった……。でも、ずっと離れているから、5年くらい会ってないの……」

 彼女は、また泣き出しそうな顔になった。

 どんな事情か分らないが、暗い表情の原因は会えない妹だったと知って、尋ねてしまったことを後悔した。

「ごめん。余計な事を訊いちゃった」

「あ、私こそごめんなさい。もう忘れなきゃあって思ってるんだけど……」

 彼女は、少し残っていたコーヒーをゆっくりと飲み干した。伏せ目がちな目に、長い睫が涙でぬれている。彼女にとって、家族の話は辛い事なんだ。皆がみな、僕のように暖かい家族の中で育ったとは限らない。

 もう二度と、彼女の前で家族の話はしないと、誓った。

 笑顔のなくなった彼女を見ながら、話題を変えようと一つ咳払いをして、ずっと言いだす機会を待っていたことを口に出した。

「あ、あの、矢木さん。僕、東京って慣れてないから、暇が出来たら案内して貰えますか? 渋谷とか行って見たい街があるし」

 思いっきり照れてしまったが、これだけは言わないとと彼女をじっと見つめ、返事を待つ。

 俯いた顔を上げると、彼女はにこやかに笑っていた。

「うん、いいですよ。いつでも声を掛けてください」

 僕はホッとして、彼女に笑いかけた。少なくとも、ただの隣人以上に近い存在になれそうな約束を取り付けたわけだ。

 いろいろと複雑な事情を抱えていそうな人だが、思わぬ出会いに僕の気持ちは高鳴っている。幽霊(?)マンションの思いがけないプレゼントじゃないか。

 矢木京は、今まで会ったどの女の人より、魅力的な人に思えた。僕の顔が緩みっぱなしなのも仕方ないだろう。

 運命的な出会い……。そんな少女趣味な言葉が、頭の中を駆け回っていた。

お読み頂きありがとうございます。

怖い要素はあんまりありませんので、気楽に読んでいただけたらと思っています。

宜しくお願いします。

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