6、気配 3
白い壁のカフェテリアの中は、昼時だからか、結構混んでいる。
「あと3日で、晴れてW大の学生ですね。楽しみ?」
矢木京は、白木の4人掛けのテーブルに置かれた白いコーヒーカップを口元に運びながら、にこやかな笑顔で、向かいの席の僕を見た。
「そう、楽しみだよ。W大目指して頑張ってきたから」
「良い大学だよ。結構、自分のやりたいことがやれるっていう環境が整ってる。個性的な教授も多いしね。一年通って、私はそれなりに満足してる」
彼女は、一口含んだコーヒーをコクリと咽を鳴らして飲むと、W大の学生であることを自負するように背筋を伸ばして一つ頷いた。彼女の前で、ドキドキして真っ直ぐに目を向けられない僕とは対照的に、大人びた笑顔でカップを口に運ぶ。勿論、昨日知り合ったばかりの年下の男に意識して緊張する筈も無いが、僕よりもずっと落ち着いた大人っぽい感じがした。
彼女は、後輩だったという気安さからか、大学の講義の事や、教授の事、語学が苦手で苦労した事など、いろいろと話してくれた。文学部と理学部では違うだろうがと付け足しながら、1年間の自分の経験を飾らずに聞かせてくれる。僕は真剣に耳を傾けながら、矢木京という隣人がとても魅力ある人だと思った。
「サークルとか、やってます?」
大学の事より、彼女自身のことが知りたくって訊くと、コーヒーのカップをソーサーにカチャリと戻して、少し身を乗り出した。
「やってるよ。面白いとこ入っているの」
「面白いとこ?」
彼女は、上目遣いで僕を見て、楽しそうに笑いを浮かべる。
「都市伝説研究会」
「は? 都市伝説って、あれ?」
「そう、いろいろと話題になってる巷の奇妙な話を鉦明しようっていう会。面白いでしょ」
「へえ、何か意外。オカルトとかそういうの、好きなんですか?」
彼女は、僕の質問に少し声の調子を下げて、視線を自分のカップに落とした。
「好き……という訳じゃないんだけど、気になることがあって。そういう情報を得るには良いサークルだし、中には霊感の強い人もいるから」
僕はカップに口をつけながら、ちょっと答えを躊躇っている彼女を見つめた。矢木京は、普段は明るい笑みを浮かべているが、時々ふっと暗い目をすることがある。今もそうだった。
しかし本当に、そんなサークルに入っていたとは驚きだ。
彼女は顔を上げると、今度は僕に、
「ねえ田崎君、知っててあのマンションに入ったんじゃないよね?」
と、真面目な顔で尋ねてきた。
「え? 知ってて? 何をですか?」
「あのマンションにも、奇妙な噂があるのよ」
「奇妙な噂? 何それ」
声を潜めた彼女を、僕は怪訝な顔で見た。彼女は少し周りを気にするように店内に目を配って、内密な話をこっそり聞かせるように、口元に手を当てて小声で言った。
「幽霊が出るのよ。あそこ」
「は? 幽霊?」
彼女の真剣な顔を見て、何だか僕はおかしくなって笑ってしまった。先輩らしく大人びた顔で話していた彼女が、突然高校生の女の子のするような話題を持ち出したのだから。
「勿論そんなこと知らなくて入居したよ。じゃあ、矢木さんはそのこと知ってて入ったの?」
「うん。大学に入る前に偶然知ったの。ほんとに偶然に。それで、あそこで住んでみたかったの……」
彼女はふうっと溜息を吐いた。「住んでみたかった」なんて、ちょっとおかしな言い方に、僕は笑えなくなった。幽霊が出ると知っていて住んだと言うのか?
「で、噂ではどんな幽霊がでるって?」
「小さい女の子……」
と、呆れ顔で言った僕に、彼女は無表情の顔で、ポツリと言って窓へ顔を向けた。
「女の子? 本当?」
僕は彼女にそう尋ねてから、言葉に詰まった。
その暗い顔でカフェの窓を眺めていた彼女は、黒い瞳にうっすらと涙を溜めていたから……。




