52、京の行方 6
「まだないのか? 京ちゃんからの連絡」
桂木が、パラパラとテキストを開きながら、遠慮がちに訊いて来た。隣でケータイをいじっている僕に、心配そうな顔を向ける。
「うん……」
「まあ、家に帰ってるんだから、何かと忙しいんだろ? もう一週間以上になるから、そろそろ戻ってくるんじゃね?」
桂木は二重顎に手をあて、頬杖をついたままで僕を見る。
「うん」
と、一つ返事の僕の浮かない顔を見て、桂木はため息を漏らした。毎日、同じことを訊かれて、同じ答えを返す。桂木も彼女のことを心配しているから、二人ともいつも沈んだ気分で黙ってしまう。
講義が始る前のざわついた教室が、僕には耳障りで仕方ない。もやもやと吹っ切れない苛立ちが、続いていた。
京は一週間前の短いメールを送ってきた後、また連絡を絶った。もう京が千葉へ帰って10日になる。彼女の家庭環境を思うと、僕のことなど考えている場合じゃないのだと自分に言い聞かせている。でも、何故ケータイを切る必要があるのか、僕には理解できなかった。寺にでも篭ってるんじゃないかと、桂木が言ったことを信じたい気持ちになるほど、僕は不安だった。
「桂木君! 今夜、来るんでしょ?」
ぼんやり辺りを見ながら席に着いている僕達の前に、同じ学部の女の子が三人立った。桂木は、急に背筋を伸ばして、顔を上げた。
「ああ、行くよ。誘ってくれてアンガト」
と、照れ臭そうに笑って答えている。
「田崎君も行こうよ!」
机にトンと奇麗なネイルの手を置かれた。顔を上げると、以前誘ってきた女の子が覗きこんでいた。
「え?」
彼女は首をかしげて微笑みながら、僕に顔を近づけて言った。
「最近、彼女と一緒じゃないね? 奥さんだなんて、バッカみたい! ふられたの?」
僕は、ムッとしてその子を見た。
「おいおい、アヤちゃん。つまらないこと言うなよ。田崎、今夜、俺んち泊まるんだろ? じゃあ、付き合えよ。同じ大学の仲間で集るだけだから」
「え、うん」
「じゃあ、決まりね! 先に行って待ってるから」
桂木は立ち去る女の子達に手を振られて、嬉しそうに赤くなっている。そういえば、この前から合コンがどうとかしきりに言っていた。
「一人で飯食うよりいいだろ? 京ちゃん京ちゃんって言ってないで、お前ももっと学生らしく弾けろよな」
「お前に言われたら、終わりって気がする」
「ウルセェ! お前さあ、絶対悪霊がついてるぞ。その暗さはただ事じゃねえ。まあ、気晴らしのつもりで参加しろよ」
桂木はウキウキした顔で言った。嬉しそうな様子に、僕は苦笑した。
僕と友達になったばかりに、確かに鬱陶しいことに巻き込んでしまっている。他の連中は、合コンだ親睦だと、キャイキャイやっているのに、かたや幽霊だ誘拐だなんて、暗い話ばかり聞かせて……。
「分った。行くよ」
「オッケ! いい気分転換になるよ」
桂木はポンと背中を叩いて言った。彼なりに、僕のことを心配しているのだろう。確かに、学生の集まりなんか参加したこともなかったから、それはそれでうじうじと京のことを考えているよりはマシだろう。それに、彼の部屋で一人思い悩むというのは、暗すぎる。
最終の講義が終わり、まだ西の空に夕焼け雲が残っているのを見ながら、二人で約束の居酒屋へ向かった。大学前の駅の繁華街の路地を入ったところにある、結構大きな居酒屋で、宴会用の個室があることから学生がよく集る店だった。
威勢のいい店員の声が飛び交うカウンター席を通り抜け、突き当たりの個室の簡易な襖を開けると、和室の長いテーブルを囲んで、丁度料理を注文しているところのようだ。6時集合と言っていたが、もう10人くらい集ってた。
「待ってたよ。桂木君、田崎君。こっちこっち!」
誘いに来た女の子達が、笑って手を上げた。
「おう、田崎! めずらしいなあ」
男連中は顔見知りのやからばかりで、内心気が楽になった。女の子は知らない子が混じっている。軽く会釈して桂木と胡坐を掻いて座った。
「今日はもりあがろうよ!」
飲み物と料理が次々運ばれてきて、わいわいと始った。
学部の女の子の一人が二人の女の子を紹介してくれて、桂木は照れ臭そうに、僕のことと自分のことを彼女たちに自己紹介した。彼女達は文学部の同級生だった。
陽気な桂木は直ぐに誰とも打ち解けて、いつものつまらないジョークを連発し始めた。桂木がいると、途端に場が和む気がする。
「田崎君。楽しくないの?」
と、アヤちゃんと呼ばれていた子が横に座ってきた。
「いや、そんなことないよ。皆と飲むなんて初めてだし、きてよかったよ」
「ホント? 彼女いないとつまんないんでしょ?」
アヤちゃんは、僕の隣に座ると、チューハイのジョッキを両手で持って、少しずつ口をつけながら、上目使いに見る。フツウに派手めで、奇麗な感じの子だ。少し体を捩るようにして、話しかけてきた。
「一人暮らしをしてるってことは、家は遠く?」
「ああ、信州。山に囲まれた田舎。近くにスキー場もあるよ」
「へえ、じゃあスノボーとかうまかったりする?」
「勿論、小さい時から滑ってるし。高校の冬休みは近くのロッジで、宿泊客にスキーを教えていたよ」
「カッコイ―ッ! ねえねえ、私やったことないの。教えてくれる?」
「ああ、いいよ」
チューハイのジョッキに口をつけながら、彼女に笑いかけて返事をした。彼女は屈託のない笑顔になって、「うれしーっ」と言うと、化粧で印象付けた目を大きく見開いて、パチパチ瞬きした。確かに、胸の大きく開いたフリフリのワンピースや、可愛い花のついたネイルの指先、肩に溜まったカールした髪、それに色っぽい眼差しは、十分僕を楽しくさせてくれる。彼女たちといるだけで、桂木のいう弾けた気分になってくる。何の遠慮もなく、明るく話しを交わして、笑う。得意なスキーの話で盛り上がって、女の子達とも直ぐに打ち解けられた。
「桂木君も北海道でしょ? スノボーとか得意じゃないの?」
一人の女の子が、相変らず食い捲くってる桂木に尋ねた。
「モチ、滑れネーよ。オレ、正統派のPCオタクだから、冬の野外は宇宙空間みたいなもんだ」
バカな桂木の答えに、女の子達は一斉にひいた。しかし鈍感な本人は、場を盛り下げて、きょとんとしている。
「キモ!」
と、アヤちゃんに吐き捨てられて、やっと状況が飲み込めたようだ。
でも、捨てる神あらば、拾う神ありとは、よく言ったもので、
「じゃあ、ネトゲーとかやってますか?」
と、文学部の女の子が訊いて来た。
「え? トーゼン! 制覇しつづけてるよ」
「わあ、私もハマッてるのがあるの。でも進めないところがあって。教えてほしいんだけど」
桂木は、ぱ〜っと表情を明るくして、テーブル越しに身を乗り出した。少し控えめな小柄な女の子も、社交辞令じゃなく好きなようで、桂木の意味不明な言葉に真剣に相槌を打っている。ここに来ているってことは、特定のカレシもいないのだろうし、友人としては、うまくいってくれたらと願った。
僕も、何だかんだと大学の情報や巷の話題、おいては真剣な議論まで、仲間意識が芽生える中次第に楽しい気分になった。皆、酔いも回ってきて、わいわいと盛り上がっている。
「ねえ、良かったら、ケーバン教えてくれない? また、集まる時連絡したいし」
アヤちゃんに言われて、僕は躊躇う事もなく、番号を交換した。
こういう付き合いも学生ならフツウのことで、何だか改めて学生であることを自覚した。
店は八時頃になると、賑やかさのピークを迎えたようで、ざわつく店内に店員の甲高い声が聞こえてくる。こういう店は、気楽に騒げて、肩を張らずに飲み食いできる。僕も普段飲まない酒に、テンションを上げられて、時間が経つのも忘れていた。京のことも、いつしか心の隅に追いやって、思いの他楽しい時間になった。
アヤちゃんとは、話が合って会話が弾む。彼女も僕を気に入ってる様で、何かと訊いてくる。でも、それも嫌な気がしなかった。
そんな中、突然ケータイが鳴り出した。
「♪〜♪〜」
「あ、僕のケータイだ」
アヤちゃんとの話を切って、ポケットからケータイを取り出す。
「あれ? 高藤さん? なんだろう……」
僕は彼女に断わって、ケータイを耳に当てながら、急いで部屋を出た。彼の名前を見ると途端に気持ちが沈んだが、トイレの前まで来て通話ボタンを押した。
「もしもし」
――「田崎? 何だ、えらく賑やかなところにいるんだな」
僕はむっとしたまま、返事をした。
「友人と集っているんで。で、何か用ですか?」
――「ああ、京ちゃんのことなんだが、取り込み中ならいいよ」
京のこと……。もしかして、彼にまた連絡があったのか?
「大丈夫ですから、言ってください。京から、連絡があったんですか?」
――「いや、ないから、実家へ電話した。いくらなんでも、おかしいと思ってね」
僕はホッとした。流石に連絡があったと言われたら、ケータイを投げつけていただろう。
――「京ちゃん、君のところにも連絡してないの?」
「ええ。でも、千葉で、家族と一緒のように言ってましたから、その内帰ってくるかと思って」
――「京ちゃん、実家にいないよ。もうこっちに帰ってきてるらしい」
「えっ?」
――「連絡取れないから、さっき千葉へ電話を入れた。そしたら、お母さんがもう1週間以上前に戻ったって言っていた。彼女、本当に部屋にいないのか?」
「戻った? そんな……。京の部屋は真っ暗で……。帰った様子は……」
僕は、頭の中が掻き乱されるようで混乱した。千葉にいないってどういうことなのか、直ぐに理解できなかった。
――「彼女の部屋を訪ねてみたのか?」
ドキンと鼓動が大きく打った。あの部屋に戻っているのか? あの不気味な部屋に一人で? 体にざっと冷たい水を浴びた気がした。段々と動悸が激しくなって、嫌な予感が頭に渦巻いてくる。
「どうかしたの? 田崎君」
ケータイを握り締めたまま、立っていた僕に、出てきたアヤちゃんが声を掛けた。
「あ、丁度良かった。悪いけど、マンションへ帰るから、桂木に言っといて。後でケータイするからって」
ケータイを切って、僕はそのまま店を飛び出した。
駅を駆け抜け、丁度滑り込んできた普通電車に飛び乗った。
「落ち着け。戻っているとは限らない。実際に部屋はいつも真っ暗だったじゃないか」
夜の闇に、鏡のように僕の姿を映す電車の窓に向かって、繰り返し呟く。汗が額を流れる。
ケータイをしなかったんじゃなくて、出来なかったのか?――――京の身に何かが起こってる?
電車のつり革を握る手が、ぶるぶる震えた。




