44、 命日 8
それからは京からのケータイは鳴らなかった。でも、桂木の鼾で起こされたり、部屋の中で微かにする物音にびくついたりで、結局、夜が明けるまで眠れなかった。
明るい部屋の中、ひそひそと小声で話す声に、再び目を覚ます。
掛け布団だけで、直に畳の上に寝ていたから背中がしびれて、寝返りを打つ。まだ頭は朦朧として思考は止まったままだが、何だが心地よい話し声を聞きながら、また目を閉じた。京が来ている。
「田崎は本当に心配しているよ。京ちゃんのこと」
「うん、わかってる。昨夜も寝ないでいてくれたんでしょう……。大学もあるし、バイトもあるのに、体壊したら私のせいだ」
「そんなに自分を責めるなよ。受験勉強で、寝ない体質になってるから心配ないよ。講義はほとんどこいつと一緒だから、俺がフォローしてやるし、寝ようと思えばどこででも眠れる。田崎を巻き込みたくない気持ちはわかるけど、今は思うようにさせておいてやれ。京ちゃん、だけどね」
布団を頭までかぶって転がっている僕を、見下ろしながら京と話していた桂木は、突然に布団の中へ潜り込んできた。
「うわっ! 止めろ!」
「時々はこうして刺激を与えてやらないと、こいつすぐ拗ねるからな。覚えて置けよ」
太い腕で、布団の中で羽交い絞めにされた。マジで鳥肌が立った。
「お前、ゼッタイ、ヘンタイだろう! 止めろって、そこさわんな! わああっ」
悲鳴をあげる僕を見て、京がおなかを抱えて、けらけら笑っている。お陰で朝から、一汗掻いた。
三人で、京の作った朝食を食べた。味噌汁を作ってもらって、桂木は感激して泣きながら食べていた。本当に朝も夜も賑やかなやつだ。
キッチンで京と並んで食器を片付けながら、夕べのことが気がかりで話しかけた。
「一度だけ? あの子が出てきたの。本当に大丈夫なのか?」
京は皿を洗いながら、
「うん。お札を貼ったからかなあ。ちょっとだけ来ただけ。女の方は現われなかった」
と、濡れた皿を僕に手渡した。それをふきんで拭きながら、訝しい顔で彼女を見る。
「へえ、高藤さんの怪しいグッズ、役に立つのかなあ。桂木がべたべたここにも貼ってるけど……」
玄関のドアや、襖、壁……。桂木が、何やら怪しい文字が墨で書かれた短冊状の紙を、十数枚貼り付けている。
「わからないけど、気持ちは楽になるでしょ? 守ってくれると信じようよ」
そう言って、京は手を止め、僕の手首を見た。
「だから、亮ちゃん。そのブレスは絶対外さないでね。私に何かあったら、助けて欲しいし」
「ああ、わかってる。未来の法曹界のイタコを信じるよ」
京が噴出して笑いだした。
明るくなった京に、僕は胸を撫で下ろしている。京も僕と同様に、いろんなことを考え、少しずつ答えを出して来たんだろう。たとえ結末がどんなに辛くても、たどり着けなくては前に進めない。京の心が決まったことは、彼女の明るい表情からも、察しがつく。
水晶のわっかは、照れ臭いほど、清らかな光を放っていた。
***
僕と京は、出来るだけ一緒に過ごすように心がけた。講義の時間が合わなくても、極力二人で通学して、お互いのバイトの時間を合わせて、二人でマンションへ帰る。勿論一緒にいたいという気持ちからだが、必然的にそうすることが身を守ることだと思っていた。
ただ、夜九時には京は自分の部屋へ帰った。まゆこに会うために。京を案じて、眠れない時間が不安でもどかしかったが、実はあれから女の幽霊は出て来ていなかった。高藤から貰ったお札のご利益(?)か、僕の部屋に怪しいことが起こらなくなったのだ。それに京も、部屋にはここ何日か真由子は来ないと言った。お札様々というところか。
小さい時、夏の怪談の古い映画を脅えながら見たことがあるが、壁のお札を見るたびに、その映画のシーンが思い浮かぶ。
「怪談 牡丹灯篭」っていう昭和の映画で、草木も眠る丑三つ時に、恋しい男の元へ、美しい日本髪の女が女中を連れて現われる。とり殺されると心配した周りの者が、家のぐるりにお札を貼ると、中に入ることが出来なくなって男に会えなくなる。毎夜、入る場所を探して彷徨う亡霊の手に持った、美しい牡丹のついた灯篭が揺れる様が、今でもはっきり脳裏に浮かぶ。ついには、恋しさに負けた男が自ら戸を開けてしまい、とり殺されてしまうのだが、あの時のお札の効力に目を見張ったものだ。
しかし、あくまでそれは創作の中の話であって、日進月歩のこの世の中に、最先端の科学を学ぶべき理工学部の学生が、部屋にお札を貼っているなんて洒落にもならない。くそ生意気な妹が見たら、死ぬほど笑い転げるだろう。
***
のど元過ぎれば……というが、幽霊が現われなくなって一週間、気にはなりながら、妹のことが僕達の生活から段々と影を潜めてきた。多分、京は気持ちは変わっていないと思うが、恐怖心が薄らいでいく僕に遠慮してか、あまり妹の事件のことを口にすることがなくなった。部屋で待っている女の子の霊にも会えていないように言った。だからかも知れないが、京は明るくなった。女友達とよく買い物にも出かけているようで、時々大学の帰りに、両手に紙袋を提げていたりする。中身は女の秘密とかで教えてくれなかったが、僕は彼女の気持ちが外に向いてきたことに安心した。
僕達は普通に大学へ通い、他愛もない話に熱中したり、休みに原宿や渋谷をぶらついたり、僕が望んでいたような二人の思い出がどんどん積み重なるような気がした。
このままで、いいじゃないか……朗らかに笑う京の横で、僕は心からそう思った。
ところが一週間して、突然、京が僕に言った。
「亮ちゃん、今から私、千葉へ帰ってくるね。一週間くらい戻らないと思う」
「え? 大学は?」
「うん、休む。家庭の事情で一週間休むって届けを出した。昨日継父から電話があったの。母も千葉へ戻るって言ってるし」
「そっか、仕方ないな。別に悪いことがあった訳じゃないんだろ?」
笑みのない京の顔を覗きこんで訊いた。京は僕をじっと見つめると、躊躇うように口ごもった。
「あ、明日、5月29日。真由子が誘拐された日だから……」
「あ……。そうか……」
京は時間を気にして、慌しく部屋を出て行った。何かあったらと自分の部屋の合鍵を置いて。
妹の事件の日――――僕は、途端に現実に引き戻された気がした。
いつもお読みいただきありがとうございます。
「命日」のサブタイトルが切れませんが(汗)、膨らみすぎまして・・・。
以後、あらすじ通り進めますので、これからもよろしくお願いします。
ご意見頂けたら嬉しいです。




