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42、 命日 6

 京の髪がパサッと、淡いピンク色のカーペットの上に広がった。

 僕はそのしなやかな髪の一本一本を慈しむように、何度も額から撫で付けた。そうしながら、ただ京を見つめる。僕の体の下の京は、穏やかな顔で微笑み、ほんのりと頬を赤く染めている。

 そして、そっと片手を僕の頬に伸ばしてきて、

「よかった。戻ってきてくれて……。また、元の私に戻るのかと思うと、気が変になりそうだった」

 と、微笑んだ目を潤ませて呟いた。

「元の……?」

「亮ちゃんに逢うまでの私……。妹がいなくなった日から、自分を暗い箱の中に閉じ込めてきた。私自身のの幸せなんて考えること事態が罪なんだって。真由子の姉はいても、矢木京なんていないんだって……。そう思ってきた」

 溢れた涙が目尻に流れた。胸が苦しくなる。京の涙はいつも、僕を悲しくさせる。慰めることが出来ない自分が腹立たしい。

「京……」

 指で、涙を拭った。京は瞳を閉じて、顔に触れる僕の指をじっと受けている。

「でも……」

 と、京は目を開けると、薄っすらと笑みを浮かべた。

「私、思ったの。少しくらい京になってもいいだろうって。真由子のことは絶対に忘れたり出来ない。でもね、亮ちゃんがいなくなると思ったら、本当に悲しかった。だから、貴方が京を好きでいてくれるなら、私は京でいたい……。ふふ、何だか変な話だけど……、分って欲しい……」

 京は両腕を僕の首に回して、僕を引き寄せ、自分からキスをした。そして、息をつく合間に僕に囁いた。

「真っ暗な箱の蓋を開けてくれたのは、亮ちゃんだよ」

「京!」

 堰を切ったように、想いが溢れる。京を思いっきり抱き締めてしまった。

 たとえ今、新宿の交差点のど真ん中に居たって、僕は京を抱き締めずにはいられなかっただろう。誰が見ていようが、もう止められない。今すぐ京を自分のものにしたいと思った。

 僕の唇を待つように、顎を上げ、襟ぐりの開いた黄色いTシャツから白い肌を見せた。その襟元から首筋まで、愛おしさをぶつけるようにキスした。そうして、手を差し込み、下着と一緒に捲し上げた。柔らかい乳房を掴むと、京は体を反らせ甘く吐息を漏らした。

 京は僕のものだ――――そんな傲慢な気持ちが、悲しいほど溢れてくる。僕のことだけを考えて、僕のために笑って、僕にだけ涙を見せて欲しい。

 高まる欲望をぶつけながら、京の乱れてゆく姿を見つめた。

 誰のために、何のために生きてるかなんて関係ない。今、この瞬間は、僕ら二人だけのものだ。

「亮……、愛してる」

 どんな苦悩も消し去ってしまう魔法の言葉が、京の震える唇から漏れた。

 僕はもう、何もいらない。

 


 ***



「雨降って、地固まるって?」

 ムスッと不機嫌な顔をして、桂木は、並んで正座している僕と京の前でため息を吐いた。

「あははは……」

「笑って誤魔化すな。俺は本当に心配だったし、二人が話しできるように時間まで潰してやって、帰りにまた降り出した雨に遭ってびしょぬれ」

 桂木は、風呂上りの濡れた頭をガシガシ拭きながら、口を尖らせた。京と仲直りして、僕が自分の部屋に戻ると、桂木は雨に濡れたまま、薄暗い部屋で待っていてくれた。はっきり言って、彼の存在をすっかり忘れていたのだ。

「だから、悪かったって。ここ2〜3日、ホントにあり得ない事に遭遇して大変だったんだからさあ。僕達もきっと精神的に参っていたんだ」

 隣の京をチラッと見て、二人で頷き合った。

「何? また霊にあったのか?」

 と言って、慌てて桂木は口をつぐんだ。そして「しまった」という顔で京を見た。

「京、桂木にはここの幽霊の話はしてる。悪かったけど、妹の事件のことも……。こいつは信用できるやつだし」

「うん。桂木君になら、相談に乗って欲しい。楽しい話でなくって申し訳ないけど」

 桂木は、暗い表情になった京を励ますように、明るく話しかけた。

「京ちゃん。頑張れよ。田崎だって俺だって、京ちゃんの力になるつもりだから、悪霊なんかに負けるなよ」

 京は、パッと明るい表情になって、

「有難う。なんかすごい嬉しい」

 と、はにかんで桂木を見た。彼は真っ赤になって照れながら、僕に大学に行かなかった日の事を尋ねて来た。

 僕らは遭った事をそのまま、桂木に話した。はたで聞いていたら、どんなホラー映画だと思われるほど異様な話だが、彼は真剣な顔で耳を傾けてくれた。

 京も「まゆこ」と言った幽霊のことを話した。

「最初は怖かった。亮ちゃんがいるって言っても、見えないんだもん。でも、部屋で写真を見ていると、白い影が私の横に立っていたの。亮ちゃんが電気を消してくれたら、すうっと真由子の形になって……。分ったの……、真由子だって。信じられないけど、私の胸を掴んだ。おねえちゃんって言って」

 京は、自分の胸を両手に抱き締めるようにしながら、桂木を見た。

「間違いなかったの?」

 桂木が、眼鏡の奥の目を細めて訊いた。

「うん。妹よ……あの子は」

 複雑な顔で、桂木は僕を見た。言いたい事はわかる。その霊が妹なら、生きていない……、死んでいる。彼の暗い顔に、僕は頷いた。

 桂木はため息を漏らした。それから苦渋の表情を隠すように、額に手をあてがい言った。

「待てよ。京ちゃん! だめだよ、そんな現実離れしたことを断定しちゃあ。とにかく、その自殺した女のことを調べなきゃあ。近所の人に訊いてみたのか?」

「ああ、古くから住んでる人を訪ねてみた。でも、全く近所付き合いがなくて、どんな人かもわからないって言うんだ」

「まあ、引き篭もってたなら分らないよな。ここって住人は少ないし、俺が来たって、住んでる人に全く会ったことないしな。それに女の人が子供を連れていたって、別に不審だと思わないだろう」

 桂木は、テーブルの上に両手を組んで、考え込んだ。

「しかし、怪しいな、その女。妹は5月の末に誘拐されて、その一週間後に自殺したんだろ? 遺書も残さないで……。丁度、真由子ちゃんと同じ子供を持っていたわけだし、連れ去りたい衝動に駆られても仕方ないかも知れない」

 僕は、桂木に、落胆した顔を向け言った。

「だけど五年も経っているんだぜ。車も処分されて、部屋だって片付いてるだろうし、物証なんか出てくるはずない」

「五年か……。部屋は家族が片付けたんだろう? その時のこと訊いてみるべきだろうな。京ちゃん、妹はどんな格好で行方不明に?」

 京は間髪いれずに、桂木に答えた。

「うすいピンクのワンピースに、赤い運動靴。幼稚園の持ち物は全て家にあったわ。それ以外は身に着けていないはず」

 僕達は俯いて、沈黙するしかなかった。物証といえるものなんて、何も無いのと同じだ。

「でも、なんで一月も死んだことが分らなかったんだろう。いくら、一人暮らしだったって、家賃の催促はあるだろうし、それを前もって払っていたとしても、親からの連絡とかあるだろう? 身内は連絡取れないのを不審に思わなかったのかなあ」

 桂木は、腕を組むと、顎を上げて呟いた。

 彼の言葉に、僕は京と顔を見合した。


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