41、 命日 5
高藤の車の走り去った方を見つめたまま、ポケットの上からケータイを掴んだ。
彼はきっと京に会いに来た。彼女のことを心配して、やってきたのか……。もしかしたら思い悩むあまり、京の方から彼を頼って連絡したのかも知れない。
僕は思わず舌打ちして、ケータイから手を離した。
どっちにしても、鳴らないケータイが今の京の気持ちだろう。今は僕が必要ないって言うことだ。
いつもいつも、つまらないことで京を悩ます僕に愛想をつかしたのか。
黙って歩道に立ち尽くす僕の肩を、桂木がポンと叩いた。
「お前、やっぱり京ちゃんと喧嘩したんだろう。そんな落ち込んだ顔して、モロばれだぞ」
僕は、俯いたまま歩き出した。桂木も黙ってそんな僕に肩を並べ歩いた。
「僕らってさ、普通のカップルじゃないよ」
思い余って、ボソッと呟くと、
「なんだ? 普通につき合ってるんじゃねぇの?」
と、桂木がきょとんとした顔をして言った。
「だからさあ、彼女は妹のことでいっぱいで、僕も否応なしに巻き込まれてるし。僕らには、何もかもが妹がらみで、楽しいって感覚なんか無いよ。見なくていいものまで見て、知らなくていいことを知って、それもこれも京のためだって我慢してるのに、亮ちゃんには分らないって叫ばれてみろ。怒るだろ、フツウ」
僕のふて腐れた顔を見ながら、桂木はため息をついた。
「まあ、京ちゃんの場合は、重い過去を背負ってるからなあ。その辺にいる女の子とは違うかも知れないけど」
たどり着いた和食の店の前で、桂木は僕を振り返ると、引き戸を開けた。店の中から、威勢よく声が掛かった。二人で、4人掛けの席について、同じおまかせの定食を頼んだ。
店員がお茶を置いて席を離れると、彼は頬杖をついてまた話し出した。
「京ちゃん、きっとお前に甘えてるんだよ。今まで、家族にも遠慮していたというか、罪悪感までもって生きてきたんだろ? 初めてじゃないのか? 自分を曝け出せるヤツに出逢ったの。田崎の前じゃ、全然普通に楽しそうだけどな」
桂木は片手で湯飲みを掴むと、ずずっと茶を啜り、
「彼女の苦悩なんて、俺にもお前にも絶対理解できねえよ。そんな不幸なことに遭遇したことなんてないしな。京ちゃんだって、そんなこと分ってるさ。だけど、言わずにいられない時もあるよ。ソンだけ、お前に甘えられると思っているからじゃん」
と、眉間に皺を寄せて、僕を諭すように言った。
桂木の言葉が、胸に突き刺さる。でも本当に甘えてくれているなら、突き放すようなことは言わないだろう。京から妹を探してと頼まれた覚えはない。ただ僕が京の力になりたくて、一緒に行動しただけだ。自分は一人で大丈夫と言われれば、そんな僕の気持ちなど必要ないと思っている気がする。幽霊探しに協力するなら、僕より高藤の方が適任じゃないか!
僕は京の恋人であるはずで、もっと強い結び付きがあっても良いと思う。
「京が苦しんでいるのは分っている。妹のことしか頭にないのもわかる。でもサア、たまには僕の事だって、ちゃんと考えて欲しいワケで。つまり、普通にデートして楽しんだりとか……」
「なんだ。単なる欲求不満か?」
桂木は、含み笑いをして、僕をまじまじと見た。そして、眼鏡のつるを持ち上げると、真面目な顔で言った。
「田崎、お前の妹が誘拐されて、殺されてるかも知れないとしたら、彼女と遊びたいって気持ちになるか? 四六時中妹のことを考えてしまうだろ? ましてや妹が幽霊になっているかもしれないんだ。何とかそれをはっきりさせたいって思うだろ?」
喉の奥で、吐き出す寸前の不満が砕けた気がした。そしてその不満の欠片を、僕は呑みこんだ。
「俺の目から見ても、京ちゃんはお前が本当に好きなんだと思うよ。一緒にいるだけで幸せって顔してたもんな。いろいろ辛いのだろうけど、きっとお前が彼女の力になってるんだよ」
「あ……」
僕は言葉が出なくて、顔を両手で覆った。京の笑った顔を思い出すと胸が詰まった。僕だって妹の身に何か起これば、きっと冷静ではいられない。桂木に諭されて、自分の身勝手さに気がついた。
京は僕の一番大事な女じゃないか!
店員が、料理の乗った二つのトレイを、重そうに運んできた。
「まあ、とにかく食べようぜ。済んだら京ちゃんを訪ねよう」
パチンと割り箸を裂いて、桂木は笑いかけた。僕も、とりあえず口に料理を放り込んだ。腹ペコだったが、頭の中は京のことでいっぱいで、何を口に入れても旨いと思えない。無言で、料理をついばむ。
京は、今高藤と一緒なのだろうか……。ふっと、すかした彼の顔が浮かんだ。
『君なら、京ちゃんを守れるかも知れない』――――そう言った高藤の視線……。あの目は真剣だった。
彼は……、やはり京を好きなのか? 京は、彼の胸で泣くのか?
「桂木、悪い! 帰るわ。京に会ってくる」
「え、おい!」
「部屋の鍵渡しとくから、お前はゆっくり食べろ。これで払っといて」
立ち上がって、千円札2枚と鍵をテーブルに置いて、僕は慌てて店を出た。
「バカだよ。ホントに!」
守るなんて偉そうなことを言って、いつも自分の気持ちをぶつけてしまう。京の信頼を受け止められない自分が情けなかった。
僕は全速力で走った。
息を切らして、マンションの前に立った。
でも、高藤の車は止まっていない。その場に呆然と立ちすくんだ。まさか、二人で出かけたのか……? 胸がぐっと締め付けられた。
そのまま階段を駆け上がった。いないかも知れないと思うと、後悔で自分を殴りつけたくなる。
こんな身勝手な僕より、高藤を選んだとしても仕方ないかも知れない。でも……。
京の部屋のドアの前で、唇を噛み締める。そして、諦め半分で落胆した気持ちだったが、ゆっくりチャイムを押した。
一度目は、やはり応答がない……。唇を噛んで、2度目を押した。
ガチャガチャと、中で音がした!
「京!」
ドアがゆっくりと開いた。暗い表情の京が、それでもほっと息を吐いて、僕を見上げた。
「亮ちゃん……」
「良かった。高藤とどこかへ行ったのかと思った」
玄関に入って、ドアを開けたままで京を抱き締めた。部屋にいてくれたことが、嬉しくて仕方なかった。
「タカさんと? タカさんなら、もう帰ったよ」
そう言うと、僕の背中に両手を回した。
そして、
「タカさんね、これを届けてくれたの」
「え?」
京は、僕から離れると、4畳半のテーブルの上を指差した。ドアを閉めて、部屋に上がりテーブルの上を見る。
「これは……?」
「お札と、念の入った数珠のブレスレット。何でもタカさんが悪霊にとり憑かれたとき、助けてもらったものなんだって。亮ちゃん、手を出して」
「京……」
僕の手を取って、京は水晶の玉のブレスを嵌めた。丸い石がガラス玉より白く濁っていて、光を反射しているように見える。それがすごく崇高な輝きに思えた。
「京、これは君がつけないと!」
手首を持ち上げ、外そうとすると、
「ダメ! これは亮ちゃんがしてて。効果があるかどうかは分らないけど、貴方の方がいろんな目に遭ってるもの。亮ちゃんに何かあったら、私……。一番大事な人だから」
「京!」
胸が熱い。体も熱い。京の言葉で、一気にスイッチが入ってしまった。
僕は、京を抱きながら、囁くように繰り返す。
「ごめん。本当にごめん。京が好きなのに。好きでたまらないのに……!」
息も吐かないで、唇を重ねる。
頬を染めて微笑む京が、壊したいほど愛おしかった。




