表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/62

25、呪縛 4

 時間は八時過ぎ。

 許しを貰って店を飛び出たが、京はまだ帰ってはいないだろう。だが、彼女が帰る前に、あのマンションで待っていてやりたいと思っていた。そして、昨夜の暴言を謝ろう。一番に……。


 家々から漏れる灯で、街はまだ明るい。通りも、家路を急ぐ人が駅から続いている。

 マンションへの道を歩きながら、夜空を見上げた。都会の星のない空は、街の灯に炙られる様に闇色が薄い気がする。西に傾いてきた、夜の隙間のような細い三日月も、心なしかその光が弱い気がした。

 田舎の夜は、漆黒の闇と闘うように、月は鮮明な輪郭で夜空を切る。二階の自分の部屋の窓から惹かれるように見た、その清澄な光を懐かしく思い出した。


 マンションに戻ってきて、門のところで建物を見上げた。カーテンから漏れる薄暗い灯が、それぞれの階のベランダの窓に灯る。 三階の京の部屋には、まだ灯は点いていない。一部屋空き家を挟んだ僕の部屋も真っ暗だった。

「まだ、帰ってないのか」

 そう呟いて、建物を見渡す。半分以上暗い窓の中に、ポツリポツリと灯る明かりは、ひっそりと息を潜めているようだ。

 あの暗い窓のどこかに、山崎さんが言った自殺した女の部屋がある。首を吊ったままで腐っていた死体……想像するだけで、ゾウッと背筋が凍る思いだった。

「まさか、僕らの部屋だって言う事はないよなあ」

 じっと立ち止まって見つめていると、暗い窓に見たくないものが見えそうで、慌てて下を向いた。本当に高藤の言うとおり、とんでもないところに住んでいるのかも知れない……。

 マンションの端の欠けた三段の階段を踏みしめ、玄関に入り、ゆっくり薄暗い階段を上って行った。どう言って謝ろうか……そればかりを考えながら。

 

 廊下のぼんやり灯る天井灯で、ドアに鍵を差し込む。ガチャリと音がして、ノブに掛けた手を回した。ギッとドアが軋んで、真っ暗な部屋を覗く。一瞬届いた廊下の明かりが、バタムと閉まったドアに遮られた。

 手探りで部屋のスイッチを探す。いつもなら、京が「おかえり」と嬉しそうに迎えてくれるのに……。そう思うと、何だかジンと、目頭が熱くなった。

「ホント、バカだな、僕は……」

 滲んだ目を指でこすり、気を取り直して、再びスイッチを探そうと壁に手を這わせた。


 ――――にゃあー。


「え?」

 四畳半に置いたテーブルの上で何かが動いた。

 猫? 暗い部屋に浮かび上がるように、のっそりとその姿が立ち上がった。そしてピタリと動きを止めると、丸い眼でじっと僕を見つめる。

「何で、部屋の中に?」

 僕の声が聞こえたのか、音もなくテーブルを飛び降りると、少し開いていた襖へ滑り込むように入った。

「何でだよ!」

 やっと手に触ったスイッチをパチンと入れ、明るくなった玄関で慌てて靴を脱ぐ。もしかしたらベランダを開け放して出たのかもしれない。京のことで落ち込んでいたから、忘れたのかも……。

 四畳半を突っ切り、少し開いた襖に手を掛けた。

 ガラリと、勢い良く、半間分が開き、六畳間に明かりが入った。

「あっ!」

 目に飛び込んできた部屋の様子に、一瞬心臓が飛びはね、荒くなる息にあわせるように胸で早鐘を打ち始めた。

 襖に手をかけたまま、仁王立ちの体は、手足に杭を打たれたように動かない。

 半分明かりに照らし出された狭い部屋に、まるで水中を泳ぐくらげのように、ゆっくりと長い尾を曳いた朱色の光が飛び交っている。五つ……いや六つ……。何の音も立てず、静寂の中をまるで広い空間を行き来するように、壁にぶつかるとスウッとそのまま吸い込まれる。そして壁から天井から、畳から、うつぼが這い出すように現われ、ゆらゆらと揺れながら縦横無尽に飛んでいる。

 何なんだ? これは……。気が遠くなるような音のない空間に、体が平衡感覚を失っているように、寝ているのか立っているのか、生きているのか死んでいるのか、自分の全てが分らなくなった。

 ただ、目の玉だけを動かして、飛んでる光を追う。すると、部屋の隅に小さな手首が二つ浮いているのに気付いた。ふわふわとタクトを振るうように空中に揺れて、光に指を広げる。僕は息を呑んで、その様子を見ていた。すると、次第に頭が現われ、長い髪を垂らした肩が浮かぶように見えてきた。

 

 ――――きゃっ、きゃっ。


 白い小さな顔が現われた時、その子は笑っていた。鈍い朱色の光を弄ぶように。

「まゆこ……」

 擦り切れたように声を失くした声帯を震わせ、やっとの思いで名前を呼んだ。

 女の子が僕を見た。じっと、いつもの無表情な顔で……。

「まゆこちゃんだよね……」

 搾り出された声に、女の子は胸から上だけの姿で、すうっと僕の傍へ近寄ってきた。


 ――――おにいちゃん。


 その子の声が聞こえたとき、飛び交っていた光が一つに纏まりながら消えていった。すると、現実に戻ったように、ダンと体に重力を感じた。2、3歩ふらつき、息を吐き前を見る。


 ――――あそぼ。


 差し出された白い手。

 僕は、女の子に微笑みかけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ