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24、呪縛 3

「ハア……」

 幾度目かの溜息に、頭をガシガシ掻き毟った。

 空を仰ぐ……。澄み切った青い空が、僕の重い気分と逆に、高くて宇宙まで見通せそうだ。

 気付かないうちに、満開だった桜は跡形もなく桃色の花びらを散らして、黄緑の葉に覆われている。あっという間に日々は流れて、右も左もわからなかった新入生も、こうして講義をサボるようになったわけで、立派に大学生してる気になる。


 京と終わったのだろうか……。

 突然、部屋に戻ると言われて、まだ血の巡らない頭は、引き止める言葉を思いつかなかった。幽霊が出ないなら、彼女が僕のところに住む必要などないわけで。

 一講目から受けるからとバタバタと用意を始めた京に、持ち込んだ布団まで運んでやって、

「じゃあ」と出て行かれるなんて、信じられない。

 やっぱり、僕は彼女にとって、魔よけのお札と同レベルだったのか? それってあんまり悲しすぎる。

 見事に新緑の木々に覆われた、清々しい風の流れる学内の広場には、午前中にも関わらず、話に花が咲いているグループやベンチで顔を寄せ合うカップルらがいる。僕を置き去りにして、皆とても楽しそうに見えた。

 緑に変わった芝生に大の字で寝て、空に落ち込んだ顔を曝しているのは僕だけだ。


「いたいた! 何やってんのお前」

 青い澄み切った空に、短い髪のぽっちゃり顔が視界を遮った。黒縁の眼鏡の奥の目がどんぐりみたいに丸くなってる。

「サボったのか? 探したぞ。て、ケータイ切れてるぞ」

「あ……。ホントだ」

 ジャケットのポケットから取り出して見ると、画面は真っ黒。

 桂木は、またため息を吐いてケータイをポケットにしまった僕の隣に座って、

「なんだ? 元気ないなあ」

 と、顔を覗きこんだ。

「京ちゃんと喧嘩でもしたんだろ?」

 桂木は、からかうように笑いを浮かべて、僕を横目に見た。

「ああ、喧嘩どころか、部屋から出て行った」

「ええ! マジかよ! 何だよ、原因は? やっぱりお前の控えめな息子のせいか?」

「傷口に塩を塗るような言い方をするな。彼女とは、複雑な経緯っていうのがあるんだよ。別に別れたって言う事じゃないし」

「複雑なイキサツ?」

 桂木の太い眉が寄せられて、心配そうに僕を窺った。

 何だか、京とのいろいろな出来事が、妙に心に重くて、口に出してしまいたかった。京を知ってる桂木に、二人のことを分って欲しいとも思った。

 躊躇いながら、ボソボソと話し始めた。

「京は、あのマンションに出る女の子の幽霊の正体を確かめたくて、あそこに住み始めたんだ」

「は? 幽霊に? 京ちゃんってイッテるのか、ココ」

 桂木は呆気にとられた顔をして、指で自分の頭をさした。

「まあね。都市伝説研究会とかって、怪しいサークルに入っているし、僕も始めは変な女だと思った。でも、彼女は過去に事件に巻き込まれていて、それが原因だったんだ」

 僕は、神妙な顔で聞いている桂木に、堰を切ったように京のことを話した。マンションの幽霊話、妹の事件の事、HPの事、そして高藤の存在……。桂木は、妹が誘拐されたままだという話しに言葉を失くした。普通に平和に暮らしてきた者にとって、事件の被害者という現実を理解する事など出来ない。僕も今でもそのことに関しては、京にどう言えば励ましてやれるのかわからない。桂木は始終沈鬱な顔をして、「ホントなのか?」と訊いた。頷く僕に、

「辛いよなあ。京ちゃん……。いい子なのに」

 と、暗い表情のままで呟いた。

 でも、首絞め幽霊のことは、流石に信じられないといった顔で、声を大きくした。

「そりゃあ、京ちゃん、夢をみたんだよ。そんなことって、あるはずないよ。幽霊なんて、全て気のせいさ。高藤って先輩も怪しい奴じゃないか。妙なサークルで洗脳されてんじゃないか? 女の子の幽霊だって、実際誰も見てないんだろ? お前だって、幽霊なんか信じてないだろ?」

 彼にそう言われて僕は返事に困ったが、話の成り行き上話すべきだし、僕の悩みはそこにあるのだからと、口ごもりながら打ち明けた。

「信じられないかも知れないけど……。会ったんだ……。女の子に」

「え?」

「噂になってた女の子の幽霊。一度だけじゃない。それに話もした……。名前も聞いた」

 桂木は、口を歪めて無理やり笑いながら、

「田崎、ジョークはよせよ。俺をからかっているのか?」

 と言って、拳で背中を小突いた。

「信じられないのは僕も同じだよ。でも、本当に会ったんだ。名前はまゆこって言った」

「そ、それって……」

 桂木の喉がゴクリと鳴った。そしてみるみる顔を強張らせた。

「そう……、京の妹の名前と同じだ。それに容姿も、HPに出ていた写真とそっくりだった。大きな目も、髪型も」

「い、妹じゃないのか! 京ちゃんに教えてやったのか?」

 桂木が叫んだ。

 僕は膝を折って腕に抱き込みながら、桂木に言った。

「京には言えない。彼女は妹が生きていると信じている」

「田崎……」

「あの女の子は……。どう考えたって、人間じゃない……!」

 僕の言葉に、桂木は口を片手で覆って、呻くように言った。

「やめろよ。冗談だろう……。そんなこと、信じられないよ」

「分るよ。僕だって信じたくない。だけど、夢でも幻覚でもない」

 僕は顔を上げて、真っ青な空を見つめた。そして、自分に言い聞かせるように空に向かって呟いた。

「誰も信じなくても、僕があの子のことを知らなくっちゃあ、京は救われない……」



 その後、桂木は、いつもの陽気なテンションを見事に下げてしまって、帰り時間まで僕に付き合ってくれた。街を二人でぶらぶらしたり、ゲーセンへも立ち寄った。でも、楽しむ気分にはなれなくて、どうしても京の話題になる。ただ僕は、彼女の妹のことや、女の子のことを話してしまって、重い鎖を外したような気がしていた。

 桂木は、バイトがある僕を駅まで送ってくれて、別れ際に、

「どう考えたって、お前が悪いよ。ちゃんと京ちゃんに謝れよ」

 と、ポケットに両手を突っ込んで言った。

「ああ、分ってる。本当にお前がカノ女なら、うまくいくのになあ」

「はは、京ちゃんに振られたら、真剣に考えてやるよ。俺、今フリーだし」

 手を上げて、踵を返した桂木の背をしばらく見送った。


 帰りの電車の中でも京のことは気になったが、ケータイも切れていたし、連絡を取るのも諦めた。それに、今夜から高藤と一緒に塾のバイトの筈だから、きっと彼といるだろう。二人のことを考えるとまたムカついてきたが、高遠は真剣に京を心配しているようだし、何と言っても数少ない幽霊信者だ。その点は安心できると、自分に言い聞かせた。


 駅について、そのままバイト先のスーパーへ行った。

 三週間ばかり経って、仕事にも人にも慣れてきて、それなりに楽しんで働けるようになっている。ただ、早く京に会いたいと思うと、気分は重かった。

「あ、田崎君、お疲れさん」

 バックヤードで商品をカートに積んでいると、主婦パートの山崎さんに声を掛けられた。彼女は中学生を持つ主婦だが、子供が塾で遅くなる日には、遅番シフトで働いていた。

「大学は慣れた? いいよねえ、うちの子もW大なんかに入ってくれたらいいけど」

「はあ、まあ何とか行ってます」

 何を言われるのかと、少し戸惑った顔を向けると、

「貴方って、大山病院の寮に住んでるの?」

 と尋ねてきた。

「大山病院?」

「あ、今は寮じゃないんだ。大山マンション。あそこはもともと看護師さんや病院関係の人のための寮だったから。今は、普通の賃貸マンションだけど」

 山崎さんは、棚から重い商品を下ろそうと腕を伸ばしながら言った。僕が後ろからその箱を持ち上げて、彼女の台車に積んでやると、「サンキュ」と言って腰を伸ばし、またマンションのことを話した。

「私が結婚してこの街に来た時、もう建っていたから、随分古いよねえ。でも、5,6年前までは、変な噂とかなかったのよ。ほら、幽霊の」

「え……。知っているんですか?」

「この街の人は皆知ってるんじゃない? お化けマンションって、一度TVの取材もあったし。実際見たって話は知らないけど、TVで大げさに脚色されたからね。女の子の幽霊が出るって。だから貴方がそこに住んでるって聞いて、びっくりしちゃった」

 あの子のこと? そんなに有名だったのかと、少し驚いた。

「TVで報道されたんですか? そりゃあ、格安でも普通の人ははいらないわ。だけど、あそこで自殺者が出たって聞いたんですけど、それは本当なんですか?」

 山崎さんは、僕からの質問を待ってましたと目を輝かせた。

「そうなのよ。一番目はね、ひどいうつ病で大山病院の入院患者だった女の人でね。何でも離婚してて、治ってから行くところが無いと同情した院長が部屋を貸したらしいよ。でも、それから二ヶ月も経たない内に部屋で首を吊ったの。治療に来なくなって心配した看護師さんが尋ねた時は、ぶら下がったままでズルズルに腐ってたって。梅雨時の蒸し暑い頃だからね。ううっ、怖い!」

 二の腕をさすりながら、山崎さんは顔をしかめた。

「飛び降り自殺ってわけじゃあないんですね?」

 僕も背筋に寒気を催しながら、彼女に尋ねた。

「その後なのよ、飛び降りがあったのは。一年位して、予備校生の男の子が一人で住んだんだけど、半年もしないうちに屋上から飛び降りちゃったの。勉強に行き詰まってて、精神的に追い詰められたのでしょうけど、予備校の先生に、幽霊を見たとかおかしな事を言い出してたって。あ、その子の話が幽霊騒ぎの元になったのかもね。嘘か本当かは分らないけど。それから、また一年位たって、今度はマンションに関わりは無い子だったんだけど」

「まだあるんですか?」

 驚いて言うと、山崎さんは顔を曇らせて、声の調子を落とした。

「うん。あのマンションの近所に住んでいた中学生の女の子。この子はかわいそうなのよ。両親が離婚話で家がもめてたらしくって、夜中にコンビニにいたり、ふらふらしていたらしいわ。家に帰りたくなかったのね。おとなしい子だったらしいから、一人で苦しんでいたんでしょう。真夜中に家を抜け出して、あのマンションの屋上から飛び降りて亡くなったの。何も言い残さずに……」

 山崎さんは深いため息を吐くと、

「子供にとって、家庭は大事よねえ……。何かおこると、傷つくのは子供だわ」

 と、沈んだ表情で呟いた。

 僕はダンボールを積み込みながら、京の顔を思い浮かべた。

 彼女も妹が行方不明になって、死にたいと思っただろうか……。自分のせいだと思っている、懺悔するような涙。ひどい姉であることを、僕に許してほしいと言った。

 きっと、死にたいと何度も思っただろう。

 自分のせいで家族が苦しみ、妹の生死がわからないなんて……。僕が思っている以上に、彼女は苦しんでいる。それなのに!

 僕は、急に不安になった。何だか、妙に胸騒ぎもする。

「山崎さん! 僕、今日はバイト休みます」

「え? ちょ、ちょっと、急に何言ってんの? 田崎君ったら……」

 

 通路を走って、店長室へ駆け込んだ。ノックもしないで、ドアを開け放って叫んだ。

「店長! すみません。今日は帰らせてください!」

「はあ? どうした? 何かあったのか?」

「はい。お願いします!」

 頭を下げながら、クビと言われても仕方が無いと思った。でも、京に会いたい。

 僕の頭の中は、彼女の暗い顔でいっぱいだった。

 




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