22、呪縛
午後の講義の空き時間、僕は大学の図書館に来ていた。
8冊、腕に抱えた本を机の上にトンと置いた。読書用の席は今日は空いていて、広い机に積んだ本を広げてみる。
その題字を見比べていると、ため息が出た。
「呪いの解き方、スピチュアル、死後世界……、霊界。タイトルだけで寒気がする」
本当に、全く感心がない世界だったのに、この分野の本を開くことになるとは……。浮かない気持ちになったが、とにかく知らなければならない事がいっぱいあるような気がしていた。
僕でも知ってる有名な江原氏の本を開きながら、あの女の子の様子を思い浮かべた。
あの子が幽霊だとして、なぜ昼間もあんなにはっきりと見えるのだろう。顔の表情まで分るほど、立体的に見える。幽霊って、夜に出てくるもので、もっと平面的でぼやけたものなんじゃないか? それに、一番見たいと思っている京には見えなかった。勿論桂木にも……。何故、関係のない人間である筈の僕のところへやってくるのか……。
そもそも霊のことなど、『高校時代の肝試しで墓に行って怖かった』程度の経験しかない僕には、理解しようとすることに無理がある。具体的にどういった分子構造で、どんな作用で活性化するとか消滅するとか、そういう答えを探したが、ある筈もない。江原氏の本も書かれているのは、抽象的な、もしくはファンタジーな世界であって、読めば読むほど混乱してしまった。
死後、肉体を失っても、精神は存在し続けるって、どういうことなんだろう……。魂……、ほんとにあるのか……?
「あれ? 田崎君じゃないか」
読書に集中していた僕の背後で、突然名前を呼ばれた。見上げると、長身の男が僕の広げた本に目を落としている。
「高藤さん。ここで勉強ですか?」
「うん。ところで、また変わった本を読んでるね。暇つぶしにしては、タイムリーなタイトルばかりだな」
相変らず、彼は無表情な顔で、ムカつくことをサラリと言ってくれる。
「いや、無知ほど怖いものはないと思って。後学のためです」
「君の後学については興味ないが、ちょっと話さないか? 訊きたい事がある」
高藤は、僕の都合も聞かないで、親指を立てて出口のドアを指し示した。
どうも好きにはなれない男だが、京の話ではと、僕は急いで彼の後を追った。
学内のティルームに入り、自販機でそれぞれコーヒーを買って、白い丸テーブルに向かい合って座った。ティルームと言っても、二十席ほどのテーブルと、いろいろな自販機がぐるりと並んでいるだけの談話室だが、午後の講義を終えた学生達が結構集っている。
「あら、タカさん。珍しいわね」
彼に気付いた女子学生が、次々と声を掛けてくる。結構人気者らしい。190センチ近い背丈で彫りの深い顔立ちだから、目立つのだろうが、絶対性格は悪いし、おまけに老けてる。
しらっとした顔で前にすわっている僕に、高藤はまたあの見透かすような眼差しで見つめてくる。無視して、熱い紙コップに口をつけた僕に向かって、
「君、京ちゃんと何かあった?」
と、唐突に言った。彼の言葉にびっくりして、ブーッとコーヒーを噴いてしまった。
「な、何なんですか! 突然!」
噴出したコーヒーを慌ててハンカチでふき取りながら、思いっきり焦った。
「いや、昨日サークルであったら、何だか妙に明るくて、君のことばっかり話すから」
「そ、そうですか。でも、まだ何もしてませんよ」
顔から汗が噴出してくる。きっと真っ赤になってると思う。何もしていないというのは事実だから、高藤に文句を言われる筋合いはないが、ちと、なさけねー……。
彼は僕の様子を鼻でふっと笑って、コーヒーを一口飲んだ。
「京ちゃんに何も起きてないんだな? まあ、滅多なことはないと思うけど」
「ええ。夜はずうっと一緒ですから、安心して寝ていますよ」
とりあえず、彼に釘を刺しておいた。京に手を出したりしないように。
高藤は返事をせず、二口目のコーヒーにコクリと喉を鳴らした。長い足を組んで、目に掛かる前髪を掻き揚げる様子は、何だかスマートで大人っぽい。口数の少ない低い声で話されると、女の子はカッコイイと思うんだろう。僕はキモイとしか思えないけど。
とにかく高藤が『京ちゃん』と呼ぶたびに、ムカッとくる。
「彼女のために、図書館で勉強か?」
と、彼が尋ねた。
「まあ、そうですが……。あの、高藤さんは霊が見えるって本当ですか?」
一瞬動きを止めた彼は、飲んでいたカップを静かにテーブルに置くと、
「見えるっていうのは、少し違う」
と言って、テーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて僕を見た。
「君はシックスセンスって知っている?」
「第6感ってヤツですか?」
「そう。人が普通に生まれ持つ五感に、あと一つ、感覚的な機能があると言われている。勘が鋭いっていう感じかな。僕はそれが強いのだと思う。目で見えるっていうのではなくって、感じているんだ。その人間が放つエネルギーみたいなものを。視神経を通らず、脳へ直接伝達されるって感じかな」
「はあ? そういうファジーなことは、理系の僕にはさっぱり分りません。じゃあ、ここにいる人皆の、光が見えてるワケですか?」
高藤はまたふっと笑って、コバカにするように言った。
「ここにいる人間全部に見えたら、気持ち悪いだろう。祭りじゃああるまいし。集中して感じようと思わない限り、何も見えないよ。まあ、中には例外もあるが」
「例外って、見ようとしなくても見えるってことですか?」
「そう。僕も霊能者という訳じゃないから、詳しくはないが、霊にも守護霊のように守ろうとしてくれるものと、地縛霊や浮遊霊のように死に方に問題があって、成仏できずに人間界にとどまっているものがある。得てして、そんなのは強い恨みを持っているものが多くて、すごい危険だ。生きている人でも、恨みや憎しみのエネルギーって凄まじいものがあるだろ? 霊だって、元は人間だ。肉体が消滅したって、人であった時の感情はなくならない」
高藤は真剣な顔をして、僕を見た。
「京の首を絞めてきたのも、怨念があって……」
僕は、背筋に薄ら寒いものを感じながら、呟いた。
「分らない。僕があそこへ行った時には、そんな強い霊は感じなかった。それに、女の子の幽霊の話はあの街では結構有名だが、その子が真由子ちゃんだなんて、京ちゃんも考えすぎだと思うし。ただ、あのマンション自体、霊の通り道のようだから、思わぬことに遭遇するのかも知れない。他にも邪悪な霊がいる可能性だってある」
「じゃあ、京に対してと言うんじゃなくって、あの部屋に住む事が悪いってことか」
僕の言葉にコクリ頷くと、眉を寄せ、険しい表情になった。
「この5〜6年の間に、三人があの屋上から飛び降り自殺している。理由は様々だけど、出来たら住まない方が良い。女の子の幽霊だって、君も確証がないんだろ? 京ちゃんの気持ちは分るが、話が唐突すぎる」
彼の視線から目を背けた。高藤は、女の子の事を信じてはいなかった。僕は、自分の見たものを話すべきか迷った。
「田崎君。霊体にもいろいろあるといったけど、怖いのは、その霊に引き摺られる事なんだ。霊は一種のエネルギーみたいなものだから、直接手を下したりは出来ない。でも、負の力を使う事はできる。目的は自分の存在を知らしめることだったり、恨みの矛先を向けることだったり様々だろうけど、姿を明かすってことはそれだけ念が強い。京ちゃんを説得して引越すべきだ」
彼の厳しい眼差しに、僕は戸惑った。
ただ、あの女の子は恨みを持っているようには感じない。もしかしたら、自分が死んでいることさえ分らないのじゃないか?
あの子の肉親も死を知らず、弔ってやってないのかも知れない……。やはり、京の誘拐されたままの妹なのでは……。
今は高藤に、女の子の事を話さずにおこう。せめてあの子の存在理由が、説明できるまで。
僕にだけ、救いを求めている……そんな気がする。
「高藤さん。今、あのマンションを出ることは出来ないんです。理由はいえませんけど、京は必ず僕が守りますから」
「君……。まさか、何かあったのか?」
彼は、一瞬目を細めて、僕を心配そうに見た。
僕は椅子をひいて立ち上がった。そして高藤に微笑んで言った。
「大丈夫です。京を辛い呪縛から解き放ってやれるのは僕しかいないと、マジでそう思っているだけです」
「田崎君!」
高藤の呼ぶ声を無視して背を向け、僕はティルームから足早に外へ出た。
そろそろ京が、講義を終えて教室から出てくる。
重苦しい高藤の話しを消し去るように、暖かい陽射しを投げる太陽に顔を向けた。
「京、僕がいるからね。きっと、妹を取り戻してあげる。君の元へ」
僕は風に乱れた髪をかきあげながら、微笑み長い髪をなびかせて、近づいてくる京を見つめた。
胸が苦しくなるほど、彼女を想っている。何があろうと、この気持ちは消せないだろう。




