20、秘密 3
「ごめんなさい」
京が再び、辛そうな顔をして頭を下げ、謝った。
僕はその様子を見て、素直に頷けなかった。理由も聞かされないまま、他人行儀に頭を下げられたって、納得して引き下がれない。だって、僕は彼女の一番近くにいる男で、一番信頼されている筈じゃないか。なのに隠そうとする京の態度にムカついてきた。
「どうしてそんなにあのマンションに執着するわけ? やらねばならない事って何なの?」
京は途端に口ごもって、
「それは……」
と、返事に困っている。
僕らは、人通りが多くなって来た歩道のど真ん中で、向かい合ったまま突っ立っている。俯いた京を、僕は険しい目をして見下ろしている。
通りを行く人が、ワケ有りかと振り向いて行くが、かまわずに言いたい放題ぶつけた。
「高藤には打ち明けられたわけ? 彼は全て知っているんだろ?」
「タカさんには、同じサークルの仲間として、相談に乗って貰っていただけで。いろんな人に話しても、信じて貰えない様なことだから」
「僕は信用ないんだな。そりゃあ高藤は知り合って長いだろうし、昨日今日つき合いだした僕とは、信頼度が違うよね」
意地悪な言い方だと思ったが、すかした高藤の事を考えるとムカつきが百倍になった。
京は、一つ呆れたようにため息をついた。
「亮ちゃん。高藤さんは特別な人だし」
「特別? ああ、霊媒師とか幽霊とか好きなんだったっけ」
投げやりに言って、京に背を向けた。特別だなんて、頭に来る!
京が歩き出した僕の後を追って来て、くすっと笑った。
「わかった。今夜、話します。亮ちゃんには話さなきゃあって、思っていたから……」
そう言って、僕の腕に手を巻き付けてきて、
「でも話したら、亮ちゃん、私の事嫌になるかも知れない……。そう思うと言い出せなくて」
と暗い顔になって言った。僕は腕にすがり付いた彼女に応えるように、ぐっと脇を締めた。
「京に何があっても、嫌になることなんてないよ。僕は京のガーディアンだし」
「そうだね。勇者リョウスケ」
京がけらけら笑って、「大好き!」と頭を肩にコトンと置いてきた。
単純な勇者は、その言葉だけで、命を投げ出す決心をした。いや、男とは浅はかな生き物であるわけで。
京と買い物から帰ると、既に桂木はPCの設置を終わっていて、暇そうにオンラインゲームをしていた。部屋には、COBのヘビーなナンバーが爆発している。
「こら〜っ! マンションがぶっつぶれるぞ」
部屋に飛び込んだ僕に、マウスをカチカチ鳴らしながら、
「ヘビーメタル聞きながら、妖獣を倒すのは、一種の倒錯した快感をもたらすね」
と、虚ろな表情で言った。ぽっちゃりした顔に、眼鏡の奥の一重の小さい目が点になってる。
「お前、あぶないよ〜」
慌てて、デッキのスイッチを切って、桂木の前のデスクトップを覗き込んだ。画面の左上のポイントは既に10万を越えている。
「設置はOK。お前に聞いたパスにしてある。このゲームも2位まで順位上げといた」
「サンキュ! これでテレビ見られる」
「テレビ? お前の音楽の趣味も理解できネーが、テレビとPCを一緒にするなんて。これじゃあ、アタシと同居は無理ね」
「お前と同居することなんか、世界に二人だけになってもねーよ」
僕と桂木の会話に、キッチンに立って料理を始めた京が、楽しそうに笑っている。
京を見ようとする桂木を遮りながら、僕達は彼が引っ張って来たオンラインゲームに夢中になった。
料理をする恋人がいて、気の置けない友人がいて。僕はこの時間が、何かに感謝したいくらい楽しかった。
「京ちゃん! すっげー! マジで旨い!」
狭いテーブルにならばないほどの料理。カラッと揚がったチキン、煮物、きんぴらごぼう。桂木は、口に次々と料理を頬張りながら、目を輝かせて感激している。
「良かった。口に合って」
「ほんとに上手だよ。料理教室とか行ってたの? 短時間でこんなに作るのって、手馴れてるっていうか」
京は恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、僕に嬉しそうに言った。
「習ったわけじゃないの。私、小さい時両親が離婚して、母とずっと二人だったから、働いている母を助けるために料理をするようになって……。小学生の頃からのキャリアだよ」
と明るく笑ったが、僕は胸がズキッと痛む気がした。「田崎くんの家、楽しそう……」と、以前言った彼女の淋しそうな笑顔が、心に染みついていた。小さい頃から、京は淋しい思いをして来たのだろう。だけど、母一人子一人とは、言ってなかった。確か妹がいるって……。何だか、すごい複雑な家なのかもしれない
京はどこから見ても可愛いし、普通に何の悩みもない女子大生に見える。でも、彼女の心の奥深いところに、僕には想像できないことが仕舞い込まれている気がする。
今夜、打ち明けると言った彼女……。きっと、幽霊話と繋がっている。僕はそう確信していた。
桂木は、一人暮らしを始めてからまともな食事をしていなかったと、とにかく片っ端から食い尽くした。
「メタボになるぞ」
と、注意すると、食いだめして置くと言って、用意したビールもガブガブ飲む。既に少々ぽっちゃり系だし、この先もカノ女は出来ないだろうなと呆れてみていた。
桂木の家は、札幌の郊外で牧場をやっているそうで、自家製のチーズが評判になって、本土のデパートの物産展に出品していると自慢した。彼は陽気に、他にもいろいろと故郷の話を聞かせてくれる。北海道には一度も行った事のない僕と京は、興味津々で彼の話に聞き入った。
「いいなあ、北海道。行きたい」
「じゃあ、夏休みに遊びに来いよ。有名な花畑牧場も案内してやるよ。生キャラメルの」
「行く行く! 絶対行く!」
京は大喜びで、僕に微笑んだ。何だか、良き友人のお陰で、夏の楽しみが出来てしまった。まあ、彼女と二人なら、どこへ行っても楽しいだろうけど。
三人で、尽きることなく盛り上がって話していたが、その内に、桂木がダウンして眠ってしまった。京に毛布をかけて貰って、畳の上で大の字になり、いびきを掻き始めた。
「熟睡だね。桂木君」
「食べ過ぎ、しゃべりすぎ、はしゃぎすぎ。一人盛り上がってたな。こいつも初めての一人暮らしだし、淋しかったのかもな」
京が僕の隣にすり寄ってきて、体をもたせると、小さく囁いた。
「まだ一人暮らし、淋しい? 」
「まさか。京がいるのに、淋しいワケない」
ほんのりした頬に手をあてて、ゆっくりキスした。そして、閉じた瞼にもすべすべの頬にも、前髪をよけた白いおでこにも……。抱き締める腕が段々と強くなって、京の全てに唇をつけたくなる。二人とも、交わす息が荒くなって来る。
「京……」
しかし……。
「ぐおおー……ごっごおー……」
桂木……コロス……。
さっきやったゲームの怪物より迫力あるいびきに、一気にテンションが下がって、桂木の寝姿にため息を吐いた。すると、京が思い出したように立ち上がり、6畳の寝室の方へ行った。
え? 誘ってるのか?――――と、カーッとのぼせるほど、頭に血がのぼる。
でも、京はそのままPCの前に座って、電源を入れた。
「京?」
「亮ちゃん……。来て」
灯を点けない部屋に、画面の明るさが京の横顔を照らし出す。堅い表情をした彼女は、僕が後ろにたっても、画面から顔を離すことなく、サイトの検索をしている。
「貴方に話しておくね。私のこと……」
暗い中に、デスクトップの切り替わった背景の色が、部屋の雰囲気を変える。
僕はデスクに手をついて、京の顔の傍に自分の視線を持って来ると、画面をじっと見据えた。それは、青い背景に、3枚女の子の写真が貼られたHPで、大きなタイトルの文字が目を引く。
『真由子ちゃんを探しています』
「え? 何……、このHP……」
僕は、一瞬顔をしかめて、戸惑いながら尋ねた。
京は、画面を見つめたままで、消え入りそうな声で話す。
「このHPは、行方不明になった子を支援してくれる団体が作ってくれて、一般の人からの情報を呼びかけてくれているの」
「行方不明?」
「そう……。これは5年まえのもの。でも、見つかるまで、ずっと更新してくれているのよ」
僕は、京の話を聞きながら、そのトップページに釘付けになっていた。冷たい汗が、体から吹き出る。顔がしびれるように、ぞくぞくと脈に反応している。
「京……」
僕は、今にも泣き出しそうな揺れる瞳で、写真の女の子を見つめる京の肩を掴んで尋ねた。
「この女の子は……、誰? 君とどういう関係?」
京はそっと手を差し出すと、指で画面の写真に触れた。
「この子は、矢木真由子……。私の妹よ……」
「妹……?」
「5年前、誘拐されて、今も見つかっていないの。行方不明のままなの」
と、落ちて来る涙を頬で拭い取った。
矢木真由子……。
名前を頭の中で反芻する。
そしてあの女の子の顔を思い浮かべた。
その顔は、間違いなく、このHPで笑っている女の子だった。
確かに、名前は「まゆこ」と言った。




