19、秘密 2
半畳ほどの玄関に靴を脱いで、僕が始めに部屋へ入った。
部屋の中は、四畳半と六畳の部屋を仕切る、ふすまが閉められていて薄暗い。明かりといえば、キッチンの廊下側の高窓から、西日が弱々しいオレンジの光を投げているだけだ。
真ん中の四畳半は、昼間でも灯をつけないと暗い。
「奥が六畳なんだ。パソコンはそっちに置くよ」
と、桂木を振り返って、仕切っているふすまを開け放した。外を遮るようにベランダにきっちりと引かれたカーテンで、六畳も暗い。夕暮れ間近だが、外の明るさを入れようとカーテンを開けた。何だか、明るくなった部屋の中にホッとしていると、
「冷え冷えした部屋だねえ。う、さむ」
桂木がそういいながら、長袖のシャツの二の腕を撫でている。
「寒い?」
と、妙な素振りの彼に、二人のいる四畳半の部屋を振り返えると、ビクッと体が強張った。途端に体中が総毛立つ。
「亮? どうかした?」
玄関脇のキッチンにいる京が目を見開き、茫然自失状態の僕に不思議そうに声を掛けた。京と目が合って、僕はゴクリと息を飲む。そして、ゆっくりと息を吐き、震える声で彼女に言った。
「京……。こっちへ来て……」
「え?」
「いいから……、早く……」
僕の様子に首をかしげながら、ぼうっと見ている桂木の前を通り、彼女は傍に立った。
玄関から目を逸らさずにそのまま京を腕に抱くと、彼女の肩越しにドアを見た。
「ど、どうしたの?」
腕の中で不安そうな瞳を向ける京を、強く抱き締めた。
京には、京だけには、何もさせない! 僕は挑むように睨みつけた。
玄関の薄暗いドアの前に、あの子が立っている。
ぶらりと手を下げて、蒼白の顔に、色のない小さい唇をうっすらと開けて、真っ黒な目で、僕と京をじっと見ていた。その瞳のない節穴のような目に凝視され、背筋に悪寒が走る。顔から下に続く小さな体は、夕陽の明るさのせいか、輪郭がぼやけて白く透けていた。
この子は……、人間じゃない!
なぜ、そこにいるのか。僕らについて入って来たのか……。
――――まゆこもいるよ。
頭の中に、か細い声が響いた。無表情の目が少し細められて、口が左右に広がった。真っ白で透明な顔に、妙に赤い口が不気味だった。
笑ってる……。僕に笑いかけている……。何なんだ? 一体、お前は! 僕の幻覚なのか?
京が、僕の動かない視線の先にゆっくりと顔を向けた。
「京……見るな……」
僕の言葉に、彼女は回された腕を外し体を翻して、玄関を見た。
「何を? 何かあるの?」
脅えながら、必死の形相で辺りに目を向ける。
「亮! 何なの? 教えて……」
彼女は、懇願するように僕の胸のシャツを掴んだ。
僕らの様子に、桂木も怪訝な顔をして、部屋の中を見回している。どうやら、二人には見えないようだった。
「田崎、何だよ。ジョークは止めろよ!」
桂木は怒った口調で、口をへの字に曲げている。すると、彼の野太い声に驚いたのか、その女の子の姿が、すうっと薄くなってドアに吸い込まれるように消えてしまった。まるでドアを通り抜けたように感じた。
後には、重いスチールのドアが、変わらず外と部屋を閉ざしている。
息を殺していた僕は、やっと大きく呼吸を始めた。背中には冷たい汗が流れている。
「女の子がいたの?」
京は、僕に顔を寄せるようにして尋ねた。
「見たんでしょう? 女の子を!」
彼女の真剣な眼差しに、僕はすぐに応える事が出来なかった。
京は僕の足元に崩れるように座り込み、そして、唇を噛み締めながら呟いた。
「どうして……、どうして、私には見えないの?」
京は残念そうな顔をしている。興味を持っているのは知っているが、もし見えたなら、僕と同じ様に身の毛がよだつに決っている。
「京……。ごめん! 冗談だよ。誰もいないって。悪ふざけが過ぎたな。悪かった」
慌てて言った僕に、京は不審な目を向けた。
でも、彼女に見えなかったことに、僕は内心ホッとしている。少なくとも、あの子に脅える事はないということだから。
「バカバカしい! 何の悪ふざけだよ。ほら、さっさとPCやっつけるぞ」
幽霊の噂も知らない桂木は、本気で怒ってる。ズカズカと六畳の部屋へ入ってきて、一人で準備を始めた。
「あ、ワリーッ! そう怒るなよ。桂木、今夜は京が晩飯作ってくれるから、泊まって行けよ。彼女、すっごい料理上手いんだぜ」
「え? いいのか、泊まっても」
桂木は、途端に明るい顔になった。
「張り切って作るから、そうして。桂木さん」
「アリガト、京ちゃん。嬉しいな、三人で川の字だなんて」
京に勧められて、彼は真っ赤になって喜んでいる。
「川の字じゃなくて、一の字だよ。俺達、京の部屋でねるから、お前はここで寝ろ」
「はあ? ひどくね? それって!」
彼は、拗ねて口を尖らせた。京は僕の横に立って、ぶっと噴出して笑った。
PCの設置は桂木に任せて、京と二人で、夕飯の買い物に出た。
夕暮れが迫ってきて、西の空にオレンジに染められた切れ切れの雲が、浮かんでいる。
慌しいメイン通りの歩道を、京と指を絡ませて歩いた。いつもなら、いろいろと話に盛り上がるが、流石に僕は陽気な気分にはなれなかった。京も俯き加減で、黙ったままだ。
淋しい夕暮れの空を見上げて、僕は京に部屋を出てから考えていたことを話した。
「ねえ、京……。もうあのマンション出ないか? もっと明るい部屋を見つけて、二人で住まないか?」
「亮ちゃん……」
「二人分の今の家賃を足せば、普通の賃貸に入れるし。へんな噂のある、ボロいところに住むことないんじゃね?」
京は、僕の話に下を向く。
そして、しばらく考え込むように、俯いたままで歩くと、決心したように顔を上げた。
「亮ちゃん、ごめんなさい。それは出来ない」
彼女の返事に僕は立ち止まった。
「なんでさ? 君だって、怖い思いしているのに!」
「怒らないで。私……。あそこでやらねばならないことがあるの。だから借りたの。それがはっきりしないうちは、引っ越すつもりはないわ」
と、僕の顔色を気にしながらも、キッパリと言った。
「京……」
駅から降りてきた人の波が歩道にあふれ、黙ったまま向かい合う僕達を、追い越してゆく。




