17、君のために 4
マンションの薄暗い玄関へ飛び込む。
足がもつれて転びそうになりながら、僕は階段を駆け上がった。
頭の中が混乱している。あの子は一体、何だというのか。
妄想? 幻想? 夢? 幽霊?……。いや、僕の気のせい?
手がしびれたように、震えている。口の中がカラカラに渇き、息苦しい。
三階へやっと上がった僕は、自分の部屋の前に立った。
ドアの横の窓から明かりが漏れている。京が来ているようだ!
「京!」
鍵の掛かっていないドアを勢い良く開け、名前を叫ぶ。
奥の部屋から、彼女が慌てて出てきて、僕の様子に驚いている。
「お帰り。どうしたの? 田崎君」
きっと顔は蒼白だ。彼女を見て、微笑む事も出来ない。
ドアを閉め、鍵をし、チェーンを掛けた。京が、心配そうな顔で玄関に立って、息を切らして戸締りする僕を見つめている。
「ねえ、田崎君……。何かあったの?」
靴を脱いで、部屋に上がり、やっと安堵して大きく息を吐いた僕を、彼女は不安そうな目を向けて訊いた。
「京ちゃん……、ヤバイよ。ヤバイ……」
僕は呟いて、彼女を夢中で抱き締めた。細いからだが僕の胸にすっぽり収まって、彼女は一瞬強張ったが、ゆっくりと僕の背中に手を宛がった。
京を抱いても、さっき見た女の子は、頭から容易に消えてくれなかった。
光になった子が、このマンションに消えていったのだ。またここにいるかも知れない。
僕は目を見開いて、部屋の隅々を見回した。電灯に照らされた明るい部屋には、あの子の姿はない。
ホッとして、京を抱いていた腕の力を弱めた。
「田崎君……」
彼女が真っ赤な頬をして、僕を見上げている。
「あっ、ごめん!」
びっくりして、京から腕を解いて、メチャクチャ焦った。彼女も恥ずかしそうに真っ赤な顔をしている。
「どうしたの? バイトで何かあったの? 真っ青な顔してたよ」
「あ……、ホントごめん。部屋に着いたら、ホッとしちゃって。別に何もないから」
京に、女の子の事を話すのを止めた。あの子を見てないのなら、わざわざ話して脅えさすこともない。
それにあの子のことを、どう話せばいいのか、僕自身混乱したままだ。
「そう? それならいいけど。私、何もなかったけど、真っ直ぐここへ来ちゃった。バーガー買って来たから、夜食に食べよ。コーヒー入れて良い?」
「うん。ありがとう。その辺のカップ使って」
京はやっと笑顔になって、長い髪に手を入れ後ろに撥ねながら、キッチンに立った。
ほっそりとした肩に、揺れる黒髪。細い腰に締まったGパン。滑らかに動いて、コーヒーを入れている。
彼女の後姿を見つめながら、僕は不安になった。
本当に、この人を守って行けるのか? 京の言ったことが本当なら、正体も分らないものから悪意を持たれているということだ。
女の子を見ただけで、気が変になるほど恐怖を感じた僕が、そんな怪しいものから、彼女を守れるとは思えない……。
僕は部屋の中央に置いた小さいテーブルに、胡坐を掻いて頬杖をついた。
そして、可愛く笑って、コーヒーのカップを二つ手に持ち、前に座った京に言った。
「京ちゃん。千葉の家に帰った方がよくね?」
「え?」
「いや、だってさ、僕も一応男だし。ずっとこんな風に一緒にいられないだろ? 家に帰れば一人と言う訳じゃないんだし」
京は、途端に沈んだ顔になった。そして、唇を噛んで俯いた。
「トーゼン、メンドーだよね、私」
「だから、メンドーとかじゃなくって……」
女の子の事を言いかけて、口をつぐむ。その僕の顔を、彼女は悲しい、今にも泣き出しそうな表情で見た。
そして、小さな声で言った。
「千葉の家には、誰もいないの……」
「えっ?」
「一年前両親が離婚して、父が出て行って、母と二人で暮らしていたんだけど、その母も体を壊して、今は故郷の祖母の家で療養している。私はひとりぼっち」
京はふっと笑みを零したが、途端に頬にぽろぽろと涙を零した。
「京……」
「だから、どこにいても一人だし、怖がってる場合じゃないのよね。ごめんなさい。田崎君、優しいから、思わず甘えてしまって……。勿論、自分の部屋に帰るから、気にしないで」
そういうと、手元に置いていたテイッシュの箱から、数枚引っ張り出し、顔を覆うように宛がった。そんな悲しむ様子を、絶句して見た。自分が彼女を追い詰めた?
僕はバカだ! 膝の上で力いっぱい拳を握った。
「京ちゃん! ごめん!」
情けない自分をメチャクチャに殴りつけたい心境だ。守ってやるなんて、カッコいい事言ってたくせに!
僕は彼女の傍へ行って、震えてる肩を引き寄せた。京は、昨日よりもっと声を上げて、僕の胸で泣き出した。
突然現われた得体の知れないものに、首を絞められたのだ。どんなに恐ろしかったか……。彼女の脅えた心を分ってやっていなかった。
それに、一人ぼっちだなんて……。僕は包み込むように京の体を抱いた。
彼女と知り合ったばかりだとか、高藤のことが気になるだとか、怪しいサークルに入っているとか、幽霊が出たとか、そんな御託を並べている自分が嫌になる。
こうして、京を抱いているだけで、昂ぶってくる気持ちに気付いてるじゃないか。
「京、ずっと一緒にいよう。幽霊が出るとか出ないとか関係ないよ。僕は、京と一緒にいたい」
「メーワクじゃないの?」
「迷惑だなんて。京が好きだよ。君のためだったら、何でもする……」
僕を見る京の顔は、涙でびしょびしょで、鼻の頭が真っ赤になっている。大きなはっきりした目には、涙が溜まっていて、瞳が揺れていた。
彼女の顎に手を掛けて、顔を持ち上げた。そしてゆっくり唇を重ねた。
京は僕の前で正座をして、赤くなってはにかんでる。そして小さい子供のように上目遣いで見て、恥ずかしそうに言った。
「田崎君……。私も、いくら怖いからって、嫌な人のところへ来たりはしません。貴方だから、傍に居て欲しかったの」
「京……」
可愛くて、愛しくって、気持ちが止まらない。彼女の肩を引き寄せて、何度もキスした。
ああ、もう、幽霊でも、妖怪でも、吸血鬼でも、何でも持って来い! 片っ端から食ってやる!
冷めたコーヒーとバーガーは、京を見つめているうちに、飲み込んだようだ。
僕達は、お互いが必要だった事を確認して、戸惑うことなく僕のベッドで体を寄せ合った。
でも、夕べからほとんど眠っていなかった京は、狭いベッドで、僕に見つめられながら、すぐに懇々と眠ってしまった。
僕も、気持ちは昂ぶっていて忍耐の限界を感じたが、その内に、京を腕に抱き締めながら深い眠りに落ちていった。
悪夢に妨げられる事もなく、幸せな朝がやってくる。きっと……。
お読みいただき、ありがとうございます。
明日も更新の予定です。
一話目に、プロローグを書き込みました。
分りやすくなったかな?と思いますが・・・。
ストーリーの流れには、関係しませんのでご了承ください。




