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12、女の子 2

「いい加減にして欲しいよ」

 髪を後ろへかき上げながら、僕は口を尖らせて、二人を交互に見た。

「幽霊に興味を持ってるのは分りますけど、何の根拠もないことで、僕に嫌な想いをさせて楽しいんですか?」

 京は、怒った僕に慌てて言った。

「嫌な思いだなんて。そんなつもりないよ。貴方が女の子を見たって言ったから」

「だから、幽霊なんかじゃないって言っているでしょ? ここに住んでなくったって、近所の子が入り込んでたのかも知れないし、親戚の子が遊びに来てるのかもしれない。幽霊だなんだって、なんで決め付けるんですか」

「それは……」

 京は途端に言葉を詰まらせた。高藤は、怒った僕を無視するように、コーヒーをゆっくり飲んでいる。

 彼の態度が、無性に腹が立った。

「ご馳走様。僕はお二人の話にはついていけないので、帰ります」

 椅子から立ち上がる僕に、彼女は困惑した顔を向けた。

「田崎君……」

 玄関で靴を履く僕の後についてきて、彼女は、

「ごめんね。田崎君の言うとおり、ただの噂だから……」

 と、小さな声で言った。

 彼女の暗い顔を見ると、つまらないことで腹を立てている自分が嫌になったが、平然と椅子に掛けたままの高藤と親密な関係だと思うと、やりきれない気分になった。

 どう考えても、僕はここにいる必要なんてないわけで……。

「じゃあ」

 ギッと軋んだドアは、彼女の視線を遮って、バタンと閉まった。その緑色のスチールのドアを見ながら、肩から腹立たしさを抜くように大きく溜息を吐く。

 廊下の腰高の手すりの向こうは、まだ空を覆っている雲のせいか、夕刻だというのに、街は這い出した闇に呑まれそうに暗くなっていた。

 別にどうしても仲良くしたいなどと思っていた訳でもない。大学生なんだ。女の子との出会いなんて、この先いっぱいある。

 夜が間近な部屋に、男と二人でいる矢木京に苛立っている自分に、そう言い聞かせた。

 

 部屋に戻ってからも、何となく気が晴れなくて、そのままデッキのスイッチを入れた。

 空気を裂くようなギターの尖った音色が、体を貫くように部屋に共鳴する。イラついている時聴くのはやっぱりロックだと、体でリズムを取りながら、陶酔しようと瞼を閉じる。

 そういえば、このナンバーをかけると、必ず隣の部屋の妹が、

「うるさい! バカ兄貴!」

 と、怒鳴り込んできた。自分はアイドルだかの気色の悪い音楽を聴いて、世界を席捲する音楽を全く理解できない奴だ。

 でも、一人っきりの部屋の静けさのせいだろうか、小うるさい妹の事が妙にはっきりと脳裏に浮かぶ。あんな生意気な妹でも、傍にいれば気もまぎれるだろうに。

 こんな時、バカを言える友人でも居ればケータイに愚痴を零せるが、まだそれほどに親しい知り合いも居ない。

 長野の田舎へ連絡を取るのも、もうホームシックかと思われそうで躊躇った。 

 僕はそのまま、ごろりと部屋に寝転がった。電燈の傘の影で薄暗い天井を、ぼんやり見ながら、また京のことを考え始めた。

 女の子の幽霊に、ここまで固執するか、ふつう……。たとえ噂があったとしても、マンションの事まで調べるか?

 どう考えても、変わってる。幽霊と聞いただけで、怖がるだろう? 女なんだし。

 それに高藤が、『君なら京ちゃんを助けられる』と言ったことが、心に引っかかっている。僕に何が出来ると言うのか……。

 全く、「都市伝説研究会」だなんて、ふざけたサークルの奴らに関わって、気にしなくて良いことまで気になって仕方ない。

 あの女の子……。正直いって、もう二度と会いたくない。青白い無言の笑みを、記憶から消したいと思った。

 そして、矢木京と、隣の住人であること以外、関わりを持つのを止めようと決心した。


 

 その夜、僕は早めにベッドにもぐりこんだ。

 テレビのない生活が、これ程手持ち無沙汰だとは思わなかった。近いうちに、パソコンを買うつもりだったが、明日、秋葉原へ探しに行こうと決めた。朝一から講義もあるし、バイトもある。結構忙しい一日になりそうだ。

 大学へ行ったら、親しくなった奴とは片っ端からケーバンを交換しようと心に決め、僕は布団に包まった。


 

 真夜中――――。

 ぐっすりと眠っていた僕の耳に音が聞こえてきた。

 それは、自分の頭の中で鳴っているように、息の合間に微かに聞こえる。

 鈴の音――――。僕は目を閉じたままで、その音色に耳を澄ました。目覚めていない頭の中に染み入るような澄んだ音は、何だか心地良い。意識はすぐに混沌として、眠りにいざなわれた。

 ところが、その鈴の音が、段々と大きく聞こえてきた。ぼんやりした頭が、その音を拾い始める。

 うっすらと、暗闇に目を開けた。視界に留め置くものなど何も見えない。ただ、鈴の音がどこかで鳴っている。

 しばらくうつらうつらと、眠っているのか起きているのか分らない状態で、その音色を聞いていた。

 と、その鈴の音と共に、笑う声がした。それは本当に微かだが、人の楽しげな笑い声。

 きゃらきゃら……。

 なんだ……。どこかの部屋で子供が騒いでいるのか――――僕はゆっくり寝返りを打って、布団を首元まで引き上げた。そして、もう一度重い瞼を閉じた。

 

 ふふふ……。


 はっきりと笑う声が聞こえた。窓に背を向けていた僕は、その声に誘われるように窓のある位置へ顔を向けた。


 おにいちゃん……。


 誰かに呼ばれた気がした。まだ眠ったままの頭で、何も見えない闇をぼうっと見る。

 すると、部屋の隅の壁が、少し明るく見えた。

 え?――――瞬きをして、今度は目を見開いた。何だろう……。何かが揺れている。

 それは、闇の中からぬけ出るように、次第に形を現してくる。闇を溶かすように白い影が人の形に浮き上がる! そして差し出された二つの白い手首が、ふわりと宙に浮かんだ。

「だ……だれ?」

 叫んだが、声は出ない。その小さい手は、僕を掴もうとするように大きく指を広げ、近づいてくる。

 女の子!!

 青白い影は、小さい女の子に形を現した。髪の長い、あの子!

 僕は、息を止めたままで、その子を見つめた。その影はゆっくりと僕の方へやってくる!


 ドンドンドン!


 突然、静寂を破って、ドアが激しくノックされた。強張っていた僕の体が、飛び上がって反応する。

 すると、目の前まで近づいていた女の子の影は、一瞬にしてふっと白いもやに変わり、暗い天井へ上がって行く。そして、僕の視界の中を、天井へと吸い込まれるように消え去った。

 しばらく、その天井を見上げたまま、息を止めた。もう、影は見えないし物音もしない。


 また闇が戻った部屋で、僕はやっと息を吐いた。体にねっとりと汗を掻いている。心臓の鼓動は駆け足のままで、苦しいほどだ。

 何だったんだ? 寝ぼけた頭で、夢を見たのか?

 その時、また激しくドアが叩かれた。時計の蛍光塗料を塗った針は、夜中の2時を指している。

 こんな時間に、誰が来たのだろう。

 

 僕はゆっくりと辺りに目を配りながら起き上がり、灯をつけた。

 その眩しいほどの明るさに、やっと心から安堵して、力が抜けていった。

 そして、繰り返しノックされる玄関のドアの前に立った。

 

 

 

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