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「おはよ、ダルメシアンダックスフント」

 始業の鐘の音と重なって俺に呼びかける声があった。

 ……多分俺の事だと思う。

 百一匹くらい居そうな白黒モノクロ犬か、名前の通りちっこいスモールドッグか一体どちらを思い浮かべればいいのだろう。或いは新種のハーフ犬か。どちらにしろ俺はそこまで感受性豊かではない。それに自分像を犬に摩り替えて想像するのはいい趣味とは言えないだろう。

 頭のネジが幾本かはずれているのではないかと疑うようなネーミングセンスを有し、その無意味ここに極まれりな才能を毎朝フルに発揮する御桜(みさくら)流深(るみ)。その容姿は整っていて、大きな瞳の色は肩口より少し下で切った髪と同じ深い黒。

「何度でも言ってやるが、俺の名前はそんな意味不明じゃない」

「あはは、知ってるよそんな事」

 屈託無く……無邪気に笑いやがる。

 なんか今日は色んな奴が笑顔で事を誤魔化そうとしている気がするのだが、最近の流行りか何かなんだろうかね。だとしたらその発信源を突き止めて文句を突きつけてやりたい。……誤魔化される俺も俺なんだが。

 自嘲気味に朝の出来事と今の事を思い出していると、自席までやってきた流深は吐息を吐き。

「今日もぎりぎりセーフ。よかった。これで連続無遅刻記録更新だよ」

 知ったことじゃない。

 俺は隣の席に腰を下ろした人類最悪のニックネームメーカーを一瞥し、

「お前さ、俺の本名覚えてるか?」

 つい出来心でそんな事を訊いてみる。

 流深とは中学からの付き合いだが、高校に上がってから今の今まで一度も本名で呼ばれていない気がする。そういえば、最後にこいつが俺の名を呼んだのはいつの事になるだろう。

 疑問を発してから答えが返ってくるまでにそれほどの時間は必要ない。かといって即答と言えるほど短時間ではない程度の間隔を置き、鞄を机に掛けた流深はその端整な顔を勢い良くこちらに向けて答えた。

「いやだな、覚えてるよ勿論」

「言ってみろ」

「ダルメシア――」

「ストップ。もういい」

 白と黒の生物が脳裏に浮上したところで、流深の発言を短い言葉で遮った。

 ここまでくると名前を忘れられているのではないかという不安から、こいつの脳の機能が正常であるかどうかを心配してしまう。再認できる事柄がダルメシアンだけになっているんじゃないだろうか。

「去年までは遅刻しても一人じゃなかったから良かったんだけどさ」

 遠回しに俺を責めているつもりなら、そいつはお門違いというものだ。

「妹さん、すっごいきっちりしてるよねー」

「まあな。有名私学の首席生徒とかいうくらいだから、しっちりしてて当然と言えば当然だ」

「お兄さんに似なくて良かったね」

「そうだな」

 ぶっとばすぞ。同調しながら胸中で悪態を吐く。

「でも何で転校なんてしたんだろうね。こんな一般公立高校卒業するより、全然将来明るくなると思うけどな」

 それは俺も今朝訊いた。これまでトータルで五回は訊いているが、その全てが曖昧な返事で返されている。よほど人に言いたくないのかそれとも何か陰謀的な考えがあっての行動か。常識的に考えて、答えは前者だろう。別に深く考える事ではない。

「それにしても本当に凄いよね、妹さん。噂だと入試も全部満点だったそうだよ」

「そうらしいな」

 流深の言葉にややトラウマ的な出来事が俺の記憶ボックスから引き出される。

 ――アレは今年の四月の事だった。

 突然空が家に帰ってきたことでそれなりに慌しく落ち着かない日々を送っていた頃の事。俺の元にどうもこの学校の教諭らしき人物が我が家に電話を掛けてきたことが始まりである。その用件というのが空に生徒代表の挨拶をして欲しい、とかそんな無いようだった。しきりにその教諭が俺の名前を聞き返してきては、溜息のような吐息をこぼしていたのがトラウマだ。

 妹と比べられて落胆する兄というのも、どうなんだろうね。

 さっぱりと思考を切り替える。朝から憂鬱になるのは望まぬ所だ。

「お前は相変わらずだな。学年きっての遅刻魔」

「言わないでよ……結構気にしてるんだよ、その事」

 代えたての電球のように眩しい笑顔が曇る。どうやら本当に気にしているらしい。

「そうか、悪かったな」

「いいよ、別に。気にしてないしっ」

 からりとした笑顔。どうすればそこまで簡単に表情を切り替えられるのか、甚だしく疑問であるが。それよりも自分で気にしてるとか言っておいて早速前言撤回とは、もう少し自分の言葉に責任を持つべきだろう。仮にも高校生なんだから。

「でもいいよね。四年も家に居なかった妹が帰ってきたら、家族が増えたような気分になってさ」

 担任が入ってきてホームルームを始めているというのに、お構い無しに話をやめようとしない。席が一番後ろの列でなければ、間違いなく怒号を浴びるか冷たい視線で串刺しにされるに違いない。

 俺は机に頬杖を突きながら、あくまで視線は黒板前の担任へ向けている。

 新学期始まって早々に教師から目をつけられるような面倒な学園生活は送りたくないのでね、俺は。

「そうでもねえよ」

 ぶっきら棒に言うと、同じタイミングで担任の話が終了する。

「色々とうるせえし、何か生活のリズムが乱される感じだ」

 その調子でアレやコレやと不満を溢していく。別に空に対して特別な怨恨があるわけではないし、口から飛び出す言葉も冷静に検分してみれば大袈裟な物。ふむ。こうして口にしてみると、俺は慌しいとはいえ実際は結構充実した毎日を送っているのかもしれん。それまでの倦怠期はどこへやら、てな感じだ。

 次々に並べられていく俺の不平不満。心の内では上記のようなモノローグがありながら、口にする言葉はそれに反したものばかり。つくづく矛盾した言動だ。

「まあ、でもそれなりに楽しいのかもな」

 最後は綺麗に纏める。やはり感情の伴わない言葉は無意味な音でしかない。

 そんなものに人生の時間を割いたと思うと、あまりいい気はしないからな。

 担任が教室を出て行ったことにより、一限目が始まるまでの室内は喧騒に満たされる。教師の居ない教室は生徒のもの、とはよくいったものだ。だというのに、その教師様が壇上で有り難い言葉を発している最中、休むことなく俺に話し掛けていた流深の声が今は無かった。

「どうした?」

 別段気に掛けることではなかったのかもしれないが、この時俺は流深の沈黙を無視できずに訊いていた。

「ううん。別になんでもないよ」

「そうか? それじゃ――」

 別にいいけど、と続けようとして俺は先の行動を後悔する。

 この時、確かに、流深の瞳は濡れていた。

「あー……」

 もしも少し前まで時間を遡る事が出来たなら、俺は俺の席に座って黒板を見ながらぼけっと小言呪文を詠唱している俺を殴り飛ばしてやりたい。

 今からでも今の自分を殴る事は出来るが、それでは問題は何も解決しないのだ。

 そんなものは自己満足で無意味な償いにしかならない。

「悪い、な。お前の事考えないで勝手な事べらべらと」

 教室の喧騒はやはり耳障りだ。こう、精神状態が落ち込んでいる時には特に。

 流深は首を左右に振り、一度その目を窓の外へ投げ出して俺に振り向いた。

「いいよ。気にしないで」

 朝から憂鬱になるのは望まぬところ。自分でそう思っておきながら、俺は自分から墓穴を掘ってしまった。一度世に放たれた言葉は決して撤回できないのだ。


 ――二年前。御桜流深の家族は彼女を除き全員、この世を去っていた。

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