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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
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 時計職人である老人の周囲を、あらゆる時計が囲んでいる。

 彼は今、依頼された壁掛け時計の修理の最中だった。

 彼を囲む時計は、ある物は素朴で、またある物は華麗な装飾に富み、千差万別だ。

 コチ、コチ、コチ、と多くの時計が歌っている。

 その音に囲まれ、休息時にはコーヒーを飲み、作業をするのが老人の日課だった。

 ようやく修理が一段落して、彼はコーヒーを淹れた。

「君も飲むかい?」

 老人は背後に立つセロファン師に言った。

 セロファン師が木靴の音を潜めて訪れたのは、老人を囲む時計の音に遠慮したからだった。

「ううん。僕は何も飲まない」

「そうだろうな。大切な者を喪った者の涙も」

「しょっぱい味がするんだろうね。さながら海のような」

「そうだろう。しかし、今日か…。今日、君が来るというのも何かの因縁なんだろうな」

「貴方の寿命が今日、たまたま尽きるだけの話だよ」

「時計は死を司ると言うが…君。君は憶えているかい、二十年前の今日、君が交通事故に遭って逝った妻と娘に見せた色を」

「さあ…。ああ、思い出した」

「良かった。思い出さないと言うなら、私は君を刺すところだ」

「あの時、貴方だけが助かったんだったね」

「そう。私も連れて行けと言う言葉を、君は聴いてはくれなかった」

「僕はセロファンを最期に見せるに過ぎない存在だし、貴方の最期はあの時ではなかった。――――――僕を恨んでるの?」

「…コーヒーを淹れたよ」

「だから僕は何も飲まない」

「コーヒーを」

「ましてや毒入りのコーヒーなんて」

「………」

 セロファン師はにこりと笑った。

「そんなことはどうでも良いんだ。もうすぐ貴方は病で命尽きる。さあ、人生の終幕に、どんな色を見たいか言ってくれ」

「妻と娘は何色を望んだんだ?」

 セロファン師は微かに眉をひそめた。

 彼にとってそれは過ぎた些末事であり、今は無関係と思えたからだ。

「…奥さんは貴方が手作りした木彫り時計の、木の色を。娘さんは婚約者から貰ったブレスレットのピンクゴールドを」

「―――――そうか。私はあの時、意識が朦朧としていて、君の声と姿を朧にしか把握出来なかったから」

「僕を殺したい?その、手に持ったナイフで」

「ああ。―――――ああ!けれどそれは無理なんだろう?」

 老人の昂ぶりとは裏腹に、いともあっさりセロファン師は頷く。

「貴方に、いや、貴方に限らず、僕を殺すことは出来ないよ。正確に言うなら僕は生きていないからね。そう言えば」

 セロファン師にはふと思い出したことがあった。

「是非にと頼まれていたんだった。奥さんから貴方への遺言。今の今まで忘れていたよ」

「何?」

「『独りで遺してごめんなさい。どうか貴方はゆっくりいらしてね』」

「………」

 カラン、と机上に老人はナイフを置いた。

 もうすぐその妻にも逢える。

 憎くて堪らなかったセロファン師だが、今やその恨みも虚しく思える。

「妻の好きだった菫の色を見せてくれ」

「ようやく言ってくれたね。ありがとう」


 セロファン師は上着から菫色のセロファンを取り出した。

 びかびか光るセロファンだが、不思議とその菫色は優しかった。

 そっと人の心に添うような色合いだった。

 老人の目から一筋、涙が流れた。


 コチ、コチ、コチ、と鳴る部屋から、セロファン師は外に出た。

 たとぅ、たとぅ、たとぅ。

 コチ、コチ、コチ。

 たとぅ、たとぅ、たとぅ。

 コチ、コチ、コチ。


 どこまでも時計の音がついてくるようで、セロファン師は不思議に思った。

 猫が陽だまりで昼寝するような、そんな穏やかな午後だった。


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