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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
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 アトリエで女は一心不乱にテンペラ画の制作に打ち込んでいた。

 アトリエには様々な紺碧の、青の絵が散乱している。

 絵具のチューブも。

 深夜のアトリエで、女は寝食も忘れて、ただ絵を描くことに没頭していた。

 アトリエはコテージ風の一軒家で、ベランダのガラス窓からは青白い月光が見える。

 だが、女には見えない。

 彼女は自分の見た光景を再現しようと必死だからだ。

 その為になら全てを投げ打った。

 絵の大家と呼ばれる男に弟子入りし、求められれば身体をも与え、恋人は紙切れのように捨てた。

 それでもまだ、望む絵を描くことは出来ない。

 青白い月光の残滓が、女の痩せて窪んだ頬を微かに浮き上がらせている。

 女は余りに一心不乱であるゆえ、その音が最初は聴こえなかった。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。


 アトリエ近くの海が騒いでいたせいもあるのかもしれない。

 気付けば彼はそこにいた。

 妖し呪術師のセロファン師。

 女は久し振りに絵画以外のものに目を向けた。

 けれど業の深さか、このセロファン師なら描くに値する、そんな風にしか思えない。

 哀れな性だった。


「貴方の最期の色を見せに来たよ」

「最期の…色?私、死ぬの?」

「うん」


 呆気なく、彼は頷く。


 女は顔を覆い、くつくつくつと笑い出した。


「そう、そうなの。貴方が、セロファン師で、私は、死ぬ…」


 セロファン師はそんな女を平生の面で眺める。


「それならアドリア海の色を、あの嘗て見た紺碧を、私に見せて。それが見られたら私は、死んでも構わない」

「行ったことがあるの?その、海に」

「ええ、まだ家族が離散してなかった頃にね。私にとってあの色は、生涯かけてももう一度見たい、憧れの、至高の色なの。幸福の象徴」


 セロファン師は上着から、アドリアの海の色を取り出した。


 その少し後、アトリエに押し入った元・恋人に、女は刺殺された。

 けれど彼女の死に顔は、不思議と幸福そうだった。


「あんたも惨いことするよね」


 崖に腰掛けて波の音を聴いていたセロファン師は、高く澄んだ声に振り返る。

 そこには肩口で金髪を切り揃えた少女が立っていた。木靴を履いて。

 身に纏うのは純白のパンツスーツ。


「死ぬ前だけに情けをかけて、それが生業だなんてね」

「………」

「ねえ?あんた自身はそれで満足な訳?」

「満足だよ。でもそれは、君には関わりのないことだ」


 セロファン師は素っ気なく言った。

 少女はくすくす笑うと、セロファン師の髪飾りの鈴に弄ぶように触れ、離れた。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と、木靴の音を響かせながら。

 それは潮騒の音に紛れ、やがて消えた。


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