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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
55/58

LV

 たとぅ、たとぅ、たとぅ


 木靴の音が鳴り響けば、水先案内人がやってくる。

 あちら側に何が待つのか、セロファン師も実のところよく知らない。

 天国も地獄も無も、彼には興味ないことだった。ただ、セロファン師は死にゆく人に、望みの色のセロファンを見せられれば満足であり、それが生業であり、ささやかな誇りでもあった。

 夕景の美しい黄昏時だった。

 濃い紫に気の早い星が、落とした粉砂糖のように僅かに散って、紺と藍が混じった内に桃色と金の塊がとろりとあった。


 ああ、絶望日和だ。


 セロファン師は空気を吸い込む。磨き抜かれたセロファン師の艶光りする靴のはるか下、マンションのベランダに子供が横たわっている。今は十二月。外での午睡には寒い時期だ。子供は酷く痩せていた。十歳だろうか。もっと上かもしれない。与えられるべき恵を、享受出来なかった哀れな子供。日本にも、外国にも、少なくない数がいるだろうが、実態はよく知られていない。セロファン師は政治に興味がない。

 このままこの子は死ぬ。その前に色を聞き出さなければ。

 男の子は青紫に腫れた右目と、左目を開けた。セロファン師を見て驚く様子もない。


「こんにちは。君の見たい色を言ってくれ」

「セロファン……師……」

「そうだよ」

「僕……死ぬの?」

「そうだよ」


 セロファン師の答える声の抑揚は変わらない。


「ねえ、セロファン師」

「何だい?」

「お父さんと、お母さんは、どうして僕が嫌いなのかな? 勉強も、家のお手伝いも、頑張ってやったのに」

「それは僕には解らない。関与するところでもないしね」

「そっか……」


 狭霧は黙っていられず声を上げた。幸いここはマンションの一階。手摺りをひらりと超えて、内側に着地する。男の子の惨状に、狭霧は顔を顰めた。


「児相に連絡する」

「狭霧。僕の仕事の邪魔をしないでくれ」

「児相に連絡する。警察にも。救急車も呼ぶ」


 頑なな狭霧に、セロファン師は溜息を吐いた。どうやら今回はセロファンを見せられそうにない。ナナあたりがこの状況を見れば良い気味だと笑うのだろう。


(よもぎ)みたいな緑色」


 思いもかけないことに男の子がセロファンの色を答えた。狭霧が目を見開く。


「お父さんと、お母さんに、嫌いだって思われたままで、生きたくなんてないよ……」

「それは、君の両親が間違っているんだ」

「狭霧。人の心は外からはどうにも出来ない」

「だからってこんなの……っ」

「蓬のような緑色、承った」


 セロファン師は優雅に一礼すると、上着からセロファンを取り出した。

 柔らかい色だった。優しい色だった。なぜこの色を選んだのか、男の子に訊くことはもう出来ないけれど。

 狭霧は泣いていた。

 セロファン師は、そんな狭霧を不思議そうに見ていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 省略と詳細のバランスがとれた文体が、とても読み易く感じました。 [気になる点] 子どもが死んでしまうのは辛いので助けて下さい。無理か…… [一言] セロファン師は、酷薄なようですが、彼なり…
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