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たとぅ、たとぅ、たとぅ
木靴の音が鳴り響けば、水先案内人がやってくる。
あちら側に何が待つのか、セロファン師も実のところよく知らない。
天国も地獄も無も、彼には興味ないことだった。ただ、セロファン師は死にゆく人に、望みの色のセロファンを見せられれば満足であり、それが生業であり、ささやかな誇りでもあった。
夕景の美しい黄昏時だった。
濃い紫に気の早い星が、落とした粉砂糖のように僅かに散って、紺と藍が混じった内に桃色と金の塊がとろりとあった。
ああ、絶望日和だ。
セロファン師は空気を吸い込む。磨き抜かれたセロファン師の艶光りする靴のはるか下、マンションのベランダに子供が横たわっている。今は十二月。外での午睡には寒い時期だ。子供は酷く痩せていた。十歳だろうか。もっと上かもしれない。与えられるべき恵を、享受出来なかった哀れな子供。日本にも、外国にも、少なくない数がいるだろうが、実態はよく知られていない。セロファン師は政治に興味がない。
このままこの子は死ぬ。その前に色を聞き出さなければ。
男の子は青紫に腫れた右目と、左目を開けた。セロファン師を見て驚く様子もない。
「こんにちは。君の見たい色を言ってくれ」
「セロファン……師……」
「そうだよ」
「僕……死ぬの?」
「そうだよ」
セロファン師の答える声の抑揚は変わらない。
「ねえ、セロファン師」
「何だい?」
「お父さんと、お母さんは、どうして僕が嫌いなのかな? 勉強も、家のお手伝いも、頑張ってやったのに」
「それは僕には解らない。関与するところでもないしね」
「そっか……」
狭霧は黙っていられず声を上げた。幸いここはマンションの一階。手摺りをひらりと超えて、内側に着地する。男の子の惨状に、狭霧は顔を顰めた。
「児相に連絡する」
「狭霧。僕の仕事の邪魔をしないでくれ」
「児相に連絡する。警察にも。救急車も呼ぶ」
頑なな狭霧に、セロファン師は溜息を吐いた。どうやら今回はセロファンを見せられそうにない。ナナあたりがこの状況を見れば良い気味だと笑うのだろう。
「蓬みたいな緑色」
思いもかけないことに男の子がセロファンの色を答えた。狭霧が目を見開く。
「お父さんと、お母さんに、嫌いだって思われたままで、生きたくなんてないよ……」
「それは、君の両親が間違っているんだ」
「狭霧。人の心は外からはどうにも出来ない」
「だからってこんなの……っ」
「蓬のような緑色、承った」
セロファン師は優雅に一礼すると、上着からセロファンを取り出した。
柔らかい色だった。優しい色だった。なぜこの色を選んだのか、男の子に訊くことはもう出来ないけれど。
狭霧は泣いていた。
セロファン師は、そんな狭霧を不思議そうに見ていた。




