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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
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 白い病室に女性は横たわっていた。

 髪は全て抜け落ち、身体には管が繋がっている。

 虚ろな眼で彼女は、サイドテーブルに置かれた、今年三歳になる娘と夫の写真を眺める。

 直にタイムリミットだと悟りながらそれらを見ることは、とても悲しい。

 消毒の匂いの満ちる空間で、終焉の時を迎えるのだ。

 ほら、聴こえる。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と木靴を踏み鳴らす音が。


 夜の濃い気配に紛れるように、妖しセロファン師がやってきた。

 纏うは女性がこれまで見たことのない程に深い射干玉の―――深くて黒い色だ。

 もうすぐ自分もそんな世界にゆくのだと女性は思う。

 髪飾りの水色の鈴が綺麗、娘にも似合うかしらなどと考えながら。

 しゃらしゃら鳴る音も涼しげで、何だか自分を慰撫するようで。


「貴方が最期に見たい色は何だい?」


 都市伝説に聴いていたのと同様、セロファン師がそんなことを尋ねる。

 唇に淡い笑みを刷きながら。


 その、淡い笑みが、女性の心底の渇望を刺激した。

 彼女は泣いた。

 泣いた。臆面もなく。


「…私、やっぱり死ぬのね。あの子を遺して」

「うん。それはもう、定められたことだから」

「死にたくないわ。娘は今が一番、可愛い盛りなのに」

「娘さんの可愛さと、貴方の死は関係ない」


 ああ、セロファン師とはそういう存在なのだ、と女性は思った。

 死にゆく人の心におもねることなく、影響を受けることなくすべきことを全うしようとする。


 まるで決して波立つことのない湖面。

 女性はセロファン師のネクタイピンについた一粒の真珠を見た。


「それなら。私の死が避けられないものであるのなら。私、あの子のウェディングドレス姿を見たかったの。純白で、パールホワイトの光沢のある、綺麗な…」


 言う端からも涙が落ちる。

 セロファン師は再び微笑んだ。

 淡いが優しい笑みだった。


「それでは貴方の望むように、パールホワイトの色を見せよう。願わくば貴方の娘さんが、真珠姫のような花嫁になるように」


 セロファン師は上着から美しい真白のセロファンを取り出した。

 それはセロファン師の喪服の黒とは対を為す円やかな輝きを放っている。

 女性の目は食い入るようにそのセロファンを見つめた。


「…綺麗ね。ありがとう、セロファン師さん」


 悟り切ったような女性の双眸から、不意に再び涙が盛り上がる。


「死にたくない。死にたくないわ、やっぱり。あの子の花嫁姿を、私、見たい」


 まだ死ねない、あの子を遺して死ねない、と繰り返す。

 あの子を遺して…、と言ったところで声は途切れ、永遠に女性は沈黙した。

 もう彼女が親心ゆえに泣くことはない。

 

「………」


 セロファン師は母の心を解さない。

 けれどどこか、女性の涙には静かな水面を揺らされた。

 それは音もなくセロファン師の心に落ち、深沈としてしばらくセロファン師の中に残った。

 

 死にたくない、死ねないという思いにもそれぞれあるのだ。

 セロファン師は美しい真白のセロファンを上着に仕舞い、病室の窓から見える空を仰いだ。

 空にはただ清かに星が散っていた。


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