表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
47/58

XLVII

 ぜひゅーぜひゅーと荒い呼吸が漏れる。

 厳寒期、風邪から肺炎に罹った男は、高齢でもある為、己の死期を悟っていた。

 だから、その音が聴こえても不審に思いはしなかった。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。


 響く木靴の音。子守唄のようにさえ感じる。


「こんばんは。良い月夜ですね」


 ふわりと、病室にセロファン師が降り立つ。

 儚げな微笑。目に宿る感情は無色透明。ただ小首を傾げると鈴の髪飾りが涼しい音を奏でる。どこまでも黒く清らかな死神。


「セロファン師、か」

「うん。最期に、貴方の望む色を言ってくれ」


 ぶわ、と男の双眸から涙が溢れるが、それは己を哀れんでのものではなかった。


「あの子の。波多江(はたえ)の吐血の色を……!」


 男は合気道の道場主であり、その長男である波多江も幼い頃から稽古に励んでいた。才気を息子に見出した男は、喜び勇み、ますます熱意をもって息子を鍛えた。

 ある日、己の心が折れるまでは。

 相手は行きずりの、今時珍しい道場破りだった。

 男は弟子たちの前で完敗を喫した。

 自暴自棄になった。妻にも先立たれ、酒浸りの毎日。

 波多江がどれだけの大会で手柄を上げて、またそれを報告しても、賞賛の言葉一つ、かけてはやらなかった。

 やがて波多江が取り返しのつかないところまで、肺を病んでいると知ってからも。


「息子さんは最期に何て言ったの?」

「……不肖の、息子で済まないと。期待に応えられなくて申し訳ない、くれぐれも、……」


 男は涙声を詰まらせて続ける。


「くれぐれも、身体に気をつけろと」

「そう」

「莫迦めっ。不肖の息子だと? 期待に応えられなかっただと? そんなもの、とうに、成し遂げていたっ! あれの仕出かした最大の親不孝は、親に先んじて逝ったことだ!!」


 ぼろぼろと、大粒の涙がこぼれる。末期の肺炎で、絶叫した男は、しばらく悶絶するような苦痛を味わった。

 セロファン師の表情は、それでも凪いだ湖面のように静かだ。


「息子さんの吐血の色、承った」


 黒い上着から深紅のセロファンを取り出す。

 波多江の生きていた痕跡。命の緋色。


「波多江。波多江」




 廊下で待機していた狭霧の耳にも、悲痛な声は届いていた。

 狭霧も泣いていた。

 ただ一人、セロファン師だけが、静かに、男を看取った。


 最期に、一人の父親として死んだ男を。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ