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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
44/58

XLIV

 セロファン師は目を閉じた。


 死の気配がある。

 色濃い悲痛の種。迫る終幕。呼ばれていると感じる。

 人はいつも勘違いする。セロファン師は自分で望んで死に赴いている訳ではない。死のほうが、セロファン師を呼ぶのだ。だからナナたちの非難は不当で、的を射ていない。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。


 木靴を鳴らし、セロファン師は彼女のもとに降り立つ。

 包丁を持つ女性。浮気して、散々女性を利用した男を刺して、自分もそのあとを追おうとしている女性のもとに。

 彼女の白い頬には赤い飛沫がついていた。


 どこか退廃的な美を感じさせる。

 もちろんセロファン師はそんなことに心動かされはしない。


 炎天下、冷房もつけていない部屋の中、血の臭いが充満している。

 何も気にせぬ風に、セロファン師はにこりと微笑んだ。


「こんにちは。逝く前に、貴方の望む色を言ってくれ」

「…………セロファン師」


 女は絞り出すようにそれだけを呟いた。目は虚ろで、焦点が定まっていない。


「うん。そうだよ。初めまして。今日は暑いね」


 セロファン師に寒暖は関係ない。女性に合わせて話をしただけだ。

 そうね、と女性はぼんやりと答える。それから、刃についた血を、愛おしそうに舐め上げた。甘美なのだろう。セロファン師にはよく理解出来ないが。


「彼が憎かった?」

「愛していたわ」

「殺したかった?」

「愛していたわ」


 セロファン師の問い掛けに、女性は台本を読むように同じ言葉を返した。


「だから、ねえ、セロファン師。この人の目の色を見せて? 今は閉じてるけど、彼、外国の血が混じってて、光の加減で琥珀色みたいに見えて綺麗だったの。ね? お願い」


 セロファン師は女性の願いを快諾した。


「承った」


 部屋の窓際に吊るした風鈴がりんと鳴る。海からの漂着物を乾燥させたもので作ったらしいそれは、軽やかな音を奏でた。


 セロファン師は上着から、琥珀色とも茶色ともつかぬセロファンを取り出す。

 びかびか光るセロファンを。


 そして、女性は自らの人生の幕を閉じた。


 狭霧には部屋に入るなときつく言い聞かせていた。

 なのに。


 狭霧は侵入した。そして目の前の光景に絶句し、口を押えた。


「人の忠告を聞かないね、君は」


 そのままえずく狭霧を、セロファン師は冷ややかな目で見下ろす。

 完全に自業自得だった。


「俺、女が怖い」


 ようやく、狭霧が口にした言葉がそれで、セロファン師は苦笑した。


「行い正しければ君が刺されることもないさ。さあ、行こう。警察が来る前に」


 窓際の風鈴が、また鳴った。



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