XLIV
セロファン師は目を閉じた。
死の気配がある。
色濃い悲痛の種。迫る終幕。呼ばれていると感じる。
人はいつも勘違いする。セロファン師は自分で望んで死に赴いている訳ではない。死のほうが、セロファン師を呼ぶのだ。だからナナたちの非難は不当で、的を射ていない。
たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。
木靴を鳴らし、セロファン師は彼女のもとに降り立つ。
包丁を持つ女性。浮気して、散々女性を利用した男を刺して、自分もそのあとを追おうとしている女性のもとに。
彼女の白い頬には赤い飛沫がついていた。
どこか退廃的な美を感じさせる。
もちろんセロファン師はそんなことに心動かされはしない。
炎天下、冷房もつけていない部屋の中、血の臭いが充満している。
何も気にせぬ風に、セロファン師はにこりと微笑んだ。
「こんにちは。逝く前に、貴方の望む色を言ってくれ」
「…………セロファン師」
女は絞り出すようにそれだけを呟いた。目は虚ろで、焦点が定まっていない。
「うん。そうだよ。初めまして。今日は暑いね」
セロファン師に寒暖は関係ない。女性に合わせて話をしただけだ。
そうね、と女性はぼんやりと答える。それから、刃についた血を、愛おしそうに舐め上げた。甘美なのだろう。セロファン師にはよく理解出来ないが。
「彼が憎かった?」
「愛していたわ」
「殺したかった?」
「愛していたわ」
セロファン師の問い掛けに、女性は台本を読むように同じ言葉を返した。
「だから、ねえ、セロファン師。この人の目の色を見せて? 今は閉じてるけど、彼、外国の血が混じってて、光の加減で琥珀色みたいに見えて綺麗だったの。ね? お願い」
セロファン師は女性の願いを快諾した。
「承った」
部屋の窓際に吊るした風鈴がりんと鳴る。海からの漂着物を乾燥させたもので作ったらしいそれは、軽やかな音を奏でた。
セロファン師は上着から、琥珀色とも茶色ともつかぬセロファンを取り出す。
びかびか光るセロファンを。
そして、女性は自らの人生の幕を閉じた。
狭霧には部屋に入るなときつく言い聞かせていた。
なのに。
狭霧は侵入した。そして目の前の光景に絶句し、口を押えた。
「人の忠告を聞かないね、君は」
そのままえずく狭霧を、セロファン師は冷ややかな目で見下ろす。
完全に自業自得だった。
「俺、女が怖い」
ようやく、狭霧が口にした言葉がそれで、セロファン師は苦笑した。
「行い正しければ君が刺されることもないさ。さあ、行こう。警察が来る前に」
窓際の風鈴が、また鳴った。




