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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
43/58

XLIII

 たとぅ、たとぅ、たとぅ。


 冗談だろう、と男は思った。

 そしてその思いは、目の前にセロファン師が立っても変わらなかった。

 ――――都市伝説のセロファン師。

 喪服のような黒い服。

 水色の鈴の髪飾り。黒いネクタイには真珠のネクタイピン。

 死神とさして変わらない少年の容貌は、想像していたよりずっと清涼だった。

 セロファン師が微笑む。


「こんばんは。貴方の望む色を言ってくれ」

「……セロファン師」

「如何にも、僕はセロファン師だ。煙草の服用による自殺は苦しいと思うけど」


 男の手にはカッターナイフで刻まれた煙草があった。今まさに、彼はそれを飲もうとしていたのだ。平屋建ての一軒家。深夜、そこだけ電気の点る台所で。虫がリー、リー、と鳴いている。男が広い一軒家に一人、住まうには理由があった。ついひと月程前、交通事故で妻と子供ら二人をいっぺんに亡くしたのだ。それ以来、絶望が男の胸に巣食った。家族の死後、男は生きる屍だった。何をしても虚しく、遣る瀬無い。特に夜になると押し寄せる、途方もない絶望。もう無理だ、限界だと思った。力なく首を振る。


「見たい色はない。一人にしてくれ、セロファン師」

「色を言ってくれないと、僕は困るんだけどな」

「そんなこと――――」


 知ったことではないと言いそうになった男の脳裡に、ある花が浮かんだ。


「……竜胆(りんどう)

「竜胆?」

「ああ、そうだ。竜胆の花の色を見せてくれ」


 濃くて深い、青紫。

 セロファン師が薄く微笑む。


「竜胆の色、承った」


 やがてその上着から、びかびかしたセロファンが取り出される。


 男の頬は濡れていた。竜胆は、男の妻が好きな花だった。

 眼前に広がる、青紫。

 妻は言っていた。

 竜胆の花は滅多に開かないのよ。だから一度、開花した竜胆を見てみたいの。


 男は、刻んだ煙草を呷った。





 セロファン師は苦悶に歪む男の死に顔を静かに見ていた。

 家を出ると狭霧がいた。訊かれるまま、一部始終を語る。狭霧は複雑そうな表情で口を開く。


「竜胆の花言葉、知ってる?」

「いいや」

「悲しんでいる貴方が好き」

「……そう」


 今頃、男は別れた家族たちと再会しているのだろうか。

 残酷にも思える花言葉は、セロファン師の胸に一抹の余韻を残した。





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