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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
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 月の明るい晩だった。

 典型的な日本家屋に、セロファン師は舞い降りた。

 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と木靴の音を鳴り響かせながら。

 布団に横たわる、痩せた老女はセロファン師を見て、微笑んだ。

 セロファン師も微笑んでいたから、二人の表情は鏡写しのようだったかもしれない。


「来たのね。セロファン師さん。ほら、やっぱりいた。うちのお父さん…、私の夫、あの人の時も貴方が来てくれたんでしょう?」

 老女はそう言って布団の向こうに見える遺影を指差す。

「どうだったかな。人の顔はよく憶えていないんだ」

「そう…」

 少しがっかりしたように、老女は呟いた。

 それから気を取り直したようにセロファン師に望む。

「鉄錆びの色をお願いよ」

「鉄錆びの色…」

「あの人が死ぬよりずっと前に、二人で話してたの。流しの排水溝の中が錆びてきてるわねって。そのね、色が何だか無性に懐かしいのよ」

「…思い出した。同じ色を望んだ人がいたよ。確かあれは、病室だったけど」

 ふふ、と老女が笑う。

「お父さんは病院で逝ったからね。私はうちで最期を迎えたいって我が儘を通したの。ああ、でも何だか嬉しい。夫婦揃って、同じ色で人生を締め括れるのね」

「鉄錆びの色なんかで本当に良いの?」

「ええ、ええ、お願いよ」

「それでは貴方の望むように、鉄錆びの色を披露しよう」

 

 セロファン師は上着から、赤茶けた鉄錆び色のセロファンを取り出した。

 美しさとは程遠い、物寂しい色。

 セロファン師の好む色味ではない。

 けれど死にゆく人の望みは叶えられなければならない。

 どんな色でも、望む色を。


 老女は鉄錆び色にびかびか光るセロファンを見て、涙を浮かべた。


「ああ…。そう、それ、その色よ。何とかしなきゃねってお夕飯食べながら話したりして…。業者さんに来てもらおうって。あの人が倒れた日も」


 セロファン師にはよく解らない。

 頻りに話題に出していた色だから懐かしいのは解る。

 だがそれにしても、人生最期なのだから、もっと晴れやかな色を望むものではないだろうか。

 セロファン師にはよく解らない。

 老女が微笑んだ顔のまま、もう動かなくなった時も。

 彼は鉄錆び色のセロファンを持ったまま、日によく焼けた畳に立ち尽くしていた。

 季節は秋で空気が澄み、老女の寝た部屋は縁側に面して月光が射し込んでいる。

 その縁側で夫と並んでお茶を飲んだことなどもあったのかもしれない。


 ほんの少しだけ、腹が立った。

 それはセロファン師には珍しいことだ。

 セロファン師の心の常はセロファンと異なり無色透明に近い。

 

 人の終焉に立ち会うのが彼の生業。

 そうであれば叶う限り、美麗な色を、華やかな色を、明るい色を披露したいではないか。

 なのにこの老女のように、時折、そうでない色を望む者がいる。

 セロファン師はいつか業火の色を望んだ男を思い出した。

 彼はその色を切望していた。

 セロファン師は気が進まなかった。

 だが男の望みを叶えた。

 業火の色。鉄錆びの色。

 鉄錆びの色に歓喜して子供のように泣いた老女。

「…一番解らないのは、僕がどうして拘るのかだよ」

 永眠した老女に、もう答えはないと知りつつセロファン師は語りかけた。

 しゃらり、と髪飾りの鈴が鳴った。 




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