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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
21/58

XXI

 彼は白髪がまばらに混じった頭をがりがり掻きながら、もう片方の手で分厚い冊子を弄っている。首にはタオル。もうクリスマスも近いというのに、半袖にジーンズという涼しい装いだった。パイプ椅子に座る彼の前は無人で、同じくパイプ椅子が円になって並んでいる。彼は長机の上に身を乗り出し、眼鏡に触れて考えに耽っている。


 だから気づかなかった。

 明らかな前触れ。

 木靴の音。

 折しも外はジングルベルの音楽が流れている。

 その音に紛れて。


 たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。


 ()()(たま)(いろ)の、死者を悼む衣服を纏い。

 髪には水色の鈴。


 目前にセロファン師が立ち、そこでやっと男性も我に返った。


「こんにちは」


 静穏に挨拶したセロファン師を、男性は怪訝な顔で見た。


「オーディションなら数週間前に済んだぞ。配役ももう決まってる」

「貴方は演出家なんだね」

「……何だ、君は。俳優志望かね。ふむ、独特の空気を持っている。だが、駄目だな」

「駄目?」

「静か過ぎる。発するべき情が希薄だ。悟りでも開いてるのか?」


 そう言って男性はよれた青のシャツでごしごし顔を拭いた。タオルの存在を忘れているようだ。


「――――どうかな。見たい色を言ってくれないか」

「何だ、藪から棒に」

「それが僕の生業。死にゆく人に望む色を見せる」


 はっ、と男性が改めて何かに気づいたようにセロファン師を凝視した。


「……セロファン師」

「ご名答」

「…………俺は死ぬのか」

「死ぬよ」

「病気か?」

「殺人だ」

「殺人?」

「貴方に演技をこてんぱんに貶された青年にね」

関田(せきた)。あいつか、駄目だ、それはいかん!」


 セロファン師が小首を傾げる。男性が勢いよく立ち上がった拍子にパイプ椅子が賑やかに叫ぶ。


「あいつはものになる。逸材なんだ。犯罪者なんかになったら、演技が出来なくなるじゃないか!!」

「心配するところはそこなんだ」

「当たり前だっ。俺が何十年この道で生きてると思ってる!」

「望みの色を言ってくれ」


 激昂する男性とは反対に、セロファン師は淡々と要求を繰り返した。

 睨みつけられてもそよ風のように微笑していなす。


「俺は死なない」

「貴方は死ぬ」


 しばしの沈黙が落ちる。


「ベビーピンク」

「え?」

「別れた女房が最後に娘に着せてやった服の色だ。甘ったるくて、俺は好かん」

「嫌いなのに、その色で良いの?」

「嫌いだよ。――――――――でもそれで良いんだ」

「では貴方にベビーピンクのセロファンを。どうか安らかに旅立てるよう」


 セロファン師は上着から甘く優しいベビーピンクのセロファンを取り出した。



 その日、高名な演出家が若い役者に刺殺された。

 演出家は死ぬ前に刺した相手の役者に言ったという。


 発声練習を怠るな、と。



 クリスマスムード一色の街で、そのニュースは一瞬、騒がれたあと、すぐに忘れられた。




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