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セロファン師は気が進まない  作者: 九藤 朋
14/58

XIV

 その少女は生まれて数年も経たない内に、難病に侵された。

 早々に視力を失い、学校に行くこともなく、ずっと病院で過ごす毎日。

 何度か、たとぅ、たとぅ、たとぅ、という音を聴いた気がするが、それは決まって少女の病気の発作が起きた時だった。

 そのたびに少女は何とか命を取り留め、今に至る。

 消毒液の匂い。

 シーツの肌触り。

 頬に当たる初夏の風。

 無機質であろう四角く白い病室が目に見えないのは、幸いだったかもしれない。


 そんなことを考えていると、また、あの音が聴こえた。

 

 たとぅ、たとぅ、たとぅ、たとぅ。


 少女にはその音が、固い木で出来た何かが地面に接触する音のように聴こえた。

 そしてその音がする時、少女は必ず重篤の時なのだが、不思議と音を嫌うことはなかった。

 なぜだか優しい、昔馴染みに出逢えたようで。

 

「やあ、お姫様。君が最期に見たい色を言ってくれ」

 声は近くから聴こえた。かと言って、近過ぎもしない。

「貴方…ひょっとしてセロファン師?」

「ひょっとしなくてもセロファン師だ」

 死にゆく人の最期に望む色を見せる妖し呪術師。

 都市伝説だと思っていた。

 彼の声は涼やかで、時折小さな鈴の音が聴こえる。

「私……やっぱり死ぬの?」

 死ぬの?という言葉が、どこか他人が言ったもののように耳に響く。じんじんと。

「残念ながら」

「そう…」

 少女は身体に掛かった上質なガーゼ地の布団を撫でる。

 少女を溺愛し、また、難病を不憫に思った両親は、目の見えない彼女の為に触覚や嗅覚が少しでも心地好くなるよう、病室を整えるべく手を尽くした。

 今はかかっていないが癒し効果のあるという音楽がある時間になると流れるように自動予約されたCDプレイヤーがサイドテーブルに置かれ、その横のアロマディフューザーからはマイナスイオンを伴うラヴェンダーの香りがミスト状になってもくもくと出てくる。

 母に、特にと懇願された看護士が、セットしておいてくれたものだ。

 ぎし、とベッドが軋む音。

 セロファン師が腰掛けたのだと少女には解った。それで自分も、仰向けの体勢から何とか半身を起して、彼と向き合うような形を作ってみる。

 髪を梳かしておけば良かった、と思う。

 そしてそんな自分に苦笑する。

 自分の身体には何本もの管が繋がっている。

 体裁など、今更だ。


「君のところには何回か来たんだ。けれどそのたびに、君は死の淵から戻ってきた。そんなケースは余りないんだけど…」

「そう。じゃあ、今回は本番って訳ね」

 少女は強がって笑いながら言った。

「うん。君の寿命は尽きる」

 対してセロファン師の言葉は無慈悲で淡々としていた。

 ふと少女は、悪戯心でセロファン師に言った。

「貴方の顔を触らせてくれる?」

「僕の顔?」

 面食らったような声に気持ち良さを覚える。

「ね?そうしたら私、望む色を言うわ」

「―――――良いよ」

 セロファン師は少女の手を取り、自分の顔へと導く。

 目、鼻、口。

 それから髪や鈴飾りまで。

「素敵。さっきから鳴っていたのはこの鈴ね?お洒落だわ」

 少女の今にも折れそうな小枝と見紛う指が、セロファン師の髪の鈴飾りに触れると、チリン、と涼しげな音が鳴り、少女はまるでセロファン師の声のようだと思う。

「目が見えていたら、ううん、見えていなくても、私の初恋は貴方だわ、セロファン師さん」

 セロファン師は瞬きする。それから唇に優しい微笑を刷いた。

「光栄だな」

「好きな人はいるの?」

「いないよ」

「でも貴方を好きな人はいるでしょう」

「それもいないよ」

「…寂しい話ね。それなら私は、貴方を好きになった最初の人になるわ」


 これ以上、踏み込んでは、踏み込まれては危険だ、とセロファン師の頭で警鐘が鳴る。


「…僕を初めて好きになってくれた君に問う。最期に何の色を見たい?」

「私でも見られるの?」

「もちろん。僕はその為の存在だ」

 セロファン師の声に多少の誇りが混じる。

「じゃあね。まだ病気になる前、目が見えていた頃にお母さんたちに連れられて行った、蓮華畑の色が見たい。綺麗だったのよ。一面、ピンクと赤紫の混じった色で」


 セロファン師が上着からセロファンを取り出す。


「蓮華畑の色を君に」


 次の瞬間、少女の眼裏に一面の蓮華が咲いた。

 鮮やかに明るく、祝福に満ちた光景。

 少女は涙をこぼした。

 顔を伏せて両手で覆っても、蓮華畑は消えない。

 消えない。




 少女の病室から、男女の嗚咽が聴こえる。

 医師が痛ましそうな表情でそれを見ている。

「容態は落ち着いていた筈なんですが…」

「まさか死に目にも会えないなんて」

「…安らかな顔をしている。苦しまずに逝ったんだろう」

「恋も知らずに逝かなくてはならない、一体あの子が何をしたって言うの?」

「………」



 セロファン師は窓の外から、その一部始終を見ていた。

 幾度も迎えに行った少女。

 ついに最期の色を見せることが出来た少女。

 …自分を好きだと言ってくれた少女。


 蓮華畑の色は、セロファン師の中にも淡く残った。


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