Ⅰ
たとぅ、たとぅ、たとぅ、と木靴の音を鳴らし足でリズムを刻みながら、妖しのセロファン師が、無限彩色のセロファンを宙に披露する。
セロファン師の衣服は喪服の黒。
それを補って有り余るようにセロファンは極彩色に乱舞する。
びかびかしていて透明で。
紅花色。牡丹色。露草色。欝金色。
黄昏の、朝焼けの、真昼の空色なども。
射干玉の色ばかりは、セロファン師の占有色。
死者に対する丁重な礼儀だ。
たとぅ、たとぅ、たとぅ、と。
木靴の音が聴こえたら、人は死期が近いと悟る。
伝説の真実を。色を望む者に訪れる使者の存在を。
ビルの屋上。
靴を並べて揃え、地上の、無遠慮な星の散らばりを、唇を噛み締め虚ろな目で見て冷たいコンクリートを歩む刹那。
長年、嫁に介護され、寝たきりの床で眠り入ろうとする深夜。
救急搬送される途中でも。
妖し呪術師セロファン師は、木靴を踏み鳴らし邪気を払い、いずこからともなく現れるのだ。
人生の最期に、望む色を提供するのが生業。
余人には見えぬ異界の人。
まだ若く見える少年の目に宿るものは、積雪のごとくに深い。
多くの死の景色が降り積もって、そのようになった。
黒いネクタイには真珠が一粒ついたネクタイピン。
物憂くも彼は微笑みながら、彩り鮮やかなセロファンを上着から取り出す。
故郷がダムの底に沈んだ老人には黄金の、稲穂の色を。
畦道に生えていた蒲公英の色を。
一仕事終え、縁側から茶を飲みながら見た夕日の、まん丸く赤く、橙めいた色を。
列車事故に巻き込まれた女性には、恋人に買ってもらう筈だった指輪の、ピンクサファイアとプラチナの色を。
二人で育てていた鉢植えの、鈴蘭の葉と花の色を。
幸福の再来が花言葉である鈴蘭の色のセロファンを披露しながら、彼女を喪う男に、その花言葉が添うよう願いながら。
ある時。
業火の色を見たいと望む男の枕辺に、セロファン師は現れた。
男の片腕と、片脚は無い。
戦争で失くしたと言う。
普段はしないことなのだが、セロファン師はその色を求める理由を尋ねた。
小首を傾げると、髪につけた飾りの鈴が、しゃらりと鳴った。水色に相応しく清涼な音色だ。
「何でかって?俺はあの時、人ではなかったから」
「戦時中?」
「そうだ。犯しても焼き殺しても平気な、人外だった。鬼だった」
「……尚更、解らないな。それであるならば、炎の色など好まないのが筋じゃないかい?」
男はもうだいぶん色の黒ずんだ唇を笑うように歪めた。
笑うようだが笑みではない。
「だからさ。業火に包まれ死ぬことこそが、俺の最期には相応しい。――――――――こんな。こんな病院の個室で、月の綺麗な良い晩に、ぽっくり往生なんざいけねえ」
いけねえんだ、と男は窓の外に浮かぶ月を見て繰り返した。
セロファン師にはよく解らない。
唇をちょっと湿してから、男は続ける。
「俺と同じ部隊の奴には、南方の島で自分が殺した子供のちっせえ髑髏を、戦後もずっと首から掛けて、持ち歩いてる男がいた。もちろん気が違ったと思われたし、まともな仕事にも就けやしなかった。所帯持つなんざ、夢のまた夢だわな。野垂れ死に寸前のあいつに俺も訊いたさ、何でそんな真似してんだって。気味悪くねえのかよってな」
「―――――そうしたら?」
「…………とても恐ろしいけれど、これが自分に課された罰だから。それっきり、言って黙った。だからさ、」
にかっと、今度は確かに、男はセロファン師に向けて笑った。
「火炎放射器でトーチカ(戦時下における防御陣地)を焼いたりした俺だ。あいつに倣おうって訳じゃねえが、最期はな、……業火で締め括りたいのよ」
なぜだかセロファン師は気が進まなかった。
招かれた先では、明るく華やかで幸いな色を見せたかったし、望まれたかった。
しかしセロファン師の望みよりは、死にゆく人の望みが優先される。
それが理。
ならば業火のセロファンを。
爛々とした赤の中の赤を。
取り出して、躍らせた。
男の死に顔は苦悶に満ちて歪みまくり、悲惨なものだった。
掻き毟った喉からは血が流れ、唇の端からは唾液が垂れ出ている。
「満足かい?」
セロファン師は、もう答えない彼に尋ねた。
最後の最後、極楽ではなく地獄の色を望んだ男。
もう少し話してみたかった気もするし、もう二度と話したくないとも思った。
暁光が遠くて、セロファン師の喪服はまだ、闇に溶けている。
月光が、射干玉色を掠めるように淡く流れていた。