表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

3. 耳飾り  其の一

 チリ……、チリリ。チリ……



 微かな、微かな音なれど、それは確かに聞こえていた。

 耳元で、硬質な乾いた音が、ヴェスタを呼んでいる。そう、それは確かに舞妓ガーワジを呼んでいた。



 チリ……チリ……チリリ……



 ああ、金属が擦れる音だと、舞妓は思い当たった。小さな軽い金属が触れ、こすれて音を立てている。まるで存在を主張するかのように、耳元で鳴っている。

 魔女イフリータの力に屈し、暗黒に吸い込まれようとしていた彼女に、警告を鳴らしているのか。

 ふと、どこかで聞き覚えがあるような気がした。この音色、遠い過去ではなく、いましがた聞いたばかりのような気がする。

 微睡まどろんだ意識の中で、舞妓は懸命に思い出そうとした。

 そうしなければならぬと思うた。


 すると――彼女の意識の隅で、白い幻がふわりと舞った。


(――耳飾り……そうだ、耳飾りが鳴っている。アリシャルの……、アリシャルの耳飾りが……)


 とたん、舞妓の瞳の内でなにかが弾けた。



* * *



(目が、覚めた!)


 舞妓ガーワジの大きな瞳に強い光が蘇る。

 今度こそ、濃密な水蜜桃の誘惑の声から抜け出さねばならぬ。どれほど甘く響けども、あれは破滅への誘い水。耳を貸し、誘いに乗れば、あとは精気を喰われるだけ。きゃつらの餌となり、殻となった肉体を乗っ取られるのだ。

 それは断じて、許されぬこと。抜け殻となった肉体とて、他のものに、ましてや魔族の好きにさせるなどということは、決して許してはならぬこと。

 おぉ、考えただけでも虫唾が走る――と唾棄の感情が湧いてくる。


 しかしがんじがらめに捕らわれたヴェスタには、退魔の呪文をつぶやきたくとも、唇を動かすことが叶わない。瞬きひとつすら許されぬ。カッと見開いたままとなった目の前で、魔女の耳まで裂けた口の中、渦巻く暗黒は舞妓を手招いている。


<……喰わせて……おくれ……>


 必死の抵抗も、歯が立たぬのか――。刻々と肉体うつわから剥がされる舞妓の精気は、大きく開かれた混沌が渦巻く口内へと吞み込まれていく。


 一方、獲物を捕らえたと確信した魔女は、熱を帯びた目でヴェスタを眺めていた。淫靡な光が灯る眼は、てらてらと濡れて、醜悪さをむき出しにし始める。

 舞妓の精気を味わい尽くそうとでも云うのか、巻き付けた乳白色の肢体には虹色の輝きが浮かび上がっては消え、皮膚はぴくぴくと小刻みに震えている。ごくりと喉が動けば、生命力にあふれた舞妓の、麗しい精気がまた吸い取られていく。

 魔女は満足げに、ニタリと嗤う。




* * *




 チリ チリ チリリ……


 舞妓の耳には、あの小さな音が響いていた。

 絶体絶命というこの期に及んで、今尚舞妓の心は闇に堕ちてなどいなかった。まだ足掻いていた。躰は泥濘にはまり、精気を強奪されようとして尚、この窮地を脱出せんと窺い続けていた。

 彼女は束縛を嫌う生粋の流浪の民(ヒタノ)であり、誇り高き「アリシャルの後継者」であり、何よりこの魔女の仕打ちに猛然と怒りを感じていた。一旦は忘れかけ、妖魔の声に惑わされたが、耳飾りの響きがそれらを思い起こさせた。この音が耳にある限り、魔女が何を仕掛けてこようとも、跳ね除ける気概と勇気が沸々と湧いてくる。目の前に迫る魔女の脅威さえ、平然と冷めた視線で眺めることもできた。

 醜怪に歪む魔女の顔は、もはや舞妓の面影を残さず、飢えた獣のあさましさに変っている。舞妓は嫌悪感にむせた。


 チリ……リリリリ……リリ……リリリリ……


 最初は微々たる音であったが、今はヴェスタの感覚を刺激するかのように鼓膜の中に響いている。決して騒々しい音ではなく、かといって弱々しくもなく、闇に染まらぬ清らかさを刻む音は舞妓の闘志を奮い立たせていた。

 だが、どうすれば良い――どれほど奮起しようとも舞妓には手立てが無い。歯がゆさに煮え、苛立ちが焦りに姿を変えようとする。

 悔し紛れに悪態を吐きたくとも、痺れる舌は言葉を紡ぐことを忘れてしまったようだ。冷静さを失いかけた時、


 ひらり――と、脳裏に白い影が跳んだ。


 とたん悪魔シャイターンを祓う鈴のように、耳飾りが涼やかな音を鳴り響かせる。

 舞妓の頭の中、白い影はその音色を伴奏ともに動き始めた。

 ぼんやりとした輪郭が、次第に人型を形成せんとする。踊っているのか――手足を振りつつ、ゆっくりと左右に揺れる。首を振り、上体を反り返し、右足を蹴り出し……再び高く跳ぶ。腕を高々と上げ、拍子を踏み、舞い上がる……。


 あれは『湖面の浮かぶ月の踊り』か――! ヴェスタは震えた。


 舞っているのは、先刻の自分か。それとも魔女か。


 あれは、誰か――!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ