表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

1. 舞踏手  其の一

彼の地の名はアルイーン。

乾いた白茶色の大地に繰り広げられし、興亡の絵巻。


西に巨大な軍事力を誇るバッファーン朝イゾルタン帝国、東に謎多き国カラ・シーン神皇国。南に混乱の続くマズムール王国。大国の間で揺れるアズタンザイヤ……。

アージ・アルイーン神殿に伝わる秘密を巡って、国々の思惑が蠢く。


やがて北からバンディア大陸連合軍の侵略の魔の手が、アルイーンの大地を乱していく。

――という物語の外伝です。


本編はすでに故あってボツにしてありますが、個性的なキャラたちが繰り広げる、ダークできらびやかな世界の断片をお楽しみください。

 シャラン… シャラン…


 踊り手が手足を動かす度に、腕輪足環の銀の鈴が涼やかな音をたてる。

 夜の空気を振動させ、日差しに焼かれた乾いた肌に、涼しさを感じさせる音色だ。

 

 風の無い夜だった。


 とうに熱砂のむこうに陽は沈み、ナツメヤシの葉が夜露に濡れる頃のはずだというのに、夜のとばりに包まれ月が白く輝いてなお、空気は熱く人にまとわりついていた。


 シャラン シャララ……


 風に舞い上がる赤沙の鼓動。鈴の音だけが鳴り響く。


 こんな夜には悪魔シャイターンが来る。

 それ、その暗がり、闇のなか。

 鈴の音よ、悪魔シャイターンを追いはらっておくれ。


 シャララララ……


 呑み込まれるような深い闇のなか、篝火に照らし出され、ひとり鮮やかに漂う妓女ガーワジ。 

 まだうら若い女で、すっぽりと上半身を隠すヴェールが、彼女が大きく一歩踏み出そうとする動きにつれて、ふわりと揺れて浮き上がった。


 引き締まったしなやかな肢体を色とりどりの綾布で包み、迷信深い彼女らの誰もがそうするように、踊っている最中悪魔に心奪われぬよう、銀細工の耳飾りだの腕輪などと、かえって邪魔になりはせぬかと想われるほど、じゃらじゃらと飾り付けていた。

 小麦色の肌と濃い闇の陰影が、彼女を見つめる者たちに摩訶不思議な思いを駆り立てた。


 シャラン シャララ シャラン


 踊り手を照らし出す炎どもが目覚め咆哮すれば、どこから集まって来たのか、炎の美しさに魅入られた蛾を呑み込み、その美貌を一層際立たせる。

 流れる水のような動きに合わせて、ヴェールは絡み付き、舞い上がり、大きく揺れ動くのがなんとも悩ましげでさえある。

 ヴェールの向こうから挑む、切れ上がった大きな瞳のなんと魅惑的なことか。


 彼女が踊っているのは、七つあるヴェールの踊りのひとつ、踊り手が鈴をつけその音色を伴奏として踊る『湖面に浮かぶ月の踊り』であった。


 胸元に置かれた右手が緩やかな弧を描いて頭上へ、左手は前方へ、誘うように首が振られ、赤い唇の隙間から洩れる熱い吐息さえ伝わって来る。

 舞い上がったヴェールの端が再び踊り手の肢体に巻きつく前に、彼女は上体を反り返し右脚を蹴り出した。くるぶしまである長いスカートが大きく揺れ、両脇に入った大胆なスリットから、すんなりとした脚が太腿のあたりまでむき出しになる。



 シャララ……


 鈴の音が掻き乱す。水面みなもはさざめき、ぽこりぽこりと水泡が現れる。それらは危なげに離脱すると、鬼火となって宙を乱舞する。


 いや、これはまぼろし……。


 だがなんとまばゆい闇の輩(ジン)の誘惑であろう。

 彼女を見つめる幾つもの瞳は戦慄した。



 帝都サナルより遠く離れたマシマエヤータの城の中庭で、篝火に浮かび上がった妖美な踊り手はこの世の者ならず、われらをこの世ならざる処へと導く闇の輩の使い(イフリータ)やもしれぬという想いが人々の心をよぎったその時――――



 パアーーン!



 踊り手の右手と左手が、切り裂くような激しい音を立てた。

 彼女の姿のみを凝視していた者たちの視野が拡がる。

 篝火の後ろ、踊り手を遠巻きに囲むように控えた楽士たちが、闇の中からボゥと現れた。



 ターーーーァァン…



 太鼓の音が響く。強く跳ねる低い響きが、回廊を駆け巡り、城中にこだましていく。

 その余韻が消え入らぬうちに、クードが旋律を奏で始める。

 クードとは、半球状の胴体に羊の皮を張り、胴体の2倍はある棹が付いていて、五弦を爪で爪弾いて演奏する。アルイーンでは名こそ違えどそこかしこにある、見慣れた古い撥弦楽器である。


 踊り手は、ふわりと翔んだ。

 重さを感じさせぬ跳躍――――。


 同時にヴェールが彼女のからだから滑り落ちた。


 その刹那、この世の者ならざりし踊り手も、クードの旋律も、激しく華やかに、この世を謳歌する生き生きとしたものへと一転した。


 鈴の音が高らかに鳴り響く。太鼓のリズムが心騒がせる。

 クードの旋律にプタード――洋梨型の胴体に銅の半分ほどのさおが付いた、クードより素朴な乾いた音を出す三弦楽器が加わり、さらにウチャールと云うイゾルタン琴が加わっていく。

 それは濃く深い闇の恐ろしさを寄せ付けぬ、生ける者の荒々しくもたくましい躍動の踊りであった。


 篝火のように、踊り手も燃え上がる。

 妖美の仮面を脱ぎさり、これが本来の彼女の顔ではなかろうか。何者をも恐れぬ、虐げられ踏み倒されても起き上がる、若くて美しい生命力に溢れた女の顔があった。


 ぐるりと彼女らを取り巻いて見物していた、マシマエヤータの城の人々から歓声が飛ぶ。

 誰ともなく手拍子が始まり、ひとりまたひとりと加わり、あっという間に中庭に詰めたの人々の間に伝わると、踊り手も楽士も見物する者もひとつとなった。


 興奮の渦が巻き起こり、全てを包み込み、天高く昇っていく。人々の顔に浮かぶのは高揚の喜びだ。

 あちらこちらから嬌声が上がり、口笛が響く。

 今宵の宴に喜び、酒に酔い、平安に過ごせた一日を神に感謝し、人々は歓喜の中にいた。

 生きているという実感を共に手にしていたのだった。


 シャン!


 最高潮に達した時、妓女ガーワジの鈴がリズムを変えた。

 一瞬にして喧騒は消え去り、鈴の音だけが気高く鳴り響く。


 シャラララ…… シャラララ


 踊り手は再び煌々とした『湖面の月』となり、静寂を求め、闇を呼ぶ。


 女の強い視線が、響動どよめきを消却する。


 大きくゆっくりと腕を振り、足で律動を刻む。



 シャシャンシャン…… シャラララ、シャララ……


 凪いだ水面に静かに映る月は――


 シャララララ…… シャラシャラ……


 ――――雲間に隠れ行く


 旋律の中からウチャール琴の響きが消え、プタードの和音が消え、静かに静かにクードの爪弾く音と共に、踊り手は闇に紛れていく。

 人々は息を吞み、それを眺めていた。


 やがてクードの残響と鈴の音が、黒い夜へと溶けていった。



 最後に残こされたのは、熾火を残したかがりのみ。




 しばらくは、何も起こらなかった。

 時が止まったかのように、静かだった。




 消えかかったおきが爆ぜる音で、ようやく静寂の呪縛から覚めた観客は、踊り手に惜しみない喝采を送った。

 それは桟敷から見物していた総督ナキーブとその家族も同様で、総督マクトル卿は、踊り手に銀貨三十枚と云う破格の褒美を与え、もう一指し踊って欲しいと希望した。




ご来訪ありがとうございます。

いかがだったでしょうか? 

もう何年も前に途中まで書いてほったらかしていた物語なのですが、どうしても完結して欲しいとヒロインから強い要求がありまして、確かにこのままじゃ嫌だろうと思い復活させました。

ただし本編の方は、もうボツにしてありますので、外伝のみでございます。


作者が「千夜一夜物語」にハマっていた頃創った架空歴史モノ(……っていうんですか)の外伝です。

今回のヒロイン・ヴェスタ姐さんは、本編ではわき役でした。

カナヤじゃありませんが、「こんな姉さんいたら、(嫌いじゃないけど)やだな~」と思います。


お気に召していただけましたら、最後までお付き合いください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ