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花咲くハルに逢う  作者: 直弥
第二章「最後の再会」
7/23

その1

 七月二十日、月曜日。異変は朝から始まっていた。

「なんか、えらく静かだな」

 拭えない違和感を覚えながらも、その正体がなんなのかはっきりと分からないまま、錬は通学路を歩いていた。彼の足下では、鳴き疲れて地に落ちたセミたちが、幾重にも折り重なって死んでいた。アリたちはそれを事務的に我が巣へと運び込んでいた。やや早咲きのサネカズラの雌花が、お相手を見つけられぬまま枯れかけていた。


「え――なあぁっ!?」

 教室の扉を開いた錬は我が目を疑い、そう言った。よろめきながら後退さり、廊下の壁に背をつける。彼の視線の先には、先週まで無かった机と席に座る、先週までこの教室に居なかった――しかし確かに海桜学園の制服を着た――女生徒の姿があった。

「お兄ちゃん、久し振り!」

 件の女生徒は席を立ち、元気よく手を振りながらの満面の笑みで、錬のすぐ傍にまで駆け寄り、依然唖然茫然と立ち尽くしている彼の真前で立ち止まる。

「お兄ちゃん? おーい、もしもーし」

「…………あ? ああ。あああ!? し、静香! 何でここに……ってか、何で大和に!?」

 錬は我に返ると同時に、外聞もなく叫んだ。

 動揺している彼が珍しいのか、見ず知らずの少女が妖しいのか、彼らのやり取りが興味深いのか、錬のクラスメイトたちは固唾を呑んで展開を見守っていた。ただ一人の例外を除いて。

「静香。アナタはレンと面識があるのですか?」 

 ただ一人の例外、九泉ハルが、静香のすぐ後ろに立って彼女に問うた。静香は振り返り、その質問に答える。

「面識も何も。お兄ちゃんだよ」

「お兄ちゃん……つまり兄ですか。ああ、そういえば二人とも『星名』ですね」

 言って、ハルはポンと手をつく。

「おい、待て待て。静香、くい……ハル。お前ら知り合いだったのか?」

「そうだよ。さっき会ったところなんだけどね! 色々とお話したよ!」

「世間一般の常識として、それを知り合い〝だった〟とは表現しないっての。いや、そんなことはもうどうでもいい。もっと重要な問題が幾らでもある」

「どんな?」

「『どんな?』じゃないだろ。どうしてお前がここにいるんだよ!」

 訊くという態度ではとてもない彼の声には――本人にしか気が付けない程であるが――怒気すら僅かに孕まれている。

 ほんの少したじろぎながら、静香は答える。

「どうして、って言われてもな。〝私、星名静香は、本日より大和第四室の支援兵となりました〟ってことなんだけれど」

「なっ! だってお前はもう……!!」

「私が霊渉兵士じゃなくなってたのは三年前のあの日から、一年前のある日までだよ。悠やお兄ちゃんには黙ってたけど、私、今は現役の霊渉兵士なの。所属というか、本籍は大和からナルナに移ったんだけど」

「そんな……何でだよ。お前がナルナに渡ったのは、もう戦わなくて済むようにだろ? なのにどうしてそんなことを」

 明かされた事実に、錬は目眩さえ覚えていた。

「お兄ちゃん。ナルナにはね、戦いたくもないのに戦わなくちゃいけない人よりも、戦いたいのに戦えない人の方がずっと多いんだ」突然に真面目な口調になった静香は、諭すような目で話し始める。「ナルナって、大和とか他の国よりも、霊渉者の割合がずっと大きいでしょ? だから、ナルナに住んでいて霊渉者じゃない人は『神様に弾かれた、外された』っていう気持ちが余計に強いんだよ。戦えるのに、戦いたくないから戦わないなんて、それはきっとたくさんの人を侮辱している行為になる。もっとも、私の霊渉じゃあ、戦っているとは言えないかもしれないけれど。でも、色んな人を護ることは出来る。それだけでも、やっかみや嫉妬の対象になる力なんだよ、霊渉っていうのは」

 途中で口を挟むことなく聞いていた錬は、静香の言葉を正しいなどと、微塵も感じていなかった。暴論であるとすら思った。にも関わらず、錬が文句を言えなかった理由は二つある。

 一つ目は、彼女の言葉がそのまま彼女の本心だとは到底思えなかったということである。つまり『静香自身が実際にやっかみや嫉妬の対象とされ続け、〝霊渉を持っているなら、せめて戦わなくてはならない〟という、いわば外的な義務感を持たざるを得なかったのではないか』錬はそう考えたのだ(そして彼のこの考えは大凡のところ当たっていた)。

 二つ目の理由は、一つ目の理由とまるで交わらないもの。〝戦いたいのに戦えない〟という気持ちが錬には痛いほど理解出来たという、一見して先の静香の言葉を肯定しかねないような立場からくる理由であった。

 静香の言説は暴論だと感じながらも、彼女の本心から出た言葉ではないだろうからと、錬は彼女を咎めない。咎められない。静香の言説に一定の同意と同情を覚えたからこそ、その言説に口を挟めない。結果としては同じでも、その過程はまるっきり相反している。相反する思いを同時に抱えた錬は、やはり何も言えずに黙っている。彼は、『今の自分では何を言っても嘘になる』と恐れていたから。

 そんな兄の様子をしばらくは窺っていた静香が静かに口を開く。

「私は嬉しいんだよ。やっと大和に帰って来られたから。そりゃ、あの一件の直後は、もう二度と霊魔と戦いたくないとは思ってたけれど、でも、大和には帰りたいと、ずっと思ってた。帰ってお兄ちゃんや、その……悠と会いたかった」

「……」

 未だ沈黙を守りつつも『ああ、それが本音か』と、錬は感得していた。霊魔と戦わなくて済むようにナルナへと渡った静香。しかし、大和に残る兄や悠真への心残りは常にあった。二人に会いたい。会うには大和に帰らなければならない。だが、霊渉者である彼女が大和に帰ることは、兵士に帰ることも意味する。また、恐ろしい霊魔と戦わねばならない。二年間に及ぶ葛藤の末、彼女はナルナ軍の兵士となり、大和への『支援兵としての転属』を希望したのだ。

「静香、ちょっといいですか? アナタが霊渉者だと聞いてから、ずっと聞きたかったことがあるのですけど」兄妹のやり取りをほぼ傍観していたハルは、ここに来てようやく会話に参加することを試みて質問する。「大和では一つの室に、多くても四人しか霊渉者がいないと聞いています。アナタは確かに支援兵だそうですが、かと言って、二人の霊渉者を同じ学校に通わせるようなことが許されるのでしょうか?」

 ハルの疑問はもっともなことであった。

 武猪悠真。星名静香。二人はともに霊渉者。

 本来。一つの室に多くても四人程度しかいない、稀少存在である霊渉者は、本人の意思に関係なく軍所属にされるだけでなく、その居住地も分散させられる。しかし、後者が適応されるのは十五歳を超えた現役霊渉者で、尚且つ単独で戦闘可能な類の霊渉能力を持った者に対してのみの事象である。

「私の霊渉は『静霊(カドシュ)』。つまり、完全な支援系なんだよ」

「『静霊(カドシュ)』ですか。しかしそれなら……」

「確かに、時間稼ぎとしての役割を重視するなら、むしろ分散した土地に配属させるべきだって意見もあったらしいけれど、やっぱり複数同時展開の恐ろしさを危惧すべきだってことで、気心の知れた別の霊渉者、つまり悠のすぐ近くに住ませた方がいいってことになったみたい。要請があれば、すぐに二人で駆け付けられるからね」

 霊渉。確認されているだけで十以上の種類のある異能力。静香の持つ『静霊(カドシュ)』は、霊魔の動きを完全に封ずる能力である。但し、『静霊(カドシュ)』で動きを封じられている間の霊魔は如何なる手段を持っても攻撃不可能となり、能力行使者も身動きが取れない。『静霊』を宿した手で触れられている間の霊魔は、文字通り時を静止させられるため、如何なる変化も受け付けない。傷付けることはおろか、ただの一ナノも引き摺って動かすことさえ叶わないのである。よって彼女の力は、複数同時展開の戦闘や、民間人が逃げるための時間稼ぎ専用のものと言える。

「なるほど、得心しました。気心の知れた、幼なじみ同士の霊渉者などそうそういるものではありませんからね。いわば特例という訳ですか」

「うん。その通りだね。ホント、私の霊渉が『静霊(カドシュ)』で良かった! 悠みたいに『攻霊(ダウン)』とかだったら、間違いなく他の学校……どころか他の室に移されてただろうし」

 静香は心からの笑顔でそう言うが、錬は複雑な表情を浮かべていた。

「……静香、母さんたちは元気か? もしかして、一緒に大和に帰ってきてるのか?」

 湧きかけた負の感情を誤魔化そうと、錬は別の話題に移ろうとする。

「お母さんもお父さんも元気だよ! って、月に一回は電話で話してるじゃない」

「まあ、そうなんだけどさ。実際に会ってるわけじゃないから、声だけじゃ分からないこともあるだろ。お前も、元気そうで良かったよ」

「えへへー、私のこと心配してくれてたんだ」

「当たり前だろ。いつも気に掛けてたよ。で、母さんたちは一緒に帰ってきてないのか?」

「うん。前の家はナルナに移るために売っちゃったし、大和が用意してくれたのは私の部屋だけだったから。お母さんたちはナルナに残ってる」

「ふうん……。しかし、お前が軍に戻るって聞いた時、父さんたちには反対されなかったのか?」

「最初は猛反対されたけどね、最後には納得してくれたよ。このまま、しこりを残したまま生きていくよりはマシだと思ってくれたのかもね。お兄ちゃんには心配掛けたくないからって、黙っていたみたいだけど」

「どおりで相談すらしてこなかったわけだ。お前が兵士に戻ったことを一年も知らなかったなんて、おかしいとは思ってたけど。三人でグルになって俺に内緒にしてたんだな?」

「その言い方はひどいな。私はお兄ちゃんに心配かけたくなかったから……」

「どうだか。お前の場合、どうせ俺をびっくりさせようと思って、今日みたいな機会があるまで内緒にしてただけじゃないのか?」

「うっ」

「図星かよ」

 図星だった。

「ところで静香。さっきから言おう言おうとしていたのですが」唐突に、ハルが口を挟む。「アナタ、どうして朝礼も済まさない内に教室にいるのですか? 教職と一緒に、始業とともに入室し、クラスメイトに自己紹介するというのが転入の一般的な流れだと思うのですが」

「ああ、そう言えばそうだな。俺も、何か変だと思ってたんだ」

「………………忘れてた!」

 言って、静香は慌ただしく教室を飛び出した。乱暴に扉を開け、閉じて、彼女が廊下を走り始めてから約一秒後。

『え――なあああああぁっ!?』

 廊下から、錬、ハルともに聞き覚えのある男子生徒の叫び声。

「今のは」

「ユーマさんの声ですね」

 はあっ、と、二人は溜息を吐きながら自分の席へと戻って行った。

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