表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花咲くハルに逢う  作者: 直弥
第一章「最後の青春」
5/23

その4

 七月十九日、日曜日。今日も今日とて、やかましい雄ゼミたちが、ナンパ目的の鳴き声を上げている。そんな正午過ぎ。大和『第三室』のとある〝かつての〟町にて。

 普段は人など滅多にいないこの場所も、この日ばかりは大勢の人々でごった返していた。

 十八年前のこの日まで、ここは確かに人の住む〝町〟であった。そう、全ては十八年前。

『不発弾の処理中に起きた事故が、この町を破壊した。更に悪かったのが、軍が不発弾の威力を見誤っていたということである。処理のために避難させられていたはずの住民たち。しかし彼らの避難場所は近過ぎた。結果、町も処理班も住民も犠牲となった』というニュースは、大和のみならず、世界中を駆け巡った。

 そして。より深くの地中に、他の不発弾が存在しているのではないかという危惧や、戦争が後世にまで災厄をもたらすという戒めを理由にして、この町とその周辺地域はそのまま放置されることとなった。事故当日に町にいなかった住人たちは、自宅への帰宅を願ったが、許されたのは財産の持ち出しだけであった。今や民間人の出入りが許されているのは年に一度のこの日だけ。(軍の人間に町中を包囲され、監視されながら)犠牲となった人々の親族、知人たちが集まるこの日だけなのだ。今年は日曜日と重なったためか、例年よりも更に人が多い。

十八年前の事故での唯一の生存者、星名錬も今日ここへ来ていた。

「来るの、今年で止めにしようかな……」

 巨大な石碑の前に立った錬が呟く。見渡せば、彼の周りの人々は神妙な面持ちで石碑に刻まれた名前を見つめている。だが錬には、見つめるべき名前がない。より正確に言うならば、見つめるべき名前が彼には分からない。赤ん坊の頃、ただこの町で発見されたというだけの彼には、両親の名前も、自分の本当の名前すらも分からない。『星名錬』という名も、彼を引き取った里親によって付けられたものなのだ。

 彼が毎年ここへ来ている理由も、唯一の生存者としての奇妙な義務感からでしかない。いや、もはや義務感どころか惰性になりつつもあった。こんな心持ちでここを訪れるのは、あまりにも失礼ではないか。錬は密かにそう思い始めて――いや、思い詰めていたのだ。

「何をそんなに思い詰めているのですか?」

「いや、ちょっと考え事を……ん? …………でええっ!?」

 突然掛けられた声に何の疑問もなく答えてしまった自分にまず驚き、次に、掛けた声の主に驚愕した錬が、目を見開いて叫んだ。声の主は、彼を諌める言葉を静かに紡ぐ。

「お静かに。こういう場ではしゃぐのは〝みっともない〟と言うのでしょう?」

「誰のせいだと思ってるんだよ! いや、そうじゃなくって……。どうして君がここにいるんだよ? まさか君も……」

 落ち着きを取り戻しつつ錬が訊ねる。突然の声の主、私服姿の九泉ハルに。

「ワタシはこの町とは何にも関係ありませんよ。今日はちょっと、献花代わりにここに植えられているという花を見に来たんです。色んな種類がありましたが、残念ながら目当ての花はありませんでしたね。後は、そうですね――社会見学も兼ねています」

「しゃ、社会見学って……」

 軽い口調で〝社会見学〟と言い切ったハルに、錬はがっくりと肩を落とした。さっきまでの自分の葛藤は一体何だったのかという思いに駆られて。だが実際問題、今日この地を訪れている人間の半数以上が、この町と何の関係もない、ただの観光客なのだ。要するに、錬が気を遣い過ぎていただけのこと。少し考えれば分かるその事実に、彼はこの時初めて気付かされた。

「ひどく思い詰めている様子でしたが、大丈夫ですか?」

「ああ。君のお蔭で悩みが吹っ飛んだよ。もう大丈夫。にしても、こんなところまでわざわざ花を見に来るなんて、花が好きなのか?」

「花ならなんでもいいというわけでもないんですが――好きと言えば好きですね。一番好きなのは桜ですが、流石にこの時期では、例え日本へ行っても見ることが出来ませんよね」

 二人がそんなやり取りをしている内に、ブザーの音が町中に響き渡り出した。爆発当時の時刻を告げる音。関係者無関係者を問わず、そこにいた人々が皆、同一様に目を瞑った。もちろん、錬とハルも含めて。

 ブザーが鳴り止んでからもしばらく、セミの鳴き声だけが聞こえる時間が流れる。


『……………………』


 やることを終えた二人は第四室に戻るための高速列車に乗っていた。混雑した車内では座ることも出来ず、吊革を掴んで並び立っている。

「ああ、そう言えば。昨日お借りしたお金をお返ししないと」

「? 何のことだ?」

 錬はとぼけたような顔でそう言うが、本当にとぼけているというわけではない。彼は、自分が〝借りた〟お金のことは間違いなく覚えているが、人に〝貸した〟お金のことはすぐに忘れてしまうという性分なのだ。

「何のことって……昨日のお昼のことですよ。もう忘れてしまったのですか?」

 珍しく、ハルは少し怒ったように言う。そこでようやく錬も思い出す。

「あー、あれか。別にいいよ、あのくらい。僕が自分で稼いだお金でもないし」

「そうは問屋が降ろしません。こういうことはキッチリしておかないと禍根が残りますから」

「オーバーだな。無理に断る理由も無いし、返してくれるっていうんなら受け取るけどさ」

「そうですか、ありがとうございます。ですが。たった今、もう一つの重要なことを思い出してしまいました。申し訳ありません」

「おい、まさか……」

「財布を忘れました。電車はパスで乗っていたことを失念していました」

「あ、そう」

もはや溜息を吐くことすらせず、呆れを通り越した感情に支配された錬は、笑いそうになるのを必死に堪えて平静を装った。

「では、お金のことは横に置いておきまして。ひとつ、質問させてもらってもよろしいでしょうか?」

「いいよー」

「なんか急に軽くなりましたね……。それはともかく。アナタはユーマさんとは幼なじみだそうですけれど、アナタ自身は霊渉を持っていないのですか?」

「うん、持ってない。僕は普通の人間だよ。いや、それも少し違うか。どっちかというと普通以下だな。……僕は霊魔から逃げることすら出来ないから」

「逃げることも出来ないとは? 単純に〝走るのが遅い〟ということでしょうか」

「舐めてもらっちゃ困るな。こう見えても僕、脚は速いんだよ。昔っから悠真と一緒になって遊んでたんだから。もちろん、悠真はいつも僕に合わせて加減してくれてたんだけど……。それでも、運動神経には自信がある」

 彼の言葉は見栄でも偽りでもない。錬の運動神経は全般的に、同世代の同性の平均を遥かに凌いでいる。分かり易いところで言えば、握力は九十キロよりも百キロに近い数値であるし、百メートルなら十秒コンマの前半で疾走する。もっとも、その彼を更に遥か彼方まで凌駕している存在が同じクラスにいては、目立ちようがないのだ。

 ナルナの軍が開発した『制御用アンクルリスト』を使わなければ、体育の授業に出ることすら許されない友人のことを思い出して嘆息する錬に、ハルが質問を続ける。

「それでは、どうして逃げることも出来ないなどと」

「簡単な話だよ。相手のいる場所も分からないんじゃあ、逃げるべき方向も分からないってこと。僕には霊魔が〝視えない〟んだ」

 鳥獣や虫でもないのに、世界で唯一、霊魔を視覚出来ない者。それが、星名錬という存在。


『第四室中央~第四室中央~。お降りの際は、お忘れ物のないよう、お気を付け下さい』

 第四室中央駅に着いた二人は人を掻きわけ電車から降り、そこからまた人を掻きわけて改札口を抜け出した。

「ふーっ、やっと着いた。それにしても暑い。人混みの中だったとは言え、冷房の効いてる電車や駅の中は随分マシだったんだなあ。九泉さんは大丈夫?」

「ええ、夏の暑さには慣れていますから。ああ、それで思い出したのですが、レンさんに一つ提案というかお願いがあります」

「なに?」

「出来ればワタシのことは名前で呼んでもらえないでしょうか? 『九泉』という姓にはまったくもって執着がないのですけれど、『ハル』という名前にはとても愛着があるのです」

「愛着? ああ、もしかして、桜の咲く『春』と通ずる名前だからか? その方がいいって言うんなら、これからはそうするよ。ハル……さんでいいのか?」

「全国の同名の方には非常に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、〝ハルさん〟という響きはどことなくオバさんっぽさを感じてしまいます。可能ならば、ユーマさんがワタシを呼ぶように、呼び捨てでお願いします」

「んー、僕は悠真ほどさばけた人間じゃないからなあ。会って二日の女の子を呼び捨てにするっていうのは、正直言って抵抗が」

「……」

 落胆した顔を見せるハルの顔を見て、錬はその後に続く言葉を急遽変更する。

「あるから、最初は違和感ある呼び方になっちゃうかもしれないけど、努力するよ」

「っ、よろしくお願いします」

 沈みかけたハルの顔は一転して、花が咲いたような明るさとなった。初めて見る彼女の笑顔に、錬は思わずドキリとする。

(なんだ、笑えるんじゃないか)

 そんな、失礼千万なことすら考える。それを誤魔化すように、錬は慌てて次の言葉を紡ぐ。

「あのさ、この後どうするの? 悠真ん家に帰るだけか?」

「そうですね。他に予定もありませんし」

「そうだな。最近はこの辺りもあんまり平和じゃないし」

言って、錬は周囲を見渡した。

(朝よりも随分増えてる。今頃、第三室はもっと大変なことになってるんだろうな)

道を行き交う人々を呼び止め、何やら熱心に説こうとする者たちが、町のそちこちに立っていた。十数年以上、出現数を増やし続ける霊魔に対する人々の怯えは、終末思想の如き狂信の呼び水ともなっている。その結果がこの光景である。オカルティックなカルトの教団は、今も増え続けている。

「九泉さんも知ってるとは思うけど。あの人たち、結構過激なんだよ。無視しただけで大声張り上げるような連中もいるし。女の子一人だと色々危ないから、送ってくよ」

「ええ?」

 これ以上ないほどに目を開いたハルが、錬の顔を凝視する。そんな彼女の態度に、錬は少しだけ傷ついた。

「そんなに警戒することないだろ……。悠真ん家は元から知ってるんだから」

「あ、いえ、そういうつもりでは。ただ少し、嬉しかったものですから」

「嬉しい?」

 ハルの真意を計りかねた錬が首を傾げる。

「ええ、嬉しいです。でも、いいんですか? ここからですと、アナタの家とユーマさんの家とでは正反対の距離になるのでは?」

「十キロも二十キロも歩くわけじゃあるまいし、これぐらい、いい運動になるよ」

「それでは、その……是非送ってください。アナタがいれば心強い」

「え……? あ、ああ、うん」

 この時、錬は〝照れながらにやける〟という、見る人が見れば非常に危ない顔をしていた。

「折角ですからそのまま家に寄って行きませんか? 本日はヒロスケさんが休日出勤とかでユーマさんも暇そうにしていましたし」

 とのハルの提案を錬は、

「いや、今日はいいや。今の調子のまま会うと、からかわれそうだから」

 と言って断った。

「よくわかりませんが、無理強いはいけませんね」

 そう言うハルはとても残念そうな表情を浮かべていたのだが、意図的に彼女から目を逸らしていた錬は、惜しくもそれを見逃していた。


 駅から十分ほどの距離を歩き、二人は武猪家の門前まで来ていた。周囲の家屋よりは一回り近く大きな屋敷も、武猪洋祐という英雄と、武猪悠真という現役のヒーローが住まう物件としては、少々地味な印象を与える。

「じゃあ、ここで。悠真によろしく」

「はい。ではまた明日、学校でお会いしましょう」

 そして二人は別れた。独りとなった帰り道で錬は、

(もう少し時間が早かったら、昼飯ぐらい誘えたかもしれないのにな)

 などと考えていた。何故そんなことを考えてしまったのか。という理由には気付かず、彼はただ悔しがっていた。

 そんな気持ちを就寝直前まで抱えたまま、この週の日曜日――最後の安息日は終了した。


 ◇


「呼ばれた理由はもう分かっているだろう。例の手続きが完了した。条約に従って、明日から君は第四室(ここ)から第十六室に異動となる。……スマンな黒谷、儂の我が侭で」

「構いませんよ、司令。どうせ自分はどこにいても同じですから。どこの所属であろうと、全力で戦うだけです。唯一の気がかりは、第四室での現役霊渉兵士が子どもだけになってしまうということですが……考えてみれば不要な心配でしたね。何せ貴方がいるのですから」

「何を言うか。儂などお飾りに過ぎんよ。何せ歳をとり過ぎた」

「過ぎた謙遜ですね。『武猪洋祐は未だに世界最強の霊渉兵士である』と、専らの噂ですよ」

「噂は噂に過ぎんさ。本当に儂がまだまともに戦えるのなら、現役を貫いている。儂の時代はもう終わったのだ。今は、孫の方がよっぽど強いぐらいだ」

「そんな、息を吐くように嘘を吐かないで下さいよ。貴方が戦わない理由は、次世代の霊渉者達に向けた親心みたいなものでしょう? 『自分はもう戦えない身体だ』なんて、これっぽちも思っていないはずです。その証拠に今でも、本当の危機が迫った時には、迷わず自ら出撃しているじゃないですか」

「…………」

「困らせてしまったようで申し訳ありません。しかし自分は、決して司令の考えを否定しているわけでも、まして責めているわけでもありませんので。それだけは信じて下さい」

「まあ、そういうことにしておこう」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ