その3
さて。錬たち三人組はようやく、カンフー・バーガー〝第四室中央駅前支店〟にやって来ていた。新メニュー効果もあってか、店の中は、彼らと同じく学校帰りの生徒たちで大いに賑わっている。
「相変わらず、ファーストフードの店とは思えない熱気と匂いだな、ここは」
最初に暖簾をくぐった悠真の第一声。
「メニューがメニューだからなあ」
悠真に続いて店内に入った錬の声。
「しかし、食欲をそそる匂いでもありますね。心地好く鼻孔がくすぐられます」
鼻をひくひくとさせながらのハルの声。
「席確保してくるから、代わりに俺の分も頼んどいてくれよ。ワンタンバーガーセット、飲み物はジンジャエールで。金は後で払うから」
「分かった」
席取り役を買って出た悠真が単身、二階へ向かう。残った錬とハルは行列の後ろに並ぶ。錬は自分の後ろを振り返り、ハルに言う。
「九泉さんも自分が頼みたいのを決めたら先に行っていいよ。三人分ぐらい、一人で何とか運べるからさ」
と。だがハルは、
「いいえ、直前まで迷いたいので」
といって彼の提案を断る。
「そう?」
ハルの発言が〝自分を気遣っての方便〟なのか本気なのかの区別がつかない錬はとりあえず引き下がり、再び前を向いた。直後、ハルが声を上げて叫ぶ。
「ああ、大変なことを思い出してしまいました!」
「どうした!?」
慌てて振り返って訊ねた錬に、ハルは力なく答える。
「お金、持ってませんでした」
ハルの言葉にずっこけそうになりつつ嘆息し、錬が言う。
「はあっ……。びっくりさせないでくれよ。僕が払うから心配しなくていい」
「誠に申し訳ありません。恩に着ます」
しばらくの時間が経ち、錬たちの番が回ってくる。錬の後ろに付いていたハルは、立ち位置を彼の隣に変える。
「いらっしゃいませー。本日は当店でお召し上がりでしょうか?」
プライスレスな笑顔で訊ねる可愛らしいアルバイトの女の子に、錬が答える。
「はい。和風エビチリバーガーセット、飲み物はウーロン茶で。それと、ワンタンバーガーセット、こっちはジンジャエールで」
「ワタシは……ナシゴレン風ライスバーガーのセットを。飲み物は、そうですね……アイス茉莉花茶で」
「かしこまりました。少々お待ち下さい。先に会計の方をお願いします」
と言った店員の提示した金額を支払う錬は〝おかしな〟顔をしていた。驚愕と懐かしさ、それから、ほんの少しの寂しさを孕んだ顔を。
そして〝少々〟の後。
「お待たせしましたー。気を付けてお運びくださいね」
語尾にハートマークでも付きそうな店員の口調に、思わず錬の口元も緩む。
「レンさん、何を膝の下伸ばしてるんですか」
「ただのストレッチじゃないか、それじゃあ。別に鼻の下も伸ばしてないぞ」
「おお、待ってた……ぜ」二階で席を確保し、錬たちを待っていた悠真。ハルが手に持ったトレーに載せられた品を見た途端、彼の言葉が一瞬だけ途切れる。「それ……『ナシゴレン』か」
悠真は〝支払いをしている時の錬〟と寸分違わず同じ表情を見せる。
「何か問題があったでしょうか」
キョトンとするハル。
「いや、別に」
気にしないでくれと、悠真は僅かに震えた声で言葉を紡いだ。そしてそのまま視線を錬へと移す。目を合わせた二人は小さく笑った。清々しいというよりは、どこか苦々しく。
「どうも腑に落ちませんね。ワタシがこれを食べようとしただけで、どうして二人ともそんな風に笑うのですか? 気分を害したのなら謝ります。しかし、この右手がどうしてもこれを食べたいというものですから……」
まだ一切口を付けていないナシゴレンバーガーのセットをトレーに載せたまま、ゴミ箱へ向かおうとするハル。そこへ来て悠真は、流石に慌て、事情を説明し始めた。
「いやいや、お前は別に悪いことなんかしてないってば。だからそんな、スリか万引きの犯人みたいな言い訳はしなくていい。ただ、昔の知り合いにナシゴレン狂いがいたから懐かしかった、ってだけのことだ。なあ、錬?」
「へえ、静香はもうお前の中では過去の人間なのか」
「しまった。囲まれた」
少々奇妙なやり取りもあったが、何はともあれ。三人は食事を始めた。そんな彼らの座る箇所に、二階にいる客全員の視線が集まっていた。それらは明らかに悠真に向けられたもの。込められている感情は人それぞれ――或いは、一人で色々な思いを内包したもの。三割強が英雄を見る目であり、二割強が同情であり、二割弱が羨望であり、残りが嫉妬であった。
既にその視線には慣れている悠真と錬。そもそも気付いているのかどうかですら定かではないハル。三人は談笑しながら食事を続けた。外野を気にすることもなく。
「じゃあな、錬。また明後日、学校で」
「おう。バイバイ、悠真、九泉さん」
「はい。さようなら、レンさん」
食事を終えて外に出た三人は、二人と一人に分かれた。並んで歩き出す悠真とハルを、ほんの少しだけ眺めてから背を向けて、錬は一人寂しく、誰も待つ者のいない自宅へ向かって歩み始めた。