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花咲くハルに逢う  作者: 直弥
第五章「最期」
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その3

   ◇――全世界に向けた非常事態宣言が発令される二十時間前。


 日没後の大和軍第四室支部軍用シェルター再奥。居るのは錬と洋祐、そして強固なカプセルで眠っているハルの三人だけ(ハルの隣りには、彼女が眠っているのと同様のカプセルがもう一つ、空っぽの状態で置かれている)。デートを終えた直後の錬は、今後についての本格的な打ち合わせを行っていた。

「悠真たちに異変を悟られては困るからな。君はこれからも、基本的には今までと同様に生活してもらうことになる。違う点と言えば、〝(セーブ)〟の効果がいよいよ本当に切れ始めた時は、一刻も早くここに来て欲しいということだ。〝(セーブ)〟の更新は間違いなくここで行われねばならない。更新後、万一何らかの外的要因で君が死んでしまっては事だからね。すぐさま保護できる環境でないと」

「それはそうでしょうけど、少し難しいんじゃないですか? 僕だけ皆と違う場所に向かうなんてのは。どう考えたって怪しまれますよ」

 そうなれば、事情を知らぬ者に引き止められるかもしれない。それでは破綻だ。何が何やらわからない。錬の心配は当然と言えよう。だが、洋祐だってそんなことは重々承知している。故に、先手も打っている。いや、打たれていたというべきか。

「君の部屋の隣に住んでいる男――彼は非霊渉者だが、軍人だ。君があの部屋に越して来た時から、ずっと君を監視していた。海桜学園にも一人、君を監視するため、君の入学と同時に就職させた者がいる。保健室で勤務している女性だ」

「うわあ……。それって、鈴谷先生のことですか? 確かに凡人らしからぬ雰囲気はありましたけど、まさか僕の監視だなんて」

 明かされた事実に錬は愕然とする。今までの自分の人生が、恐らくそのほぼ全てを誰かに監視されながらの日々だったのであろうという事実にゾッとする。

「とにかく。家に居る時、或いは学校に居る時に異変が起きれば、君は直ちに彼らとコンタクトを取ってくれ。そうすれば、彼らが君をここまで連れて来る。外出時に何か起きれば、すぐさま儂の携帯に電話してくれ。その為にこれを渡しておこう」

 そう言って、洋祐は真っ黒い携帯電話を錬に差し出した。受け取った錬はまじまじとそれを見つめた。変わったところは特にない、何の変哲もない市販の携帯電話であった。

「万一儂が出ない時は、電話帳に登録されている番号に片っ端から掛けてくれればいい。皆、事情をよく知る者ばかりだからな」

「了解しました。では、お借りします」

 受け取った携帯電話をポケットにしまいながら、錬は丁重に頭を下げた。


   ◇――そして現在、同じ場所で。人物構成も同じ。但し真っ青な顔の錬はふらふら。


「ううむ。本当にそんなことが可能なのか?」

 錬は洋祐に対して、脅迫めいた要求を提案していた。錬の提案――それは、ハルの冬眠時間を大幅に縮められる可能性を秘めた、一つの賭けであった。

「リトルシスターの仕組みを考えれば、理屈の上では有効な手段のはずです。リトルシスターにとっての冬眠は、〝(リード)〟を再度使えるようにエネルギーを蓄える期間のこと。エネルギーを蓄える必要がなくなれば、冬眠の必要もなくなる。そうすれば必然、目覚めも早まる。それには、リトルシスターの中に〝飼〟われている霊魔を追い出せばいい」

 錬の発想はシンプルイズベストな手段であった。ある種の機器を充電する時間が惜しいのならば、機能を幾つか取り除けばいい。ならば充電に必要な時間も削減される。駆動時間を増やすために、バッテリーの質を上げるのではなく、本体のスペックを下げるという方法。

「仮に。仮にそれが成功したとすれば、ハルはすぐさま目覚めるんじゃないのか? どうして〝早まる〟などという曖昧な言い方をするのかね?」

 洋祐の疑問はもっともであった。錬は物憂げな表情を湛えて説明する。

「物事、そうそう上手くは運びようがないってことですよ。確かに、純粋な意味での冬眠、充電の必要はなくなりますが、目覚めそのものにも時間が掛かってしまうんですよ。だってそうでしょう? 生物としての活動を完全に停止させていたハルが、すぐさま再び代謝活動を始められたりはしない。パソコンだって、スイッチを入れた途端に音楽ファイルを再生したりは出来ない」

「なるほど。それで、その目覚めとやらにはどれくらい時間が掛かる?」

「まあ、せいぜい一年ぐらいかと。場合によっては、もっと掛かるかもしれませんが」

「ふむ。一年強か。確かに十年と比べるとかなりの短縮だな。わかった、君の言う通りに協力しよう。儂は一体、何をすればいい? 何が出来る?」

「すべての霊魔を僕の中に押し込める〝(セーブ)〟の更新――これって、ハルの中にいる霊魔も例外じゃないはずなんです。つまり、僕が〝(セーブ)〟を更新する時、ハルの中にいる霊魔も、僕の中に移動するために彼女の中から出てくる。しかしそれは一時的なものです。鎖でハルと繋がれた霊魔は、寸刻だけ表に出てきますが、僕に吸収されることなく、またすぐ彼女の中に引き戻される。指で抓ままれ引っ張られたゴムが、指が離された瞬間、元に戻っていくように」

「その間隙を突いて何かをしようというのかね?」   

「はい。霊魔が表に出てきている間に、ハルとそれとを結ぶ鎖を、洋祐さんが『融霊(ゴースト)』で溶かせばいい――鎖も降魔の一部ですからね。『融霊』で融けるはずなんです――そうすれば、霊魔はハルの中に引き戻されることなく、僕の中に吸い込まれる」

「成功すればハルの中は空っぽとなり、以後の冬眠は不要となるわけか。目覚めるのに必要なのは再起動のための時間だけ」

「はい、そうです」

 応えながら、錬の表情が翳った。

「どうかしたのかね?」

「一つ気がかりなことがあるんです。ハルの中にいる霊魔は、僕にとっても紛れもなく命の恩人……というか恩霊魔だ。それに、ハルにとっては双子の兄弟みたいなもんです。リトルシスターとその中に入れられる霊魔は、基本的にセットで作られますから。いずれ霊渉者に殺されるのを分かったまま何もしないというのも気が引けるな」

 悲しいかな。人間以上のお人好しである錬の気遣いは、こんな事態になっても失われていなかった。洋祐はただ驚かされる。彼が見せた翳りを、自分はどうせもうハルに会えなくなることを再認識してしまったからのものだとばかり思っていたから余計に。

「錬君、君のその性格は危ういぞ。命の恩人云々兄弟云々と言っても桎梏を失えば、その霊魔はただの理性無き獣だ。君のことも、ハルのことも殺しにかかるような相手だ。君が今感じているのは単なる偽善や憐れみじゃないのかね。命の恩人というのであれば、君の生命を維持するために屠られた牛や豚も、ある意味では同様だ」

「とんでもない詭弁な気もしますが、満更間違いでもないですね。分かりました。もう迷いません。あと二十秒もすれば、僕の中にいる霊魔は全て外へ出て行き、〝(セーブ)〟の更新が可能となります。そうなったらすぐにその更新を実行に移します。洋祐さんも、構えておいて下さい」

「よし、『融霊(ゴースト)』。いつでも来い、だ」

 錬と洋祐は向かい合って立ち、時が来るのを待つ。洋祐の両手は淡く青い光を纏っている。

 そして時は来た。

 錬が『あと二十秒』と言ってから、まさに二十秒ちょうどが経って、来た。ただでさえふらふらであった錬が、とうとう膝を地面に着かせて倒れそうになる。それがいわば合図でもあった。全ての霊魔が現世に具現し、錬の中の異界が空っぽとなる。

「行きますよ、洋祐さん!!」

 錬が叫ぶと同時に、ハルの中から龍もどきの霊魔が姿を現した。相変わらずハルの右手から伸びる鎖にがっしり結ばれている。迷いなく駆け出した洋祐は、その鎖を両手でしっかりと掴む。すると、鎖はどろどろと融け始めた。

「? ■■□グオオ!」

 ハルの指示を貰えない霊魔はただ吠え続けるだけで、洋祐や錬に危害を加えようという様子は見せない。そうこうしている内にも鎖は融けていき、ついには千切れた。

「やった!」

 目を開けているのもやっと、といった感じの錬がガッツポーズをする。直後、霊魔の身体は光り輝く球体に変化し、彼の身体の中へと吸い込まれていった。

 大役を終えた洋祐もその光景を見て、作戦の成功を確信する。

「ふうっ。なんとかなったな」

「ええ、とりあえずは成功ですね。問題は、この先が僕の思惑通り実るかどうかですけど。ああ、もう駄目だ。すごく、眠い」言いながら、錬はうつ伏せに倒れ込んだ。瞼は半分閉じられているが、まだ口は閉じられない。「洋祐さん、静香のこと、よろしくお願いします。兄馬鹿だと笑われるかもしれませんけど、アイツはきっと良いお嫁さんになれますから。気は早いかもしれませんが、悠真との結婚、認めてやって下さいね」

「心配しなくとも、静香ちゃんなら大歓迎さ。ウチの人間の誰も反対はしまいよ。むしろこちらが不安だよ。君と静香ちゃんのご両親が悠真を受け入れてくれるかどうか」

「大丈夫ですよ悠真なら。ウチの親が反対するわけありません。あり、がとうございます。これで安心して眠れ……」

 る。と言い終える前に、錬の瞼は完全に閉じられた。遂に眠りについた錬を抱きかかえた洋祐は、彼をハルの隣のカプセルにそっと入れた。そしてその蓋を閉じ、すぐ傍に座り込んでしまった。

「一年の眠りと百年の眠りか。もう二人が会うことはないのだろうな。……片方だけが年寄りになってでも再会するのとそれとでは、どっちがいいんだろうか」

 どこからともなく飛んでくる光の玉を吸収し続ける錬と、その隣りで眠るハルとを見つめながら、洋祐は溜息を吐いた。

 ――今から六十年前、ナルナでハルを発見したのは、当時十八歳の武猪洋祐であった。眠れる少女に恋した彼は、しかし彼女と一度も話せることすらなく歳老いた。ようやくハルを目覚めさせる方法が確立され実施された時、彼には、当時の彼と同い年の孫がいた。

「まあ、儂はいいさ。今は愛する家内がちゃんといる。今度久し振りに日本に帰ってみるか。悠真も連れて。……ちゃんと生きているんだろうな? 悠真も、家内も、息子もその嫁も」

 立ち上がり、シェルターから歩き去っていきながら、洋祐はそう呟いた。


 その頃。外では、夥しい数の霊魔と激しい戦闘をしていた霊渉者たちが、我が目を疑いまくっていた。我が物顔で暴れ回っていた霊魔たちが、次々に光の玉となって何処かへ飛んで行くという、奇々怪々なる光景。事情を知らぬ者が事態を呑み込めるはずもない。無論、悠真と静香も同様であった。

「た、助かったには助かったけど……これって、どういうことなの?」

「俺に分かるかよ。くそっ、今日は一体どうなってんだ!?」

 大和第四室のとある一角。静香とともに霊魔たちと戦っていた悠真が叫んだ。顔にも手足にも無数の擦り傷、切り傷がある。衣服に隠れて見えない部分も、同様であろう。ほんの数秒前まで、彼は十を超す霊魔に囲まれていた。静香もまた、執拗な霊魔たちに追い回され、まともに悠真をサポートすることも出来ず、『静霊(カドシュ)』と『酉霊(ウブメ)』を駆使して逃げ回るのがやっとであった。出来たことと言えば、自分の身を守りつつ、霊魔が街へ侵攻するのを少しでも遅らせること。今の彼女は、悠真ほどではなくとも傷だらけ。あと数分でも長引けば、二人とも命を落としていただろう。そんな時に突然の奇跡。ありがたくもあったが、それ以上に気味が悪いというのが、彼らの素直な気持ちであった。

「これからどうすればいいんだろう? ねえ、悠。とりあえず、下手に動かない方がいいのかな? その内、指示が来るかもしれないし」

「……いや、他の戦闘場所に行ってみよう。なにか分かるかもしれないし、そうでなくとも手助けは出来る。もっとも、俺らと同じ状況になってるかもしれないけどな。指示に従って動くのは大切だけど、指示がないと動けないってのは問題だ。俺たちも、あと二年すれば二十歳だぜ? たまには自分から動かないと」

「そうだね。うん、わかったよ。ここから一番近いのは――粟村さんだね。よし、行こう」

「おう!」

 二人は空を飛び、黒谷が戦っている場所へと向かった。そこへ辿り着く途中、すべての霊渉者たちに『帰還』の指示が出るまで、二人は飛び続けた。一抹の不安を抱えながら。

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