その2
病室に戻った錬は洋祐からの頼まれごとをハルに話していた。
「というわけだ。ハルはそれでいいか?」
「ええ、よろしくお願いします」
すんなりと受け入れたハルにほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「それにしてもさあ。親友がぶっ倒れている間に付き合い出すってどうなんだよ」
「はあああああ!?」
悠真からのまさかの言葉に、錬は今年一番の大声を張り上げた。思わずハルがびくついてしまうほどの、である。だが、きょとんとした顔のままで悠真は続ける。
「あれ? 違うのかよ。ハルだって家で錬の話ばっかりするからてっきり……」
「へ?」
「な、何を言ってるんですかユーマさん!」
今度はハルが声を上げる。錬が見たことのない、真っ赤に紅潮した顔で。
錬とハル。二人はほんの二、三秒だけ互いに顔を見合せてから悠真の方に向き直り、
「じゃ、じゃあな!」「さ、さようなら!」
と、挨拶もそこそこに急いで病室を後にした。
「ちょっとわざとらし過ぎたかな。でもまあ、あれぐらいしないと駄目か」
どこか満足げに一人頷く悠真であった。
病院を出た二人が最初に向かったのは武猪家であった。ハルは渡されていた合鍵で家の中に入り、寝間着や予備の制服を含む着替えを幾つか持ち出した。
その後、錬のアパートへと帰る帰路の途中――要するに家路の最中。何とはなしに気まずい雰囲気を湛えた二人は、しかし着かず離れず隣り合って歩いていた。自分が先に話し掛けるべきだろうか、相手が話し掛けてくるのを待つべきであろうかと、互いに牽制し合いつつ、電車に乗り、電車を降りて、尚も歩き続けて。遂には一言も口を利かぬまま星名錬の住まうマンションに到着してしまった。
「晩ご飯、どうしましょうか」
先に沈黙に耐えきれなくなったのは意外にもハルの方で、部屋に入るなり彼女は挨拶にもなり得ない漫然極まる言葉を口にした。
「晩ご飯ってお前、御三時の方がまだ適当なくらいの時間だぞ」
十五時七分を指し示すデジタル時計に目を遣りながら、錬は言った。そんな風に、実にあっけなくそっけないやり取りが沈黙を打ち破る一手となった。そこからはまた、普段通りの二人に戻って行く。しかし、悠真のお膳立てが丸っきり無駄になったのかと言えばそうでもないのだろう。錬がハルを遠慮なしに〝お前〟と呼び始めていることからもそれは窺える。
「じゃあまあ、晩ご飯の話は後にして。これからどうしましょう?」
「随分とまた大雑把な質問だな、おい。どうしようったって、どうしようもない。学校は休みだし、悠真や静香は病院だし、小山たちは……とっくにどこかに出掛けてるだろうしな」
「レンは普段、休みの日は何をして過ごしているのですか? 一人で居る時は、ですよ?」
「ふむ。一人での休日の過ごし方か」尋ねられた錬はやや大仰に腕を組み考え込む風の素振りを見せてから「部屋でゴロゴロしてるな」と、あっけらかんと答えた。
「何だか昨日からどんどんレンの化けの皮が剥がれていってる気がします」
「そっちが勝手に僕のイメージを創っていただけの話だろ」
「それは確かに。まあ、知り合い、近付けたからこそ、こうしてレンのこともよく解ることが出来たわけですから、むしろ嬉しくはあるんですけどね。ガッカリはしていませんよ? 本当に。絶対に。いや、マジで」
「そこをそんなに強調されると、逆に不信感が増すんだけど」
やれやれと、錬は溜息を吐きつつハッとする。
家の外――特に学校における彼は、『星名錬』という一個の固有名詞を持つ人物というよりも、『武猪悠真と親しい男子生徒』として認識されていることが圧倒的に多い。豪快、豪傑、豪放磊落な学校の三豪王(意味不明)、武猪悠真。彼を支えるためにも、星名錬は繊細且つ几帳面なしっかり者であるべきだ。そんな周囲の押し付けが、いつしか彼の〝外での振る舞い〟を作り物にしていたのだ。実際には、錬と悠真は似た者同士であるのに。
それを、錬自身もいつの間にか忘れていたのだろう。外での自分と家での自分が乖離してしまっていたことにようやく気付かされる。
(悠真や静香に指摘された時は『そうかなあ?』程度で済ましてたんだけどなあ。ハルの言い方は真に迫るものがあるんだよな)
「どうかしましたか? 考え込んで」
「別に大したこっちゃないよ。そんなことより、結局これからどうしようか。悠真が入院してるってのに僕らだけ派手に遊ぶっていうのもおかしいしな」
どのみち、今の彼には〝派手に遊ぶ〟資金などないのだが。もしあったとしても今はそんな風にして遊ぶ気になどなれないというのも本音であった。ハルも同様の気持ちを抱いている。
「では……」ハルは如何にも『何かいいことを思いついた』と言う風に手を打って「ゴロゴロしましょう」と提案した。
錬とハル。二人は本当にただの何でもない時間をゴロゴロと過ごした。彼らがこんな風にゆるりとした時間を過ごすことは、出会いから今まで一度もなかった。衝撃的とまではいかないまでも、普通とは言い難い初接触から、転入、第三室の慰霊、静香の帰国、霊魔の襲撃、大掃除、悠真の見舞い、洋祐からの衝撃的な告白……。昨日は一晩を同じ部屋で過ごしたというのに、落ち着いた気持ちで向き合うのはこれが初めてであった。
「どうにも失念しがちになってたけど。考えてみりゃあ、僕らって最初にあった日から数えて今日でまだ四日目なんだな。最初に会った時のこともハッキリ思い出せるよ。あれは正直引いたな。お爺さんに背負われてるんだもんな、お前」
「あ、あのことはもう忘れて下さい! 寝起きは多少ボケてしまうんですよ! あの時もちゃんと『寝惚けてた』って言ったじゃないですか!」
真っ赤になって慌てるハルに、錬は、
「あれが寝惚けか? 何世紀かは寝てないとあの寝惚け方は出来ないだろ」
と言って、意地悪く笑みを浮かべる。
話題は尽きず。結局、二人は午後十一時を過ぎるまで、テレビを点けることすらせずにひたすら話し続けた。夕食の準備をすっかり忘れていたがために、この日も二人の晩餐は昨日買い溜めした残りのカップ麺となった。おにぎりが無い分、昨夜よりも更に貧相な食事ではあったが、笑顔は今日の方がむしろ輝いていた。輝いていたのだが、いざ食事を終えると、ハルは錬に、ある提案を持ちかけた。
「それにしても。最近は、ワタシも錬も、幾らなんでもジャンクフードばかりが続き過ぎていますよ。明日はワタシが腕を奮いましょうかね」
「ハル、お前料理出来るのか?」
「こう見えても経験は豊富ですよ。大抵のものは作れます。何かリクエストはありますか」
「じゃあ……ハンバーガーかな」
「それが食べたければ駅前のカンフーにでも行ってください。あの、可愛い店員のいる」
ハルは不貞腐れた顔で顔を背け、不満をならした。そんな彼女の横顔を錬は、
(これはこれでなかなか……)
などと思ってしばらく黙って見ていたが、やがて口を開いた。
「冗談だってば。っていうか、まだあんなこと覚えてたのかよ」
「ええ。ワタシ、記憶力はいいもので。よく、物覚えがいいとも言われたものです」
「ふうん……。自分の身長とスリーサイズは覚えてるか?」
「身長は一六〇.三センチ。スリーサイズは上から八二、五八、八四です」
「なるほど。覚えておこう」
「ああっ! 嵌められた!」




