VI
初めて会った異国の姫君が去った後、アレキサンドライトはまだ教会の中にいた。
最前列に置かれた長椅子に体を預けながら思い出すのは、先程手に取った彼女の柔らかく暖かい手の感覚。
初めて見る美しい姫君が脳裏から離れない。
思い出す度、先日敵国のラブラドライト王を斬った嫌な感覚が薄れていくような気がした。
ふと窓を見上げる。
先程と変わらない、大きな月と、雲が流れる静かな夜。
本当は、自分はこの教会があまり好きではなかった。
母を助けたい一心で通い続けた場所が、裏切られた場所に変わってから、近付くことさえしなかったように思う。
それでも彼女の事が忘れられないのか、先程まで彼女が佇んでいた場所を見つめる。
『きっと貴方にも、ロードナイト様のご加護があります』
彼女が信じる女神像に目をやるが、アレキサンドライトはこの石造の女神が戦を止め、罪を洗い流してくれるようには思えなかった。
火の気ない場所で過ごし、体も冷えてきた。
戦地から帰還したばかりの体は、自分が思っていた以上に心身共に疲れていた。
もう休もうと立ち上がった時だった。
突然アレキサンドライトの左腕に激痛が走った。
耐え難い痛みに息を詰め腕を抑える。
肌とは違う硬質が手に伝わり、袖を捲り上げ見てみると、奇石を中心に肌が結晶化していた。
アレキサンドライトはこの症状を知っている。
ラトゥミナ症候群。
母を連れて行った不治の奇病。
人を生きたまま食い殺す『奇石の呪縛』
「そんな、何故……!?」
細胞の一つ一つが結晶化していく感覚。
脳裏にパレードで発症した子どもの処刑が過る。
突然置かれた状況に頭の中がパニックになり、呼吸が覚束なくなる。
細胞が結晶化していく痛みに耐えられず膝を付き、息を荒げる。
あまりの痛みに倒れ、もがくように絨毯に爪を立てる
「だ、誰か……!」
必死に絞り出した声は誰にも届かず、額には脂汗が浮く。
じわりじわりと体が侵食されていく。
少しでも進行が止まるようにと腕をきつく押さえるものの、状況は変わらずアレキサンドライトの体は蝕まれていく。
伝わる硬質の肌。
結晶となった面積が広がるにつれ、痛みも酷くなっていく。
体感したこともない痛みと恐怖に気を失いそうになる寸前、窓辺に人影を見た。
月明かりを背に黒いローブを着た人影が窓辺からこちらを見ている。
アレキサンドライトは縋る思いでその人影に手を伸ばした。
「へぇ〜!俺の姿が見えるのかい?」
ローブの人影がこちらに話しかけてきた。
まだ若い、青年のような声だった。
アレキサンドライトは必死に腕を伸ばすと、その人影はひらりと飛び降り、アレキサンドライトの目の前に着地した。
とても人が平気で降りられる高さではなかったが、今のアレキサンドライトにはそれを気にする余裕などなかった。
ローブの人影はアレキサンドライトの前にしゃがみ込む。
「た、頼む……助けてくれ」
途切れそうな声で、アレキサンドライトは黒いローブの男に言う。
男はためらう事なくアレキサンドライトの腕を取ると、そのまま裾を捲り上げた。
奇石を中心に侵食する結晶は、指先から肘にまで達していた。
「あ〜ダメだなこりゃ。助からねぇわ」
悪びれもなしにしれっと言い放つ。
「ラトゥミナ症候群。お前も知ってるだろ?かかっちまったら助からねぇ。諦めな」
「頼む……助けてくれ」
「無理だって。それにお前、俺の姿見えるんだろ?もうアウトじゃん」
何を言ってるのか理解できないアレキサンドライトにローブの男は言う。
「俺、死神なの」
混乱する頭に男の言葉は理解できなかった。
「お前、この国の王様なんだろ?人間ってのはな、それなりの運命や因果を背負った奴ほど価値がある。俺はそんなお前の魂をいただきに来たってわけ。わかる?」
苦しむアレキサンドライトとは対象的に、ローブの男はけろっと説明してのける。
「私は、死ぬのか……?」
「残念だけど死神の姿が見えてるってことは死期が近いってことだねぇ〜」
「頼む、私には……まだ、成すべきことがある。今死ぬわけにはいかないんだ……!」
必死にローブの裾を掴みアレキサンドライトは言う。
「無茶言うなって。俺に出来るのはお前ら人間の魂を貰うくらいだぜ?」
「頼む、何でもする。助けてくれ……!!」
『何でもする』その言葉を聞くなり、死神のローブで隠れた口元が上がる。
「へぇ〜、なんでも言うこと聞いてくれんの?」
「私に出来ることなら……この国を守れるのは、私一人だ。今私が死ぬと誰がこの国を守る?頼む、助けてくれ……!」
腕の結晶化が進行する度、アレキサンドライトは悲鳴に似た呻き声を上げた。
痛みのせいで全身が麻痺しているのか感覚がない。
ローブの裾を掴む手は少しずつ力が抜けている。
死神は満足そうに笑うと、懐から一枚の書類を取り出す。
「いいよ〜!出血特別大サービス!俺は気前がいいからな。その変わり、お前には『ゲーム』に参戦してもらうよ」
ほい。と見せられた紙切れには何語かも理解できない言葉(と呼べるものかもわからないが)が並んでいる。
「選ばれし七国王たちの『ロイヤルゲーム』。お前にはそいつに参戦してもらいま〜す」
「ロイヤル……ゲーム?」
「そう!説明聞く?あ、聞いてる間に死んじゃっても文句言うなよ?」
腕の痛みは限界をとうにすぎていた。
もはや力も入らず、声もあげれなくなってきていた。
呼吸も細く頼りない。
それでも、この国を守りたい一心のアレキサンドライトは最後の力でローブの男に縋った。
「わかった。参戦しよう。だから、早く……助けてくれ……!」
ローブの下の目が光る。
「契約成立〜!キャンセルなしだかんな」
そう言いながらローブの男はアレキサンドライトの結晶化していない手を取ると、懐から出した黒いナイフで親指の腹を切った。
溢れ出す赤い血。
その親指を先ほどの書類に押し付けた。
アレキサンドライトの血が付いた書類を懐に入れると、もう興味を失ったのか、乱暴にアレキサンドライトの腕を放る。
「俺は嘘は付かねぇ。お前の命は助けてやる。だけど、ロイヤルゲームには参戦してもらう」
必ずな、と念を押す頃、アレキサンドライトの意識は途切れた。