V
欠けた月が厚い雲間から顔を出す。
部屋の時計が丁度十二の数字を指した時、彼は現れた。
黒い影、ルシファーと名乗った死神。
「よう!ちゃんと待ってたんだな?エライエライ!」
頭を撫でようとしたその手を乱暴に跳ね除けると、過剰なまでに痛がった。
「勘違いするな。私は戦わない」
「はぁ!?何言ってんだよ?説得でもしようってのか?」
そうだと言うなり、腹を抱えて笑われた。
「説得して駄目なら腰にある剣で黙らせるのか?」
「これは護身用だ。私は絶対に戦わない。お前たちの言いなりになるつもりはない」
「まぁ、お前の好きなようにやれば?無理だと思うけど」
ルシファーは大して気にも止めず言うと、部屋の扉に近付き、持っていた黒い鍵をその鍵穴に差し込み回した。
ガチャリと音がすると、アレキサンドライトの方を向き直る。
「駒は持ったか?行くぞ〜」
手招きするルシファーに言われるがまま、ドアノブを回す。
ラズライト城の回廊に続くはずが、地下に続く深い螺旋階段が広がっていた。
「さ、遠慮せずどーぞ」
青色に燃えるカンテラを持つルシファーが言うと、その灯りで階段を照らした。
階段は深く、ずっと下に繋がっているようだった。
意を決して一段、また一段と降りて行くが一向に光は見えない。
不信に思い背後のルシファーに目をやるが、そのまま進めと言われるだけだった。
光のない、暗闇の螺旋階段。
どれくらい降りたのだろう。しばらくして、ようやく扉が見えた。
合わさった二枚の隙間から僅かな光が漏れている。
「持ち手の辺りに差し込み口があるだろ?そこに駒をはめるんだ」
言われるがまま、持っていた駒を空いていた溝に差し込んだ。
ガチャリと乾いた音を立て、鍵が開いた。
「この扉の鍵を開けれるのは七国王と生贄の駒を持つ者だけ。開ければゲームが終わるまで戻れない。心の準備が出来てから開けろよ」
深呼吸と少しの間を置き、アレキサンドライトは重い扉をゆっくりと開いた。
重さと古さが合わさった音を立て開かれる扉。
眩しさで目を瞑ったが、恐る恐る瞼を開くと、そこには快晴の空があった。
先ほどまで月夜だった世界が一転、澄み渡る青空が広がっている。
白と黒の石で敷き詰められた床。その遥か向こう側に彼らはいた。
「待ちくたびれたぞ、アレキサンドライト」
声の方に目をやると、甲冑に身を包んだネフライトと、あの時見たもう一人の死神。
そして、ルーベライトがいた。
「ルシファー、生贄はどうした?」
ネフライトの背後にいた死神・マンモンが尋ねた。
「いねぇよ。なんてったって初陣ですから」
「大した自信だな」
ルシファーの言葉にネフライトは大声で笑い飛ばした。
「『ロイヤルゲーム』は初めてのようだが、このゲームのルールは知っているのか?」
「そんなものは必要ない。私はこの馬鹿げたゲームとやらをやめさせるためにここに来た」
ゆっくりとネフライトへ歩み寄るアレキサンドライト。
「私を止めに来たというのか?」
「そうだ」
「やめさせてどうするつもりだ?」
「彼女を開放しろ」
アレキサンドライトの言葉に、ずっと下を向いていたルーべライトの顔が上がる。
「彼女は物じゃない。それに、こんな茶番をしている場合じゃない。我々にはするべき事があるはずだ」
「戦を終わらせることか?なら尚更やめる意味がない。『ロイヤルゲーム』の参戦を許された七国王の頂点に立つことこそ、戦を早期終結させることに繋がる」
「こんな子ども騙しのゲームで本当にそうなると思っているのか?」
「選ばれし七国王を倒す……即ち、負けた王は表舞台からも降りるということだ。生贄はいないと言ったな?今ここで私がお前を倒すと、同時にサンドライトが我が手中に入る。東西の戦の終結に一歩近付くわけだ」
アレキサンドライトは拳を強く握りしめた。
「古より続いてきたこのゲームで今の世界がある。弱き者は強き者に喰われる。そうして頂点に立った者こそ、この世の真の支配者になる!私はこの『ロイヤルゲーム』に勝利し、世界の支配者となる!!」
「……小さい奴め」
ネフライトの眼球がギロリと動く。
「貴様みたいな輩がいるから戦は終わらない。人の『罪』も消えないんだ」
「綺麗事だな。なら貴様は罪を償えるとでも言うのか?つい先日もラブラドライトを蹂躙した貴様が!数多の命を奪ってきた貴様が!奇石の『罪』を償えるというのか!?」
アレキサンドライトの脳裏に、先日の戦場の光景が蘇る。
無残に結晶化し、砕け散った同胞。
故郷も何もかも奪われ、絶望に涙する民。
そして、手に残る王を伐った時の、あの感覚。
「違う、私は……!私は、」
自分に言い聞かせるよう呟くアレキサンドライトの言葉にネフライトは鼻で笑うと、傍にいたルーべライトを無理やり引き寄せた。
「ラピスラズリは最後まで私に乞うていたぞ。敵国の王である私に!自分を斬った私に!血の海の中で、娘には手を出すなと!必死にな!!」
その時を思い出したのか、ルーべライトの瞳に涙が浮かぶ。
そんなルーべライトの細い顎を無理矢理上げ、ネフライトは噛み付くように口づけた。
抵抗せず、強く目を瞑り、ただひたすら小さな手を握りしめ耐えるルーべライト。
アレキサンドライトの全身の血が煮え返る。
満足気に笑うネフライトはルーべライトを離し、鞘から剣を抜くなりアレキサンドライトに向かってきた。
それに素早く抜いたクレイモアで受け止める。
ガチガチと鋼が音を立てて鳴く中、ネフライトは笑ってアレキサンドライトに言う。
「貴様が望まなければ『ロイヤルクラウン』は私がいただく!サンドライトも私のものだ!!」
「誰が……!貴様の好きにさせるか!!」
甲冑姿のネフライトに、軽装のアレキサンドライト。
分があるこの戦いにルーべライトは声を張り上げる。
「やめて下さいアレキサンドライト様!殺されてしまいます!!」
何度も何度も声を張り上げ、やめてと叫ぶ彼女の声を聞きながら、アレキサンドライトは必死にネフライトからの剣を受ける。
「私が勝ったらその首を自室に飾ってやろう。喜ぶがいい、今は言うことを聞かぬルーベライトも今宵の戦いを思い出して私に屈するだろうな!」
アレキサンドライトの持つ剣より長く、大きい鋼を振りかざし、尚もネフライトは笑みを絶やさず余裕を見せる。
先ほどの口づけで、弧を描く唇にルーべライトの紅が微かに付いているのが余計に腹立たしかった。
「降伏するなら今のうちだぞ?」
「下衆め!死んでも貴様に屈するか!!」
鋼を受け止めるたび手が痺れる。
手放しそうになる柄を気力で握りしめる。
途中、ネフライトの刃がアレキサンドライトの左腕を掠め、白と黒の床に一筋の赤い筋が走った。
裂けた服の合間から流れる血の量が、思ったより深い傷になっていることを表していた。
切られた腕を庇うように崩れた体制を見逃さず、ネフライトは大きく剣を振り上げた。
ルーべライトの悲鳴が響く中、アレキサンドライトは咄嗟にネフライトの足、甲冑の合わさる僅かな隙間に刃を走らせた。
加減ができず、刃は肉を裂き、思った以上に深く入り込む。
溢れる鮮血と共に痛みに倒れるネフライト。
素早く剣を持つ腕を踏みつけ、切っ先を喉元に当てた。
「チェックメイトだ」
ネフライトが何度か抗うように踏まれた腕に力を入れるが、それ以上に力を入れて踏まれ、骨がミシミシと音を立てる。
肩で息をしながらアレキサンドライトが言うと、戦いを見守っていたルシファーが拍手をしながら近付いてきた。
「はいはい、勝負あり〜!おっさんゲーム続行不能!よって勝者はアレク様〜!」
未だ抵抗するネフライトに変わり、もう一人の死神、マンモンが口を開く。
「アレキサンドライト、どちらの駒を選ぶ?」
まだ殺気が消えないアレキサンドライトは言われた意味がわからなかった。
「ロイヤルゲームのルールだ。相手の七国王を殺すか降伏させるか、またはゲーム続行不能にすれば勝利だ。勝者は敗者の駒をひとつ、思うがままにできる」
自分の足元ではネフライトがもがきながら何かしら叫んでいる。
アレキサンドライトはルーべライトと目が合うと、マンモンに告げる。
「……彼女を開放しろ。自由にしてやってくれ」
「承知した」
マンモンはルーべライトに向き直ると、ひとつだけ頷いた。
最初はゆっくりと、やがて急ぎ足でアレキサンドライトの後ろに回ったルーべライトにネフライトが声を上げる。
「ルーべライト!貴様、私を裏切るつもりか!?」
ルーべライトは口紅が落ちるのも構わず、見せつけるように乱暴に唇を拭う。
「最初から貴方に心を許した覚えはありません!」
足を負傷したせいで起き上がれないネフライトに冷たい視線を投げ、アレキサンドライトはルーべライトと共にもと来た扉に足を向けた。
扉を閉めるなり、ルシファーは楽しそうに話しかけて来た。
「へぇ〜お前って案外やれんのな!俺ちょっと感動しちゃったよ〜」
「うるさい」
「最初は戦わないとか言ってたくせに、結局ノリノリだったじゃん」
ルシファーの言葉に思わず言葉を詰まらせた。
ネフライトを斬った時の感覚が、僅かに震えている手に残る。
隣で自分の名をか弱く呼ぶ声に振り返る。
「アレキサンドライト様、血が……」
ルーべライトに言われ、やっと自分が斬りつけられていた事を思い出した。
興奮から冷めた途端、じくじくと痛む腕に顔を顰めると、ルーべライトはドレスの裾を裂いてそれを腕に巻いてやる。
「姫、お召し物が……!」
「そんな事どうでもいいのです!そんな事……私の事なんて、どうでもよろしかったのに……!」
今にも泣きそうな声でアレキサンドライトの腕の手当をしてやる。
きゅっと結び終えた手を取り、目線を合わせる。
「貴方はもう、自由の身です。早く父上様の元へ戻ってあげてください」
父という言葉、自由という言葉を聞いて、ルーべライトの薔薇色の瞳から大粒の涙が零れた。
最後に手当の礼を言うと、アレキサンドライトは螺旋階段を一人で上がって行った。
キザな男だと笑うルシファーの隣で、ルーべライトはアレキサンドライトの姿が見えなくなるまでその姿を見つめていた。