VIII
自室の机で書面と向き合うアレキサンドライト。
連日ペンを走らせるが、肝心の所で先に進まず、何十枚と書き直しが続いている。
『アレクはそれで笑えるの?』
『貴殿は戦を終わらせたいのであろう?』
『陛下はあの言葉を信じてらっしゃるのですか!?』
『出来もしないのにこれ以上ルーベに近付くな!!』
延々と頭の中で繰り返される様々な声。
今も同じで、考え事をしていたせいで手元が狂いインク瓶を倒してしまう。
中身が溢れ、黒いインクで滲み、汚れた紙。
咄嗟に破こうと手をかけるが、それすらできなかった。
ため息を吐いて、切り込みが入ってしまった紙をそっと置く。
約束の期日に間に合わせるには、今日中に書状を完成させなければいけない。
焦る気持ちと、整理が付かない思考。
窓に目をやると、鉛色の雲が空を覆っている。
気持ちを切り替えようと席を立ち、中庭に向かう。
途中、降り出した雨のせいで庭に出れず、ガラス戸越しに雨が降る様子を見ていた。
太陽を遮られ、光の差さない城内は薄暗い。
彼女の気配を感じたのはその時だった。
ルーベライト。
自分と同じように雨が降る鉛色の空を見つめていた。
目が合った。
なんて声をかけたらいいかわからず、互いに口を開けなかった。
暫くの静寂。
聞こえるのは雨が降り注ぐ静かな音だけ。
先に沈黙を破ったのは彼女だった。
「……ご婚約、おめでとうございます」
向き合い、頭を下げ言った彼女は、自分の知らない人のように見えた。
プラチナから提案された和平協定案。
それを結ぶか、否か。
サインをすると、敵国同士だった西のサンドライト、東のシャーマナイトが一つの国になる。
長きに渡る戦も、双方主軸の国が一つになる事で終戦に導けるかもしれない。
それは事実上の政略結婚を意味していた。
アレキサンドライトが誰よりも平和な世界を望んでいたのは、ルーベライトが一番知っていた。
だからその言葉がでてきたのだろうとすぐにわかった。
「……まだ決まったわけじゃないんだ。色々、問題があって……」
「……そうですか。ご返答は何と?」
「………」
答えられない自分を察し、彼女もそれ以上何も言わなかった。
雨は静かに降り続ける。
ガラス戸に雫が幾筋も流れていく。
筋が二つに別れ、それがまた別れて流れる様子を、アレキサンドライトは眺めていた。
「……あの時の話、嘘じゃないんです」
不意にルーベライトは言った。
「あの時?」
「先日の話……ラズライトで私を愛してくださった方に似た方がいらっしゃったんです」
銀色の髪と紫色の瞳。
端整な顔に似合わない、額に大きな傷のある黒騎士。
アメジスト。
「彼はチャロアイトの血を引いていて、髪色が銀色で瞳が紫色でした。手足が長く背も高くて……本当に、そっくりだったんです。会って確かめたかった。本当に彼なのか、どうしてシャーマナイトにいるのか、何故私の元に戻ってきてくれなかったのか……」
思い返すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「彼を見た途端、無我夢中で追いかけました。最後に城門が閉まる間際、確かに目が合ってわかったんです……あの方は、彼じゃない。私が愛した『ラズライトのアメジスト』は、彼じゃなかった……」
そうつぶやくルーベライトの悲しげな表情。
胸が痛んだ。
「どうしてそう思う?」
「……あの方はシャーマナイトに仕える騎士です。もう、私の知る彼は……何処にもいない」
薔薇色の瞳が鉛色の雲を映す。
いつも笑顔の絶えない彼女の、虚ろな姿。
アイオライトの話を思い出した。
口止めをされていたが、痛々しい姿を見ていられなくて、アレキサンドライトは口を開いた。
「……ルーベ、聞いてくれ。間違いじゃないんだ」
だがルーベライトは首を振り、聞く様子になかった。
「ただの人違いで皆様にご迷惑をかけしてしまい申し訳ありません。以後この様なことがないよう気をつけます」
「ルーベ、違うんだ」
「『彼は戦で命を落とした』。それが真実なんです」
「違う。本当は、」
「それ以上言わないでください!」
張り上げられた声に驚いた。
「『ラズライトのアメジスト』は死んだんです!もう会う事も、触れる事も、声をかける事もできない!もう終わったんです……!」
薔薇色の瞳に、涙が浮かんでいた。
最愛の人物が一目でわからぬ程、彼への想いは軽いものではなかった。
全てを悟った瞳。
辛い現実を受け止めようとしていたのは明らかだった。
アイオライトは言っていた。
アメジストはロイヤルゲームの生贄としてシャーマナイトの駒になったと。
だったら、希望はあるかもしれない。
「……終わりじゃない」
取り出した獅子の形を模した傲慢の駒。
ロイヤルゲームの参戦を許された七国王の証。
「ロイヤルゲーム勝者の願い……君が願うなら、私は戦う」
ルーベライトは目を見開いた。
「彼は生きてる。違う場所で。ロイヤルゲームでシャーマナイトの駒になっただけだ。ゲームに勝てば、彼を連れ戻せるかもしれない」
だが、ルーベライトは首を横に振った。
「いけません」
「どうして?」
「私欲でゲームをなさるつもりですか?貴方が負ければ国や民はどうなるのですか?」
「私は負けない。必ず。約束する」
真っ直ぐに自分を見つめる深緑の瞳。
ルーベライトの瞳から涙が零れた。
「どうして、そこまで……」
戦いたくない事はロイヤルゲームを傍で見てきたルーベライトが一番知っている。
それでも、自分の為に戦うとアレキサンドライトは言ってくれた。
「……どうしてだろう。うまく言えないが……君が幸せになるのなら、それを叶えたいんだ」
『君が、好きだから』
夕暮れのサンドリアで告げたように、今一度アレキサンドライトは想いを告げた。
「君はいつも私を支えてくれた。今度は、私が君の力になりたいんだ」
ルーベライトはアレキサンドライトの手の中にある駒を見つめる。
それを、そっと押し返した。
「……駄目です」
「ルーベ?」
「……貴方の気持ちには……答えられません」
今にも消えそうな切ない声で、彼女は言った。
「答えを求めて言ったんじゃない。私がそうしたいんだ」
「貴方が私を好いてくださる理由は、お母様に似ているからでしょう?」
アレキサンドライトの表情が凍る。
「……誰から聞いた?」
ルーベライトは答えなかった。
「クオンタムか?」
「……この国に来て、色んな方から貴方のお話を伺いました。幼い頃にお母様が亡くなられて、戦にも出陣するようになって、心の拠り所がなくなってしまったと……今も一人でこのサンドライトを守ろうとしている。大変な時に七国王に選ばれてしまい、そこで私と出会っただけ」
「……間違ってはいないが、それだけじゃない。私は君自身に惹かれたんだ」
「私も、アメジストの事で支えになる存在を失ってしまいました。そんな時に貴方に出会いました。今だから言います。貴方を彼の代わりとして見ていた所がありました。そんな私は、貴方に愛される資格はありません……」
「……私を、戦わせたくないから言っているのか?」
ルーベライトは静かに首を横に振る。
彼女から発せられる言葉が怖くて、耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。
「互いに拠り所をなくし、傷ついて、その時に傍にいたのが私たちだっただけです。互いに失ったものを埋めれる『何か』が欲しかっただけ」
「……君はそうかもしれないが、私は違う」
「いいえ。寂しい気持ちを埋めれる何かを、探していただけ」
「違う!」
「違いません」
先程まで涙を流していた彼女の薔薇色の瞳は、本気の光を宿していた。
「痛んだ傷を舐め合う仲……それが、私たちです」
「……本気で言っているのか?」
「いつかは、貴方に謝ろうと思っていました。貴方の善意を利用するような形になってしまって……ごめんなさい」
「……それが、君の答えか?」
アレキサンドライトの声が低くなる。
ルーベライトは再度、ごめんなさいと頭を下げた。
「……わかった……もういい……」
自分に向けられた中で、こんなに低いアレキサンドライトの声を、ルーベライトは初めて聞いた。
「……自分がここまで見る目が無かったとは思わなかった。君にも、失望した」
手の中の駒を握りしめる。
雨の音が耳障りに聞こえる。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていい。逆に私が謝らなくては……今まで私の『つまらない願い』のために付き合わせて悪かった。もう君の手は借りない。君もその方がいいだろう?」
ルーベライトは頭を下げたまま、動かなかった。
「アイオライトも近日中に使いを寄越すと言っていた。いつまでもこの国にいても仕方ないだろう。ラズライトに帰って傷ついた心を癒してくれ」
「……アレク、」
「……君に、その名で呼んで欲しくない」
見上げたアレキサンドライトの顔。
自分が見た事もない悲しい目をしていた。
ほんの一瞬、ルーベライトの瞳が揺れた。
丁度その時だった。
「お話は終わりましたかにゃ〜?」
耳障りな声がした方を見る。
黒い影の男。
死神・ルシファー。
中庭に現れた彼はガラス戸をすり抜けて目の前に歩み寄って来た。
「何しに来た?」
「あれ?アレク様ってば機嫌悪い?怒んないで怒んないで♪」
神経を逆撫でるような口調がアレキサンドライトの怒りを煽る。
「今日は空気を読んでこの姿でお仕事してんだからさ!はい、お手紙で〜す!」
差し出された黒い封筒。
ロイヤルゲームの挑戦状。
アレキサンドライトは目を見開いた。
「あれ?受け取んないの?やる気満々だったのに?」
言われて引ったくるように黒い封筒を奪い、中を見る。
「何方からですか?」
「シャーマナイトの女王陛下からで〜す!」
二人は驚愕した。
「アレク様、ラブレターのお返事返さなかったんだって?いけないんだ〜。女を怒らすと大変な事になるってレヴィアタンが言ってたぞ〜」
「黙れ」
「はいはい。キャスリングは今晩だから。それまでお姫様も帰らないでね!駒が二つ揃わないとゲームに参戦できないから!バイにゃら〜!」
相変わらず言いたい事だけ言って姿を消すルシファー。
うるさい声が途絶え、再び雨音だけの静寂が訪れる。
暫く互いに口を開かなかったが、黒い手紙を握りしめたアレキサンドライトは言う。
「これで、ラストゲームにしよう」
視線も合わせる事もないまま、ルーベライトは頷いた。




