影の意識
学校と言えば七不思議、と言っても過言ではないと私は思う。仮令そう思っていなかったとしても、初対面の相手が開口一番に「この学校の噂、もう聞いた?」などと、お世辞にもフランクな挨拶だと言うには外れ過ぎている言葉を、三度の転校により過ごした時間が短い四つの学校で毎回聞かされればそう思わざるを得ないだろう。
四度目の転校により、五つ目となるこの学校でも聞き飽きた言葉を言われ、またかと言えず机に頬杖をついている私は相当無愛想に見えるだろう。否、どうせまた転校するのだ、必要以上に関わる必要はない。
私の定位置、一番後ろにある窓際の席。私の心に連動して曇っていく空へ視線を逃がし、相槌一つ返さない私にはお構いなしで、お決まりの言葉を発した相手は学校によって微妙に変化する七不思議の話を続けている。
「――をやると満月さんが現れて」
「何?」
満月、その単語に思わず反応し聞き返してしまった。そして私は即座に後悔した。相手が光ったように見えたのだ。比喩でも何でもなく、本当に光ったと思える程の眩しいと表現するに相応しい、恐らく一般的には無邪気な笑顔と評される類のもの。
ここまで私が苦手だと、一瞬で嫌悪感すら抱く表情には久しく出会っていなかったせいもあり――時間的にはほんの一瞬だろうが私には数十分にも感じた――軽い硬直状態にあった私は猫だましで意識を戻された。目をぱちくりさせる私に、依然として眩しさを伴う相手は軽く頬を膨らませ不満そうにしている。
「もう、満月さんの事聞きたかったんじゃないの?」
「嗚呼……悪い、そうだね……それで?」
「嗚呼……悪いって、何?もう、ちゃんと聞いててよね」
確かに反応はした。が、詳細が聞きたいとは一度も言っていない。にも関わらず相手は、私が意識を空へ返している間に話したのであろう事を、不満そうではあるが好奇心が抑えきれない様子で話している。
「クリスマスイブの夜、時計の針が頂点で重なり合う時に月の雫を飲めば、一つだけ願いを叶えてくれる満月さんに会えるのよ。同じ時に合わせ鏡をやれば良いって噂もあるけど、私は月の雫を信じてるんだ。月の雫なんて見たことないし、満月さんが本当に叶えてくれるのかは判らないけど何だかロマンチックじゃない?」
「嗚呼……そうだね」
指をぎゅっと組んだ状態で顎に添え、夢見る乙女なんて稚拙な表現が相応しい表情を浮かべた相手は私の一言で、出店に売られている玩具の狐面のように鋭い目つきになった。適当な返事に腹が立ったのだろう、何やら聞き取れない単語を吐き出し続ける相手を無視し、私は再び視線を空へ逃がした。先程まで曇りだったくせに雲が晴れ始めている、何て現金な私の心。それでも完璧に晴れる事なく、太陽を隠しながら晴れ間だけを見せる辺りは実にひねくれた私らしい。
* * *
都合が良いと言うべきか、日が近かったから出た話だったのか。私は先日聞いた噂を試すべく、学校裏にある――何とか山、と名付けられてはいるが山と呼ぶには物足りない高さの――小高い丘を明かりも持たず登っていた。吐いた息が濃霧のようにはっきりと白く見える季節、タートルネックの黒い長袖に濃紺のジーパンという簡素な格好で過ごせるのは私くらいらしい。昔、誰かにそう言われた。
好き勝手に育ちすぎた大きな木々が避けるようにぽっかりと空けた頂上で、胸ポケットから懐中時計と小瓶を取り出し時刻を確認すれば十二時一分前。懐中時計を片手に握り締め、粘度の高い液体が入った小瓶を天へ掲げれば、今まで月を半分程覆っていた雲が見越したように月から身を引いていった。
次いで現れた満月を、小瓶を通し見て中に月を封じ込める。月が逃げないように片手で器用にコルク栓を飛ばし、月の入った小瓶を逆さにして液体を口に落とせば口内にとろっとした食感とカラメルソースに似た味が広がっていく。全てを飲み込む刹那、視界の端に揺らぎを感じて見れば私と同じ背格好をした同じ顔のわたしが居た。
「もー待ちくたびれたよ、私に待たされるなんて本当、気分悪いね」
「私の影のくせに何を言う、勝手に離れていったくせに」
指の開ききった片手で口元を隠し、片目を閉じて如何にも胡散臭いあくびをするわたしに私が腹を立てるのは妙な気分だが、慣れとは恐ろしいもので、動揺せず普通に応対している私に毎回私自身が驚かされる。
「私に動くなって言うの?同じ影のくせして、幾ら私でもそこまで言われる筋合いなくない?って言うか――」
流石、私の傲岸不遜な部分。小首を傾げつつ顎を軽く上げ、片眉を下げて細めた目つき。片方の口の端だけを上げた人を小馬鹿にしている不快な笑みは、紛れもなく私が嘲ったときの表情そのもの。
「つべこべ言わずに、さっさと戻る。次に行けないだろ」
「何で私が――ってちょっと強引過ぎない?!」
わたしの返答を待たずに持っていた懐中時計を双方の手で包む形になるように、わたしと無理矢理握手をすれば最後の最後まで文句を言いながらわたしは跡形もなく消えていった。
一息ついてから懐中時計に目を向ければ、本来変わるはずのない大きさが一回り大きくなっていた。あらゆる世界、時間帯に散々になったわたしを回収する事が収集癖な私の役目。とは言え、私の居場所のヒントが七不思議を含めた都市伝説と満月、そしてそれの実行など馬鹿げている。主たる私がそういったものを強く好んでいたせい、らしいが実行しなければ現れないなどわたしはどんだけ恥ずかしがり屋なのだ。同じ影とは思えない、と蔑んだところでわたしが見付かるわけではない。とっとと次の時間帯へ行こう、別世界の私が通う学校へ転校する時間だ。