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可能性  作者: Y.S.
3/5

練乳バナナ

 誰しも一度はやったことがあるはずだ。少なくとも、僕は毎日それを行いたいくらいなのだ。それ程この行為は魅力的であり、所謂中毒性を示す麻薬のような行いだと思う。とても気分が良い。

 バナナの皮の内側にある白くて細い筋を綺麗に取り集め、其々が重ならないように広げて日干す。乾燥して脆くなったそれを粉末にして、空になった調味料容器へ詰めていく。保存料を入れていないから足は遅くないし、粉末にしてあるから湿気には十分に気を付けなきゃいけない。僕はこの粉末をバナ粉と呼んでいる。

 この粉末には何とかって薬の成分とよく似た成分が含まれていて、自然乾燥させるとより濃くなるらしい。そして、それは体内で分解されずに蓄積される。それが所謂致死量ってやつに達すると、その人はあの世に逝っちゃうらしい。毎晩、標的の加湿器へバナ粉を加えているときが僕にとって一番楽しい時かもしれない。

 バナ粉を加える時に、注意しなきゃいけない事がある。この粉はとても水に溶け易く、またその香りも仄かだが香る。生憎、標的は大のバナナ嫌いときた。僕が大好きなバナナを食べていると、何時も嫌な視線を向けてくる。嫌いなら見なきゃ良いのに。

 標的と僕はとことん相性が悪いようだ。僕がデザートだけでなく、主食としてもバナナを口にするように、標的は苺だけじゃなくてパンや料理に練乳を使用する。単なる甘党と言うわけではなく、そう、言うなればこれは練乳党ではなかろうか。練乳党……練乳好きの集まる党、政治家にはなってほしくない党だな。

 そんな訳で。僕が標的とする相手は大のバナナ嫌いで、その匂いにだけはかなり敏感ときた。だから食べさせる事は不可能に近い、だが何も口からじゃなくったって良い。これは一度に摂取せずとも、何回かに分けて体内に入れば自然と蓄積される訳だし……だから僕は思い付いた。

 標的は毎晩、枕元に小型の加湿器を置いて寝る。その加湿器は水道水を使用する簡易の物で、超音波により水を気化する優れ物だ。標的はその水に甘ったるい香りのアロマを入れて使用している。そのアロマは練乳の匂いに似ており、多く入れれば強い練乳の香りでバナナの匂いは消えるはずだ。これは利用する他無いだろう。

 バナ粉とアロマを其々小さじ二杯程度入れ、水槽をよく振り動かして溶かしておく。これで準備はお終い。後は標的が帰宅し、それを使用するのを待つばかりだ。嗚呼、待ち遠しい……早く帰って来ないだろうか。


 ――……。


 ……嗚呼、どうやら僕は炬燵で寝てしまったらしい。喉が妙にいがらっぽい……炬燵で寝ると何時もこうだ、ベッドに行って寝直そう。炬燵から出ると、温度差により大きなくしゃみが一つ出た。こりゃ風邪を引くかもしれない……早くベッドへ、と思った時に標的は帰ってきた。運が良いやら悪いやら……。

 炬燵の温かさに呼ばれた睡魔のお陰と言うべきか、せいと言うべきか。夕飯が億劫になっていたところへ標的が帰ってきたものだから夕飯を作らざるを得なくなった。標的は僕よりも家事全般がこなせると言うのに、花嫁ならぬ婿修行だと称してその殆どを僕に行わせる。ただ怠けたいだけではないか、全く。

 冷蔵庫内にある僅かな材料でそれなりの夕食を作り、それらを互いに食し終えた頃。標的は何時ものように細い煙草を吸い始めた。標的曰く、その煙草は一般に市販されていない物だそうだ。然し非合法の、所謂大麻だとかではないらしい。火のつけられた煙草から僅かに香る甘さには、煙草嫌いの僕でも何故か心安らぐ様な気がする。飽くまでも、するだけだ。

 その香りにまた睡魔がやってきた。今度は先程とは比べ物にならないくらいの強敵だ。これは辛い……勝てそうにない、このまま僕はやられてしまうのか?そう思った時、標的がその睡魔を倒すかのように強く僕の背を蹴ってきた。これには感謝したくとも出来ない、何せ背の痛み以上に睡魔への恋い焦がれるこの幼き僕のいたいけな心が――と、馬鹿な事を言っている場合ではなかった。

 寝るならベッドへ行け、と急かされた。そりゃそうだ、また炬燵で寝たら今度こそ喉が可笑しくなるに決まっている。僕は標的の隣室に当たる自室へ入り、ふわふわの柔らかベッドに飛び込んだ。ふんわりとした毛布と清潔なシーツが僕の体を包み込み、穏やかな時へ僕を誘おうとしている。

 重たい瞼を上げる力はもう残り少ない。あと少しで僕は旅立つ、そう、あと少し……。その時、僕の鼻腔に何とも甘ったるい香りが飛び込んできた。嗚呼、嫌な匂いだ。この臭いは確か……そう、練乳だ。練乳に似た香り……嗚呼、何で僕の部屋にこんな物が。

 ――と、そこで僕は気付いた。そういえば僕のベッドはシーツこそ清潔だが、布団は長く使われ綿がへたれていたはずだ。だからふわふわとは決して言い難く、寧ろぺたんこと言う表現がお似合いだろう。となると、今僕が寝ているこのベッドは僕のではなく、標的のベッドと言うことになる。あれ、そういえば僕、バナ粉を加湿器に入れた気が……嗚呼、策士策に溺れるそは正にこの事だろうか。違っていたとしても構うまい。

 嗚呼、バナナ好きな僕としてはこんな臭いになってしまったバナナに、哀れみと供養の言葉を口遊みたくなる。そんな事を思っている場合ではないのは分かっているが、嗚呼、大好きなバナナによって死すとは何て幸福なのだろうか。これは不服ながらもバナナの話を教えてくれた標的に感謝するべきだろう。有難う、標的。

「人のベッドで何してんの」

「もう僕は死ぬ、死ぬんだ。最後くらい一人にしてくれ」

「馬鹿な事言ってないで、さっさと自分のベッドに帰りな」

「嫌だー僕はバナナを愛しているんだ」

 次の瞬間、僕はベッドから蹴落とされていた。


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