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続々・異世界転移したけど、とりあえずBBQだ ~テキサスの男はサンクスギビングを分かち合う~

作者: 詩永あえし
掲載日:2026/06/14

頭を空っぽにしてお読みいただけると幸いです。

 異世界に来て、一ヶ月が経っていた。


 ビリー・"ピットボス"・ジョンソンの一日は、相変わらず火と煙で回っていた。

 夜明け前に起き、スモーカーの温度計を確認し、薪をくべて肉を焼く。

 違うのは、空に月が二つあること、行列に並ぶ客の耳に特徴があることくらいだ。


 草原のBBQピット──いや、もはやそれはピットという規模を超えていた。

 ルウ率いるキルシュ狩猟団が魔物を狩り、ドワーフの鍛冶師たちが鉄を組み、エルフが森から香りのいい薪を運び、村の連中が芋を掘り、子供たちが走り回る。


 草原の一角には、いつのまにか石組みの炉が並び、長テーブルが据えられ、樽が転がり、煙の絶えない一つの集落のようなものが出来上がっていた。

 人はそこを「スモーク・フィールド(煙の野)」と呼び始めていた。


 牛の日──インデペンデンス・デイ。

 豚の日──グローリー・サンデー。


 二つの祭りが根付き、ビリーの肉は、この地方の伝説になっていた。

 だが、ビリーはふとした拍子に空を見上げる癖がついていた。


 二つの月を見上げて、それから目を細める。

 テキサスの空には、月は一つしかなかった。


 ****


 その朝。

 ビリーはスモーカーの前で、珍しく手を止めていた。


 ルウがエールの木樽を転がしてきて、その隣にどっかりと腰を下ろした。

 銀色の狼耳。鋭い金色の瞳。

 この一ヶ月でその目はずいぶん柔らかくなった。


「どうした、ビリー。火が泣いてるぞ?」

「火が泣く、か。嬢ちゃんも上手いこと言うようになったな」


 ビリーは笑った。

 だが、いつものニカッとした笑いより、少しだけ薄かった。


 ルウの耳が、ぴくりと動いた。

 この一ヶ月、ずっとこの男の横にいた。

 ヒゲの奥の口角がどれだけ上がるか──ルウはビリーの機嫌を匂いと同じくらい正確に読めるようになっていた。


「何かあったのか」


 ビリーは薪を一本、ファイアボックスにくべた。

 オレンジの火が、ぱちりと爆ぜる。


「元居た世界だと、今日があの日かと思ってな」

「何の日なんだ?」

サンクスギビング(感謝祭)


 ルウは首を傾げた。

 聞いたことのない言葉だった。


「アメリカの祝日でな、感謝祭ってやつだ。」

「また祝日か。お前の国は祝日だらけだな」

「ああ。だが、サンクスギビングは、独立記念日とはちょっと違う」


 ビリーは、エールを一口飲んだ。

 しばらく煙の向こうを見つめていた。


「独立記念日は国の誕生日だ。派手にやる。花火を上げて、ビールを浴びるほど飲んで、国中で肉を焼いて、わぁっと騒ぐ祭りだ」


 ビリーの声が、少し低くなった。


「だが、サンクスギビングはもっと静かだ。十一月の末、寒くなり始めた頃にな。遠くからでも家族が帰ってくる。一年に一回、テーブルを囲むためだけにみんな帰ってくるんだ」


 ルウは黙って聞いていた。


「デカいテーブルに、デカいターキーを一羽どんと置く。家族みんなで手を繋いで、この一年の恵みに感謝して、それから食う。腹がはち切れるまで食う。それがサンクスギビングだ」


 ビリーはエールの木のジョッキを両手で包むように持っていた。


「うちはな、じいさんがデカいターキーを焼くのが恒例だった。じいさんが死んでからは俺が焼いた。親父も、おふくろも、妹も、妹の旦那も、甥っ子姪っ子も、みんな集まって。家にぎゅうぎゅうに詰まってな」


 ビリーは、ふっと笑った。

 その笑いの中にルウは初めて、この巨漢の寂しさを見た気がした。


「今頃、向こうも──いや」


 ビリーは首を振った。


「向こうは今、何月だろうな。時間の流れが同じかも分からねえ。だが、まあ──」


 エールを飲み干した。


「向こうのことを考えてもしょうがねえ。俺は今、ここにいる」


 ルウは、しばらく考えていた。

 それから、おもむろに立ち上がった。


「ビリー、そのターキーってのは──デカい鳥か」

「ん?ああ。アメリカのターキーは、デカいやつで二十ポンド(約9キロ)はある。丸々太ったごちそうの鳥だ」

「ふぅん」


 ルウの口角が、にやりと持ち上がった。

 犬歯が、朝の光にきらりと光る。


「デカい鳥なら心当たりがある」


 ****


 ルウが連れてきたのは、狩猟団の精鋭五人だった。

 全員、目が据わっていた。

 この一ヶ月で、彼らはすっかりビリーの肉のために命を懸ける連中になっていた。


「ビリー」


 ルウが地図を広げた。

 獣皮に描かれた、この地方の地図だ。


「ここから北。霧立つ峡谷。そこに、コカトリス・ロックの群れがいる」

「コカトリス・ロック?」

巨鳥おおとりの魔物だ。体長十三フィート(約4メートル)。空を飛び、脚は牛を一蹴りで殺せるほど強い。だが──」


 ルウは、ごくりと喉を鳴らした。


「肉は白くて柔らかい。ニワトリに似てる。狩るのが難しいから滅多に食卓に上らないが、一度食えば忘れられないって言われてる。問題は空を飛ぶことだ。地上の魔物と違って突進してこない。上空から急降下して、蹴って、また飛び立つ。フルパーティの冒険者でも矢が当たらずに撤退することが多い」


 ビリーは地図を見つめた。

 その目が──変わった。


 ルウはもう、何度もこの目を見ている。

 戦士の目でも、冒険者の目でもない。

 ピットマスターの目だ。


「白くて柔らかい肉……」


 ビリーが立ち上がった。

 帽子のつばを持ち上げ、にやりと笑う。


「サンクスギビングには、ターキーが要る。ひと狩り行くぞ」


 ****


 霧立つ峡谷。

 深い谷の両側に切り立った崖がそびえ、その底を冷たい霧が流れている。

 崖の中腹には無数の岩棚があり、そこに巨大な鳥の巣が点在していた。


 コカトリス・ロック。

 灰褐色の羽毛に覆われた、ダチョウとニワトリを混ぜたような巨鳥。

 鋭い嘴と岩を砕く鉤爪。翼を広げれば、その影が谷の底まで届く。


 一羽が、岩棚から飛び立った。

 風を切り、谷の上空を旋回し──こちらを見ていた。


「来るぞ!」


 ルウが叫んだ瞬間、コカトリス・ロックが翼を畳んで急降下した。

 弾丸のような速度。狙いはビリー。


 ビリーは膝をつき、レミントン700を構えた。

 元アメリカ海兵隊。砂漠でライフルを握った男。

 だが──。


「速ぇ……!」


 スコープの中で、急降下する巨鳥が捉えきれない。

 地上を突進してくるグラン・ビーストやガルガン・ボアとは、まるで違う。


 動きが三次元だ。

 上下左右、そして奥行き。

 狙いが定まらない。


 ビリーは引き金を引いた。

 銃声が谷にこだまする。

 しかし、弾丸は巨鳥の翼をかすめただけだった。


 コカトリス・ロックが鉤爪を伸ばし、ビリーの頭上をかすめて、再び舞い上がった。

 爪が帽子を弾き飛ばした。

 あと数センチ下なら、頭が砕けていた。


「ビリー!」


 ルウが駆け寄った。

 ビリーは尻もちをついたまま、舞い上がる巨鳥を見上げていた。

 帽子を拾い、土を払いかぶり直す。


「……こいつぁ、勝手が違うな」


 ビリーは、自分のライフルを見た。

 地上の的には強い。

 だが、空を飛び回る相手には向かない。


「ルウ。あれに矢を当てられるか」

「正面からは無理だ。速すぎる。だが──」


 ルウは、自分の弓使い──山猫耳の女を見た。


「あいつが一発、翼に当てて飛行を乱せれば。落ちてくる瞬間なら私の大剣が届く」

「飛行を乱す、か」


 ビリーは、しばらく考えていた。

 それから、ふと自分の足元──道具箱に目をやった。


 チェーンソー。ライフル。スライスナイフ。ボーニングナイフ。

 そして、その隅に丸めて突っ込んであった一枚の網。


 バーベキュー用の金網グリルグレートの予備だった。

 ビリーの目が、きらりと光った。


「閃いたぞ」


 まず、ルウたちの槍と剣の柄、それに森から切り出した若木を組み合わせ、巨大な投擲網とうてきもうを作る。

 骨組みにビリー私物のグリルの金網を縫い合わせ、四隅に重し代わりの石をくくりつけた。

 テキサスの牧場でも、暴れる家畜を捕らえるのに似たような網を使う。原理は同じだ。


「いいか。俺がライフルで威嚇して、あいつを低空に誘い込む。低く飛んだところを弓使いが翼を狙え。狙うのは墜とすためじゃねえ。一瞬、バランスを崩させればいい」

「それで?」

「バランスを崩して低空をふらついた瞬間、お前らがこの網を投げる。脚と翼を絡める。地面に落ちたらこっちのもんだ」


 ルウは、ビリーを見た。

 この男は、ライフルでもチェーンソーでもなく、網と仲間の手で、空の魔物を狩ろうとしている。


「ビリーは、戦士より戦術家だな」

「BBQも狩りも、段取りが九割さ。火を入れる前に勝負は決まってる」


 ****


 巨鳥が、再び舞い上がった。

 今度は二羽。つがいだ。


 ビリーがライフルを構え、わざと外して撃った。

 弾丸が崖を削り、火花を散らす。


 怒ったコカトリス・ロックが、咆哮を上げて急降下する。

 ビリーは身を低くし、岩陰へ走った。

 低く、低く、誘い込む。


「今だ!」


 山猫耳の弓使いが、矢を放った。

 ひゅう、と風を切る音。

 矢は、急降下する巨鳥の右翼の付け根に突き刺さった。


 悲鳴とともにコカトリス・ロックが体勢を崩し、ぐらりと傾いて低空でよろめいた。


「網!」


 ビリーのデカい声。

 ルウと槍使いと盾持ちの大男が、息を合わせて投擲網を投げ上げた。


 網が、空中で大きく広がった。

 石の重しが弧を描き、ふらつく巨鳥の翼と脚に、ばさりと絡みつく。


 コカトリス・ロックが、もがいた。

 網が翼の動きを封じ、飛べない。

 巨鳥が、谷の底に向かって落ちていく。


 地面に叩きつけられる寸前、ルウが跳んだ。


 大剣を振りかぶり、落下する巨鳥の首筋へ。

 一閃。

 鋭い刃が、確実に急所を断った。


 どさり、と巨体が地に落ちた。

 羽毛が舞い、霧が渦を巻いた。


 ビリーが、岩陰から歩み出た。

 倒れた巨鳥のそばに膝をつき、その胸に掌を当てた。


 分厚い胸肉。指が沈むほど、たっぷりとした白い筋肉。

 脂は少ない。だが、繊維はきめ細かく、しっとりしている。


 ビリーの口角が、ゆっくりと持ち上がった。


「コイツは最高のターキーだ」


 汗を拭い、息を整えながらルウが、大剣を肩に担いで歩み寄ってきた。


「網で空の魔物を狩るなんて、聞いたこともない」

「テキサスの男は、手持ちのカードで勝負するもんさ。ライフルが効かねえなら、頭を使う」


 ビリーは立ち上がり、つがいの片割れが、岩棚の上からこちらを見下ろしているのに気づいた。


 ビリーは、ライフルを下ろした。

 つがいの片方を、その鳥に向けて手を振った。


「もう一羽は、見逃してやれ」

「……いいのか?あれも良い肉だぞ」

「サンクスギビングはな、感謝の日だ。命を全部獲り尽くす日じゃねえ。一羽分けてもらえりゃ、それで十分だ」


 岩棚の巨鳥は、しばらくこちらを見ていたが、やがて翼を広げ霧の奥へと飛び去っていった。

 ルウは、その背中を見送るビリーの横顔を黙って見ていた。


 ****


 解体は、いつも以上に丁寧だった。


 ビリーは、まず巨鳥の羽根をむしり、湯を沸かして産毛を処理した。

 次に内臓を抜き、首と脚を落とし、巨大な胴体を露わにした。


「鳥ってのはな」


 ボーニングナイフを動かしながら、ビリーはルウに語った。


「牛や豚と違って、嘘がつけねえ肉なんだ」

「嘘?」

「牛は脂が多い。豚はもっと多い。だから多少火が強くても脂が肉を守ってくれる。多少失敗してもごまかしが効く。だが、鳥は脂が少ない。胸肉なんざ、ほとんど脂がねえ」


 ビリーは、巨鳥の胸肉を指で押した。

 しっとりとした白い肉。


「火が強すぎりゃ、あっという間にパサパサになる。一瞬で水分が抜けて、おがくずみたいになる。鳥を焼くってのは、刃の上を歩くようなもんだ──だから、面白い」


 ビリーは、にやりと笑った。


「ごまかしの効かねえ肉を完璧に焼く。それができて初めて一人前のピットマスターだ。じいさんがそう言ってた」


 ****


 草原に戻ると、ビリーはすぐにある作業を始めた。

 巨大な木桶を用意させ、そこに大量の水を張った。

 塩をこれでもかと溶かす。


 さらに村の砂糖ブラウンシュガー、潰したガーリック、黒胡椒、そしてエルフが森から摘んできた香草を数種類。

 ルウが覗き込んだ。


「これは……スープか?」

「ブラインだ」

「ブライン?」

「塩水漬けさ。鳥を焼く前に、こいつに何時間も漬け込む」


 ビリーは、巨大な胸肉と腿肉をその塩水にどぶんと沈めた。


「鳥は水分が少ない。だから焼く前に水を飲ませてやるんだ。塩水に漬けると肉が水分を抱え込む。塩が繊維の構造を変えて水を逃さなくなる。そうすりゃ長時間焼いてもパサつかねえ」


 ルウは、感心したように尻尾を揺らした。


「焼く前に……仕込みがあるのか」

「ドライラブが『外側からの愛』なら、ブラインは『内側からの愛』だ。鳥には両方が要る。外も内もしっかり愛してやらねえと、すぐにヘソを曲げる。繊細な野郎なんだよ」


 ビリーは、木桶の上に大きな葉で蓋をした。


「四時間、漬ける。その間にピットの準備だ」


 ****


 ピットの準備をしながら、ビリーはいつもと違うことをしていた。

 道具箱から取り出した、いくつもの小瓶。それを地面に並べていく。

 ルウが、それを覗き込んだ。


「今日は、ずいぶん瓶が多いな」

「ああ。今日は、特別な日だからな」


 ビリーは、瓶を一つずつ手に取りながら語り始めた。


「なあ、嬢ちゃん。アメリカのBBQってのはな、一つじゃねえんだ」

「一つじゃない?」

「広い国だからな。州が違えば、流派スタイルが違う。同じBBQでも土地ごとに全然違う味になる」


 ビリーは、最初の瓶を掲げた。中身は、塩と粗挽きの黒胡椒。


「これがテキサス。俺の故郷だ。塩と胡椒だけ。肉そのものの味で勝負する。シンプルイズベスト。男の中の男のスタイルだ」


 次の瓶。

 赤褐色の酸っぱい匂いのする液体。


「これがカロライナ。お前さんもプルドポークの時に食ったろ。ビネガーが主役。酢で脂を切って後味を軽くする。さっぱりした粋なスタイルだ」


 三つ目の瓶。

 とろりとした濃い赤褐色のソース。


「で、こいつがカンザスシティ。トマトとモラセス(糖蜜)で作る甘くて濃いソース。肉にべったり塗って、テカテカに照り焼く。アメリカで一番有名な『BBQソース』ってのは、大体これだ。子供が大喜びする味さ」


 四つ目。

 パプリカを中心とした赤いスパイスの粉。


「最後がメンフィス。豚のリブをソースを使わずにこのスパイスだけで仕上げる『ドライリブ』が名物だ。スパイスの香りで攻める、ちょいと通好みのスタイルだな」


 ルウは、四つの瓶を見比べた。


「同じ『BBQ』なのに、こんなに違うのか」

「ああ。それぞれの土地に、それぞれの誇りがある。テキサス人はテキサスが一番だと思ってるし、カンザスの連中はカンザスが一番だと思ってる。みんな自分のじいさんとおふくろの味が一番だと思ってる」


 ビリーは、ニカッと笑った。


「でもな。サンクスギビングってのは、家族が集まる日だ。遠くからバラバラに散らばってた連中が、一つのテーブルに帰ってくる日だ。だったら──」


 ビリーは、四つの瓶をぐるりと両手で囲うように抱えた。


「今日は、アメリカ全部をこのテーブルに集めようと思ってな。テキサスも、カロライナも、カンザスも、メンフィスも。バラバラの流派スタイルを一羽の鳥の上で、全部一緒にしてやる」


 ****


 四時間後。


 ブラインから引き上げられた巨鳥の肉は、見違えるほど艶やかになっていた。

 塩水をたっぷり吸い込み、しっとりと張りのある白い肌。

 ビリーはそれを丁寧に拭き、部位ごとに分けていった。


 胸肉。腿肉。手羽。

 そして巨大な骨付きの背肉。


 ビリーは、それぞれの部位に、違う流派を施していった。


 胸肉には、テキサス。塩と粗挽き黒胡椒だけ。

 一番淡白で繊細な部位。余計なものを足さず、ブラインの恵みと煙だけで勝負する。


 腿肉には、メンフィス。パプリカ、ガーリック、黒胡椒、ブラウンシュガーのドライラブをたっぷりと。

 脂と旨味の濃い部位をスパイスの香りでさらに引き立てる。


 手羽には、カンザスシティ。トマトとモラセスのソースを何度も塗り重ねる。

 子供たちが一番喜ぶ、甘くてテカテカの味。手づかみでかぶりつく楽しい部位。


 そして骨付きの背肉には、カロライナ。焼き上がりにビネガーソースをまとわせる。

 脂を切って、最後をさっぱりと締める。


 ビリーの大きな手が、肉の一片一片を撫でていく。

 まるで、遠く離れた家族の一人一人を順番に抱きしめるように。


「全員、違う味だ。だが、全員、同じ鳥だ」


 ビリーは、独り言のように呟いた。


「サンクスギビングってのは、そういうもんだ」


 ****


 ピットに火が入る。

 今回の薪は、エルフが運んできた甘い樹液の広葉樹。

 だが、ビリーは火加減をこれまでとは変えた。


「鳥は、牛や豚みたいに長時間は燻さねえ。長く焼きすぎるとパサつく。それに──」


 ビリーは、ファイアボックスの炭の量を慎重に調整した。


「鳥は皮が命だ。パリッとさせたい。皮がぐにゃっとしてたら台無しだ。低温でじっくり中まで火を通して、最後にちょいと火を強めて、皮をパリッと仕上げる。この『最後のひと押し』が、鳥の腕の見せ所だ」


 巨鳥の各部位が、グリルの上に並べられた。

 胸肉は火から遠く。腿肉は中ほど。

 手羽は、ソースが焦げないように、さらに遠くへ。


 煙が、立ち上り始めた。


 最初は白く、やがて薄い青に変わる。

 甘い樹液の煙に、ブラインと香草の香りと、四つの流派のスパイスの匂いが混じり合う。


 テキサスの黒胡椒の鋭い香り。

 メンフィスのパプリカの甘い香ばしさ。

 カンザスのトマトソースがカラメル化する濃厚な甘い匂い。

 そして、ふわりと漂う鳥肉そのものの優しい香り。


 四つのアメリカが、一つの煙になって異世界の草原に立ち上っていった。


「あとは待つだけだ」

「今回は何時間だ?」


 ルウが、恒例になった質問をした。

 前回は十八時間。その前は十二時間。

 さて今度は──。


「──六時間」

「六時間!?短いな!」

「鳥だからな。長けりゃいいってもんじゃねえ。肉によって向き合い方は違う。牛には十二時間、豚には十八時間、鳥には六時間。その肉が一番輝く時間を見極める。それがピットマスターの仕事だ」


 ****


 六時間の火の番の間、ビリーはいつものように、ピットの前を離れなかった。

 しかし、その火の番は、これまでとは少し違った。


 ビリーは合間を縫って、別の鍋を仕込み始めたのだ。

 サンクスギビングには、ターキーだけでは足りない。

 サイドメニューの数々こそが、感謝祭の食卓を完成させる。


 一つ目。

 村人が掘ってきた紫がかった芋を大量に茹で、潰し、バターとドワーフが分けてくれた山羊の乳を混ぜ込んだ。

 マッシュポテト。なめらかで温かい。


 二つ目。

 巨鳥の骨と内臓、香味野菜を煮込んで濃厚な出汁だしを取った。

 それを煮詰めて、とろりとしていてコクがある茶色の液体に仕上げる。

 グレイビーソース。マッシュポテトにも、ターキーにも、何にでもかけるサンクスギビングの魔法のソース。


 三つ目。

 この世界の赤くて酸っぱい木の実──クランベリーに似た実──を、砂糖と一緒にコトコト煮詰めた。

 ルビー色の甘酸っぱいジャム。

 クランベリーソース。ターキーの淡白な肉に、甘酸っぱさを添えるサンクスギビングの定番だ。


「鳥には、酸味と甘味が要る」


 ルビー色のソースをかき混ぜながら、ビリーは言った。


「淡白な肉だからな。引き立て役が要る。甘酸っぱいやつが口の中をぱっと明るくしてくれる」


 四つ目。

 パンをちぎって巨鳥の出汁だしと香草、炒めた香味野菜を混ぜ込み、焼き上げた。

 スタッフィング(詰め物)。本来はターキーのお腹に詰めて焼くものだが、今回は鍋で別に焼いた。


 ルウは、その作業をずっと横で見ていた。


「ビリー、肉のとき以上に楽しそうだな」

「……バレたか」


 ビリーは、手を止めた。

 それから少しだけ照れたように笑った。

 マッシュポテトをゆっくりとかき混ぜる。


「サンクスギビングの料理はな、全ておふくろが作ってた。マッシュポテトも、グレイビーも、クランベリーソースも、スタッフィングも。俺は鳥を焼くだけで、あとはおふくろの仕事だった」


 ビリーの手が、優しく動く。


「俺は、これを作るのは初めてなんだ。おふくろの隣で見てただけだったからな。味は覚えてる。匂いも覚えてる。だからそれを頼りに作ってる」


 ビリーは、マッシュポテトを少しすくって口に運んだ。

 目を閉じて味わう。


「……ちょっと違うな。おふくろのはもうちょっと、なんつーか──」


 ビリーは、しばらく考えていた。


「……まあいい。近づいてはいる」


 ルウは、何も言わずにビリーの横で、ルビー色のソースをかき混ぜるのを手伝った。

 二つの月が、ゆっくりと空を渡っていった。


 ****


 匂いが風に乗った。

 甘い樹液の煙と、四つの流派のスパイスと、グレイビーの濃厚な香りと、クランベリーソースの甘酸っぱさ。

 それらが渾然一体となって草原を越え、村を越え、森を越えて広がっていく。


 例によって、客が集まり始めた。


 最初に来たのは、村の住人たち。

 次に商人。馬車を三台連ねてきた。

 エルフの一団が、いつもより正装で現れた。森で摘んだという花を髪に挿している。

 ドワーフの鍛冶師たちが、樽をずらりと並べてやってきた。

 空には、ワイバーンが旋回している。竜騎士が、その背から手を振っていた。


 今日はいつもと、少しだけ違った。

 集まった連中が、それぞれ「何か」を手に持っていたのだ。


 村の老人は、自分の畑で採れた野菜を抱えていた。

 商人は、遠い国の珍しい果実を籠に入れて。

 エルフは、森の蜂蜜の壺を。

 ドワーフは、樽いっぱいの自慢のエールを。

 子供たちは、野原で摘んだ花や川で拾った綺麗な石を。


 ビリーが、目を丸くした。


「お前さんら、それは……?」


 村の老人が、照れたように笑った。


「いやな。ルウの嬢ちゃんから聞いたんじゃ。今日はビリー殿の故郷の『感謝の祭り』だと。一年の恵みに感謝してみんなで分け合う日だと」


 老人は、抱えた野菜をビリーに差し出した。


「わしらは、いつもビリー殿に肉をもらってばかりじゃ。今日くらいは、わしらの恵みも分けさせてくれ」


 ビリーは、ぽかんと口を開けた。

 それからルウを見た。

 ルウは、そっぽを向いていた。しかし、その尻尾はふわふわと揺れていた。


「……お前さんが、言ったのか」

「ビリーが教えてくれたんじゃないか。サンクスギビングは感謝の日だと。みんなでテーブルを囲む日だと」


 ルウは、ぼそりと続けた。


「だからみんなに伝えただけだ。今日はビリーに感謝する日だぞ、ってな」


 ビリーは、しばらく何も言えなかった。

 集まった連中が、それぞれの「恵み」を長テーブルに並べていく。


 野菜が、果実が、蜂蜜が、エールが、花が。

 テーブルが、彩りで埋まっていく。


 ビリーは、テキサスの空を思い出していた。

 狭い家に、ぎゅうぎゅうに詰まった家族。


 親父も、おふくろも、妹も、甥っ子姪っ子も。

 みんなで手を繋いで一年の恵みに感謝した、あの食卓を。


 ビリーの目に、じわりと熱いものが滲んだ。

 慌てて帽子のつばを下げて、隠した。


「……ったく」


 ビリーは、ぐいと腕で目元を拭った。


「お前さんらは……」


 声が少し掠れていた。


「……最高の家族だな」


 ****


 そして六時間が経った。


 日が傾き、二つの月が、また空に昇り始めた頃。

 長テーブルの周りには、人間と亜人が集まっていた。

 全員が、そわそわとピットを見つめている。


 ビリーが、立ち上がった。


 エプロンは煤と脂と、四つの流派のソースで、虹のように染まっていた。

 顔は煤だらけ。その目は、爛々と輝いていた。


「出来たぞ」


 その一言で、全員が息を飲んだ。

 ビリーは、グリルの上の巨鳥の各部位を次々と引き上げていった。


 胸肉。

 テキサススタイル。表面は黄金色に焼け、薄く煙の色がのっている。

 ビリーがスライスナイフを入れると、しっとりと白い肉が現れた。

 パサついていない。それどころか、断面からじわりと透明な肉汁が滲み出す。

 ブラインの魔法だ。淡白な胸肉が、信じられないほどジューシーに仕上がっていた。


 腿肉。

 メンフィススタイル。パプリカのラブが焼きついて、深い赤褐色の殻を作っている。

 骨を持ってひねると、ほろりと肉がほぐれた。

 脂と旨味の濃い腿肉に、スパイスの香りが幾重にも重なっている。


 手羽。

 カンザスシティスタイル。トマトとモラセスのソースが何度も塗り重ねられて、漆黒に近いテカテカの照りを放っている。

 子供たちの目が、その手羽に釘付けになった。


 骨付き背肉。

 カロライナスタイル。焼きたての肉にビネガーソースがじゅわっとかけられ、酸っぱい湯気が立ち上る。


 そして巨鳥の各部位が、長テーブルの中央にどんと盛られた。

 その周りをマッシュポテト、グレイビー、クランベリーソース、スタッフィング、そして村人たちが持ち寄った恵みが、彩り豊かに囲んでいた。


 サンクスギビングの食卓だった。


 ビリーはテーブルの上座に立ち、集まった全員を見渡した。

 村人、狩猟団、商人、エルフ、ドワーフ、竜騎士、ワイバーン、そして子供たち。

 種族も、立場も、バラバラの連中が一つのテーブルを囲んでいる。


「みんな、聞いてくれ」


 ビリーの声が、草原に響いた。

 いつもの大声ではなかった。

 静かで穏やかな声だった。


「俺の国にはな、サンクスギビング(感謝祭)って祭りがある。一年に一回、家族が集まって、一年の恵みに感謝して、みんなで飯を食う日だ」


 全員が、静かに耳を傾けていた。


「俺はこの世界に来て、家族とはぐれちまった。テキサスの家族とは、もう会えねえかもしれねえ。でもな、ここを見てると思うんだ」


 ビリーは、テーブルを囲む全員をぐるりと見渡した。


「俺は独りじゃねえ。新しい家族がここにいる」


 ルウの尻尾が、ぴくりと動いた。

 エルフが、長い耳をわずかに伏せた。

 ドワーフが、赤ヒゲの奥でぐっと唇を噛んだ。

 子供たちが、きょとんとビリーを見上げていた。


「アメリカじゃ、サンクスギビングには、みんなで手を繋ぐんだ。そんで一年の恵みに感謝する──やってみるか?」


 ビリーが両隣に立つルウと、村の老人に手を差し出した。

 ルウがおずおずと、その大きな手を握った。

 老人も、反対側の手を握った。


 長テーブルをぐるりと囲んで、手と手が繋がれていく。

 二つの月の光が、白と青の光をその輪に降り注いでいた。


「今年も──いや」


 ビリーは、笑った。

 目に、また熱いものが滲んでいた。

 今度は、隠さない。


「この一ヶ月、この出会いに、この恵みに、この家族に、感謝する」


 ビリーは、空を見上げた。

 二つの月のさらに向こう。

 じいさんが、おふくろが、見ているかもしれないその空へ。


「サンキュー」


 誰かが繋いだ手をぎゅっと握り返した。

 ルウだった。

 ビリーを見上げて、ニカッと笑っていた。


「さあ──」


 ビリーは、繋いだ手をゆっくりと離した。

 そしてトングを構え、巨鳥のローストを指し示した。


「──食おうぜ。腹がはち切れるまで。それがサンクスギビングだ」


 歓声が爆発した。


 ****


 宴はこれまでで一番、賑やかだった。

 ルウがテキサススタイルの胸肉を一切れ口に運び、膝から崩れ落ちた。


「……っ、なんだこれは……鳥なのに……こんなにしっとり……パサついてない……むしろ肉汁が溢れて……!」


 ブラインの魔法に、ルウは震えていた。

 淡白なはずの胸肉が、噛むたびに肉汁を溢れさせる。

 塩と黒胡椒のシンプルな味付けが煙の香りと相まって、鳥肉そのものの旨味をどこまでも引き立てていた。


「テキサスだ。シンプルが一番強い」


 ビリーが、ニカッと笑った。

 子供たちは、カンザスシティの手羽に殺到していた。

 甘くてテカテカのソースに両手と顔をベタベタにしながら、夢中でかぶりついている。


「あまーい!」

「おいしー!」

「もっとー!」


 子供の一人が、手羽を持ったままビリーに駆け寄ってきた。

 顔中をソースまみれにした女の子。

 以前、プルドポーク・サンドイッチを最初に食べた子だ。


「おじちゃん!これ、あまくておいしい!」

「だろう?そいつはな、カンザスシティってとこの味だ。子供が一番好きな味さ」

「カンザスシティ!」


 女の子が覚えたての言葉を嬉しそうに繰り返した。


 エルフはメンフィスの腿肉と、カロライナの背肉を交互に食べ比べていた。

 いつもの氷のような無表情は、とうに崩壊している。


「……信じられない。同じ鳥なのに、部位と味付けでまるで別の料理だ。このスパイスの香りと、この酸味……どちらも捨てがたい……」


 エルフは数百年生きた知性を総動員して、悩んでいた。


「結論が出ない。これは……両方ともおかわりするしかない」

「それでいい」


 ビリーが笑った。


「全部食え。それがサンクスギビングだ」


 ドワーフはグレイビーソースをかけたマッシュポテトに、号泣していた。


「この……茶色いソース……鳥の骨から、ここまでの旨味を引き出すとは……!そしてこの芋のなめらかさ……!肉だけではない……サイドメニューまで完璧だと……!」


 商人は例によって、ひっくり返っていた。

 今度は起き上がる前に、隣のエルフにクランベリーソースの交渉を始めていた。


 竜騎士のワイバーンは、巨大な腿肉を丸ごと一本、一口で飲み込んでいた。

 そして喉の奥から、グルルルルル、と猫のような音。

 巨大な尻尾が、草原をなぎ倒した。


「……例のごとくおかわりを所望している。腿を十本ほど」

「十本?足りるか?三十本いっとけ」


 ****


 宴の途中。

 ビリーは、マッシュポテトとグレイビーを盛った皿を持ってテーブルの隅に座っていた。


 ルウがその隣に来て、どさりと座った。

 手には、テキサス胸肉のサンドイッチを持っている。


「なあ、ビリー」

「ん?」

「お前のおふくろの味には、近づけたか?」


 ビリーはマッシュポテトを一口、食べた。

 目を閉じてゆっくりと味わう。


 テキサスの狭い台所。エプロンをつけたおふくろの背中。コンロから立ち上るグレイビーの湯気。隣でターキーを焼くじいさん。

 窓の外の一つだけの月。


 ビリーは、目を開けた。


「……まだ、少し違うな。でもな、これはこれで──」


 ビリーは、笑った。

 二つの月を見上げた。


「俺の味なのかもしれねえな」


 ルウは何も言わずにビリーの皿からマッシュポテトを一口、勝手に食べた。


「うまいぞ、これ」

「おい、勝手に食うなよ」

「家族だろ。分け合うんじゃないのか?」


 ビリーは、ぽかんとして──それから腹を抱えて笑った。


「ハッ、違いねえ!」


 草原にビリーの笑い声が、轟いた。

 鳥が数羽、飛び立っていった。


 ****


 翌朝。

 ビリーが目を覚ますと、いつもの行列はなかった。


 代わりに長テーブルの周りで、たくさんの人間と亜人が雑魚寝していた。

 昨夜、腹いっぱい食べて、エールを飲んで、歌って、笑って、そのまま眠ってしまったのだ。


 村の老人が、子供を抱いて寝ている。

 普段は犬猿の仲のはずのエルフとドワーフが、背中合わせで寝ている。

 商人が、空の皿を抱きしめて寝ている。

 ワイバーンが、竜騎士を翼の下に庇って丸くなっている。


 ビリーは、その光景をしばらく眺めていた。

 ルウが、毛皮のマントを羽織って横に立った。


「みんな、すごい寝相だな」

「ああ」


 ビリーは、笑った。


「サンクスギビングの翌朝は、いつもこうだ。食い過ぎて、飲み過ぎて、みんな動けなくなる。テキサスでも同じだった」


 ビリーは、スモーカーの温度計を確認した。

 火は、まだわずかに残っている。


「ルウ。「残ったターキーで何作るか、知ってるか?」

「いいや」

「サンドイッチだ」


 ビリーは、にやりと笑った。


「サンクスギビングの翌朝はな、残ったターキーをパンに挟んで食うんだ。クランベリーソースと、スタッフィングと、一緒にな。これが──実は一番うまい」


 ビリーは、立ち上がった。

 帽子のつばを直し、虹色に染まったエプロンの紐を結び直す。


 そして薪を一本、ファイアボックスにくべた。

 煙が朝の青空に、まっすぐ昇っていく。


「さて──」


 トングを構えた。


「火を起こすか」


 その匂いに雑魚寝していた連中が、一人、また一人と、鼻をひくつかせて目を覚まし始めた。


 ****


 こうして異世界の草原に、三つ目のBBQ文化が根付いた。


 牛の日は「インデペンデンス・デイ」。

 豚の日は「グローリー・サンデー」。

 そして──鳥の日は、住人たちが異邦人の言葉を真似て、こう呼んだ。


『サンクスギビング』


 ただ、この祭りだけは他の二つと少しだけ違った。

 この日は、ビリーが肉を振る舞うだけの日ではなかった。

 この日ばかりは、住人たちがそれぞれの恵みを持ち寄り、みんなで手を繋ぎ、一年の感謝を分かち合う日になった。


 そして後の世まで、この地方には、こんな言葉が残ったという。


 ──一度目はもてなし。

 ──二度目なら、もう友達。

 ──そして共に手を繋いで感謝を捧げたなら、もう家族だ。


 なお、ビリーが元の世界に帰りたがっているかは、相変わらず不明。

 ただ、サンクスギビング(感謝祭)の夜だけ、ビリーが二つの月の向こうを見上げて、小さく「サンキュー」と呟くのをルウは知っている。


 その横顔が、寂しさよりもずっと穏やかな何かに満ちていることも、ルウは知っていた。


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腿をテキサス風で食べたい…… 鳥の皮はパリッと仕上げるのが命に首がもげる位頷いた
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