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抜け道

時間は、少し前に戻る。

逃げる事を決意した母、桔梗(ききょう)と、千春(ちはる)春花(はるか)の三人は急ぎ足で奥御殿を抜けていく。


「皆様、ここです。お急ぎを!」


先導するのは、志木原の庭師である、志島(しじま)

志木原の道を知ることで、この男の右に出るものはいないと言われていた。

後ろには、選び抜かれた腕のたつ臣下が四人。


「よいですか、奥方様、姫様方。」


若い護衛のひとりが声を抑えて伝える。


「抜け道に入れば、もう敵は追えませぬ。あとは山を抜け、志島殿の親族を頼ります。」


桔梗は小さく頷いた。


春花は震えていた。

耳を塞いでも、城が崩れゆく音が響いてくる。


()()()()()()……ははうえ……わたくしたち……どうなるの?」


「大丈夫よ春花。この姉が付いてるでしょう。」


千春は震えた指をぎゅっと握りしめ、妹の手を包み込んだ。


炎の光が背後で強く揺らめく。


「皆、走れ! 煙が来るぞ!」


臣下の一人が叫ぶ。


五人の護衛がぴたりと周囲を固め、

桔梗たちは城の裏手に続く暗い回廊へ滑り込んだ。


抜け道は、志木原(しきはら)の者だけが知る秘密だった。

石壁の奥に巧妙に偽装された扉があり、

その向こうは湿った土の匂いと、ひやりとした風が吹き抜ける長い地下通路になっている。


「春花、息を止めるのよ。煙が流れてくるから。」


「う、うん……」


春花は母に抱かれたまま、胸に顔をうずめた。


護衛たちは走りながら、

時折後ろを振り返りつつ、敵影がないかを確かめる。


千春は息を切らしながら母の背に続いた。

涙が滲むが、拭っている暇はない。


(父上……()()……()……どうか……)


抜け道は長い。

だが、確実に外へ向かっている。


やがて前方に、かすかに光が見えた。


「出口です!外気が入っています!」


護衛のひとりが声を上げた。


桔梗の顔にも、初めて安堵が浮かぶ。


「皆……もう少しです。頑張って。」




出口まで、あとわずか。


湿った土の匂いから、外気の冷たさへと変わる境目に、

桔梗たちは息を潜めて立ち止まった。


外では、焚き火の小さな明かりがふるえている。

そのそばで、二人の敵兵が肩を寄せ合い、低く言葉を交わしていた。


『……志木原の殿様、どうやら討たれたらしいな。』


千春の手がぴくりと震えた。


『そうか……立派な人だって噂だったんだがなぁ。』


『ご長男や、次男の……春政(はるまさ)様は?』


尋ねられた方は、小さくかぶりを振る。


『もし命があったとしてもあの火の中だ。

……助かる者はいないだろうさ。』


「……っ、そんな……」


千春は手を口に当てた。


隣で、桔梗は音もなく崩れ落ちそうなほど

肩を震わせていた。


焚き火がぱち、と弾ける。


『なんで、こうなんだろうな。』


小柄な兵が薪をつつきながらぼそりと漏らす。


『土地が肥えてるとか、福の神がどうとか……

 上の連中はいろいろ言うが、俺たちにはよく分からん。』


『うん。志木原の者らも、ただ真面目に暮らしてただけだろうに。』


『戦なんて、やらずに済むならその方がいい筈だろう。』


淡々とした声。

だからこそ、生々しく胸に刺さる。


『……奥方様と姫様を探せって命が来てる。

 生きてたら、どこかに逃げてるはずだが……』


『正直、もう逃げていて欲しいがな……、俺は。』


二人は小さく息をつく。

焚き火の明かりが、わずかに揺れた。




桔梗はぎゅっと歯を食いしばった。

静かに覚悟を決め、腕の中にいた春花を地面に下ろす。


「……私は、引き返します。」


「……母上……?」


「当主の妻ですもの、最期のつとめは……志木原で果たします。」


千春は目を大きく見開き、必死で母の袖を掴む。


「では私も!私も共に参ります……!」


桔梗は優しく、その言葉を拒絶する。


「いいえ。為春も、春道も、春政も……皆、志木原のために散りました。

 ……私の可愛い子……あなたには生きていて欲しい。」


震える声。

瞳には涙がいっぱいに滲んでいた。


桔梗は娘の手にそっと手を重ねる。


「千春……母の最後の頼み、聞いてくれるでしょう?」


「でも……!」


桔梗は静かに首を振った。


「……千春。春花の事もお願いしたいの。」


振り返った先で、春花が泣きそうに姉の袖を握っていた。


「せんねえさま……」


千春の心が揺れる。

その小さな手は、“千春が生きなければならない理由”そのものだった。


桔梗は娘二人を抱き寄せる。


「千春。あなたが生きて……春花を守るのです。

 そして志木原の血を……未来につないで。」


千春は歯を食いしばり、堪えていた涙がついに溢れた。


「……わかりました。……母上。」


春花を抱きしめ、涙を落としながら続けた。


「逃げます。でも……春花とは別の道を使います。」


桔梗の表情が少し揺れた。


「千春……?」


「私は顔を知られています。

一緒にいれば……必ず追われる。そうなれば、最悪……。

 だから私は別の道を使い外へ出ます。春花は志島に任せ、

 あとで合流。それしかありません。」


春花が不安で泣き出しそうになる。


「ねえさま……ひとりは……いや……!」


千春は妹をしっかり抱きしめた。


「大丈夫。すぐに会えるわ。それまではじいを頼るのよ。」


桔梗は深く頷き、

春花を抱きしめた後、志島に託す。


「志島。春花を頼みます。」


志島は胸に手を当て、深々と頭を下げる。


「命に代えましても。」


桔梗は千春の頬を両手で包んだ。


「千春。あなたは逃げて、生きて……

 志木原を守りなさい。

 母は……あなたたちを誇りに思います。」


千春の涙がぽろぽろと落ちた。


「母上……どうか……どうかご無事で。」


桔梗は微笑んだ。

まるで、すべてを受け入れる者だけが持つ静かな笑み。


「……行きなさい。」


春花は泣きじゃくりながら志島の腕に抱かれ、右の抜け道へ。


千春は涙を拭い、母を最後にもう一度見つめてから、

反対側の暗い抜け道へ三人の臣下と共に駆けていった。


桔梗と最後の臣下がその場に残る。


娘たちの小さな足音が遠ざかるまで、

桔梗は一歩も動かなかった。


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